ケガのためしばらく稽古を休むことになった匠は、放課後になると得宗寺家の送迎車に乗り帰宅した。沙織は一足先に帰宅していて従来通り、匠のために夕食の用意をして待っていた。内々で披露したとはいえ、匠のたっての希望で2人は部屋を異にしており、2人はそれぞれ独自のプライベートを保っていた。もちろん必要とあればお互いの部屋に入室は可能だが、なるべくそうならないよう気を配っていた。以前ならお互いの家を自由に出入りしていたが、匠が得宗寺家に入ってからというもの、掃除、洗濯以外は沙織も意識して匠の部屋には入らなくなっていた。不便はあるが、そのぶん、誰にも煩わされること啼く自由な時間を満喫できた。 匠は沙織に手伝ってもらいながら私服に着替えた。いつも沙織のコーディネイトに任せている彼だが、何を着てもモデルのように着こなしてしまうのでそれほど沙織も苦労はしない。 着替えが済むと匠はだるそうにソファに身を沈め目を閉じた。ほぼ同時にドアの向こうで聞きなれた榊原の遠慮がちな声がした。沙織がドアを開け彼を招き入れた。 「匠さんにお客様です。」 入るなり榊原は執事的口調で言った。しかし匠は無言のままで聞こえているのかいないのか判断がつかない。代わって沙織が誰何した。 「警視庁の真田、と仰る方でございます。周防家で匠さんがこちらにいる。と聞いて来たと仰っておりますが、いかがいたしましょう。」 「通せ。」そこでようやく匠が口を開いた。 「かしこまりました。こちらにお通しいたしますか?それとも別室にいたしましょうか。」 「ここでいい。」 「かしこまりました。」 執事らしい態度で榊原が出て行くと、沙織もまた急いで部屋を出ようと匠の洗濯物をかき集めた。 「おい。」 「はい?」 「おまえはここにいて真田さんの接待をしてくれ。今朝部室で飲んだコーヒーはまずかった。」 「誰が淹れたの?」 「オレだ。」 「まぁ!それならどうして私を呼んでくれなかったの?美味しく淹れてあげたのに。」そう言って恨めしそうに匠を見る。 「そんなことで威張るな。」 その言葉にはそんなことで頭を煩わしたくないという態度が表れていた。それでも沙織は嬉しそうにお茶の準備を始めた。匠はソファに座ったまま真田が来るまでの間、日課となっている新聞を読み始めた。たかが新聞、といっても彼の前に置かれたものは日本全国から送られてきた地方紙も混じっているため部数は軽く60は超えていた。それを隅から隅まで(テレビ欄は除いて)読破しなければならない。それだけでも何時間もかかってしまうのだ。本来なら真田に会う時間などないはずなのだが、乗ってしまった船を途中で捨ててしまうことは匠のプライドが許さなかった。
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