一方、色々聞きたい沙織にとって今ほど落胆したことはなかった。なにしろ、かつて、こんなに離れていたことがなかったからだ。匠が合宿や試合で遠征している時でさえ、こんなに顔を見なかったことはなかった。受話器を置くとひとりでに涙がこぼれた。せめてあとひと言、何でもいいから言って欲しかった。 振り返ると早苗が立っていた。沙織は思わずその胸に飛び込み泣いた。 「大丈夫。匠さんはきっとお嬢様のお気持ちをわかっていらっしゃいますよ。お嬢様だって本当はわかっていらっしゃるんでしょう?あの方のお心を。」 早苗の優しさに沙織はうなずいた。それでも顔が見えない分、言葉にして欲しかったのだ。 「さぁ、今日から学校が始まりますよ。匠さんがいらっしゃらないのですからお嬢様がしっかりなさらないと。あと少しの辛抱ですよ。いいですね?」 母親のような早苗の胸に抱かれて沙織は生まれて初めて安らぎを感じた。 「あ、りが、とう。」 「まぁ!とんでもありません。お礼なんて。 私でよければいつでもお嬢様のお傍におりますからね。」 男の子1人しかいない早苗にとって沙織は本当の娘のようだった。まして、物心つかないうちに実母を泣くし、その後は匠という一風変わった隣に住む男の子の世話をしなければならなくなったのだ。不憫に思わないわけがない。余りあるほどの資産を持ちながらも愛に縁のない娘なのだ。早苗の目から見ても匠が沙織を愛していることは明白だ。しかしそれがどれほどのものなのか見当がつかない。匠の性格からして一生、その口から甘い言葉が出るとは考えにくい。匠と結婚する沙織は世の女性からしてみれば十分嫉妬を買いそうだが、その実、沙織ほど気の毒な女性はいないだろう。早苗の夫、榊原でさえ、沙織が疲れた顔をしていると労いの言葉をかけている。と、突然、早苗は思い出した。沙織の看病をしていたとき、匠に疲れただろうから休め、と言われたことを。・・・・匠は沙織以外の人間に対しては優しく接することができるのだ。そう考えて、匠の沙織に対する冷酷さを今一度見直してみると・・・それは愛情の裏返しではなかろうか。冷たくすればするほどそれは愛の告白をしているのではないだろうか。きっとそうに違いない。それでも自分の思惑をそのまま口にする早苗ではなかった。彼女は何とか沙織を元気付け学校に送り出した。
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