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作品名:TAKUMI 作者:Shima

第129回   第129話
  「田中。悪いが行ってもらいたい所がある。大丈夫か。」
座席に座るとすぐ匠は運転手の田中に声を掛けた。
「はい。どこへなりと。」
運転手の田中は秀一が信頼する人物の1人であり、10年以上秀一だけのお抱え運転手だった。それだけに車の運転にかけては絶対的な自信を持ち、同乗者に家の中にいるような錯覚をおこさせてしまうほどだ。匠と沙織のお披露目以降匠の運転も任されるようになり、益々その自信を深めていた。
「堂内町の山本という家に行ってくれ。」
「かしこまりました。」
  「匠さま。」
田中はハンドルを回し車をUターンさせながらバックミラー越しに若き主を見た。
「なんだ。」
「ここから堂内町までは小一時間ほどかかります。それまでお休みになられてはいかがですか。着きましたら声を掛けますから。」
「そうか。じゃ、頼むよ。」
そう言って匠は目を閉じた。すると間もなく深い眠りに落ちたのを田中は確信した。

  「・・・・さま。・・匠様。・・・着きました。 到着いたしましたよ。」
穏やかな声が匠を心地よい眠りから現実へ引き戻した。
「・・・ン?  そうか。・・悪いがここでちょっと待っててくれ。この家に用事があるんだ。」
「はい。」
匠は車を降りると『山本』と記された表札の下にあるブザーを押した。しばらくして姿を現した女の子は立っていたのが匠だとわかると幽霊でも見たような顔をした。
優しい笑顔で何やら話しかけ、中に招き入れられるところまでを田中は見ていた。そしてあの笑顔を一度でもいいからお嬢様に見せて頂きたいものだ、と心底思った。

  30分ほどして匠は入ったときと同じ笑顔を湛えながら出てきた。あとから続いてきた女の子の表情は夢見心地といったところで、足もおぼつかない感じだ。2〜3言玄関先で言葉を交わした後、田中は我が目を疑った。あろうことか、匠はその娘の額にキスをしたのだ。その後愛おしそうに娘を抱き寄せもう一度名残惜しそうに髪にキスをして何かを囁いた。最後は手を振って別れ、田中の元に戻ってきた。田中は何も言えずそのまま車を発進させたが、10分も走るとどうにも黙っていることができなくなった。我慢の限界、といったところだ。
「あ、の。」
返事がない。田中はミラーを通して後ろを見た。その顔は暗く、何かの痛みを必死で耐えているように見えた。
「お加減がよろしくないようですが。」
到底、聞きたいことは聞けなくなった。
「・・・・いいや。」
口を開くのも面倒といわんばかりの答えが返ってきた。
「お顔の色がすぐれません。どこかへ寄りましょうか。」
「大丈夫だ。・・・家に直行してくれ。」
「はい。 かしこまりました。」


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