ハッと数馬の脳裏に閃(ひらめ)きが走った。それは漠然としたものだったが、数馬は突然走り出した。後ろから直が何か叫んだのも気付かず、一気に奉行所に駆け込んだ。 与力達の制止を振り切って町奉行の前に立ちはだかり、自分は目付け鏑木数馬であると名乗り、極悪人の逃亡を阻止するため即刻西国への陸路及び海路を遮断するよう訴えた。 初め町奉行は今月の月番は北町だからと渋い顔を作ったが(数馬はそれとは知らず南町奉行所に駆け込んだのだった)相手が目付けであることと、極悪人の逃亡と聞いてすぐさま行動に移った。捕り方に下知を下し、自らも数馬と共に馬を引き品川に向かった。但し、与力の1人を北町奉行所に連絡係として走らせた事は賢明な処置だった。 連絡を受けた北町奉行も南に遅れるな!とばかりに捕り方を手配し、同様に馬を飛ばした。 南北両奉行所が総出となって品川にたどり着いたとき、丁度その日最後の西国行きの船が出港するところだった。突然出航禁止が出された船長は怒り狂ったように抗議したが、相手が奉行所ではそれ以上文句も言えず、ぶつぶつ文句を言いながらも引き下がった。 表向きは駆け落ちしようとした若い男女の探索という名目で船改めが行なわれたが、一緒に乗り込んだ数馬が1人の男を見つけたことで捜索は打ち切りとなった。 男は数馬に声を掛けられると観念したように頷いた。奇妙な事にその男には若い男の連れがあり、その男と一緒に船を下りた。訳の判らぬうちに出航許可が下された船長は、更に文句を言いながら船を出した。お祭り騒ぎのような捕り物はあっという間に終わり、旅人はそれぞれに品川を後にした。人がまばらになった頃にはとっぷりと日が暮れていた。 もう遅い時刻ということで船宿の一室を借りるとものものしい雰囲気の中、両奉行を従えた数馬が尋問の指揮を執ることになった。考えてみれば2人の奉行は目前にいる男達の正体もわからぬまま対座しているのだ。気の毒としか云いようがなかったが、急を要する捕り物だった為致し方ないことだった。 「何の捕り物だったのか既にご承知ですな?」 「・・・・わかっております。」 声を掛けられた男が答えた。 「・・・・お身体の具合は如何です?」 男はハッとしたように腹を押さえた。油汗が滲んでくる。 「井上が案じていましたよ。今無理をすれば命に関わると。」 「・・・・井上医師(せんせい)には申し訳ないことをしたと思っております。なれど・・・こうするより他なかたったのです。」 「なにゆえです?奉行所はまだ見当さえつけていなかったのに。」 「奉行所?・・・フッ。奉行所なぞ恐れるに足りませぬ。某が恐れたのは貴殿でござる。先日見舞いに来られた貴殿を見て危ないと感じ、このような軽挙に出てしまいました。」 恐れるに足りない奉行所、と聞いて両奉行は色めきたった。だが数馬の一睨みで2人共憮然とした表情で黙り込んだ。 「見舞いといっても某との会話は世間話の域を超えてはいなかった。それゆえ何の変哲もなかったはず。」 「匂いですよ。他の誰もが気付かなかった匂いを貴殿は嗅ぎ付けた。」 「匂い?そういえば匂い袋を所持しているかと訊ねました。それからこれ。」 そう言って懐からつぶれたほおずきを出す数馬。 「あなたが残して行ったこれにも残り香がありました。この匂いでもしや、と思い奉行所に駆け込んだのです。―――― 村岡殿。単刀直入に伺います。あなたは灯篭組の首領ですね?」 突然今市井を混乱に陥れている大盗賊団の名前を聞かされた両奉行は腰を抜かさんばかりに驚いた。村岡達は一瞬ギョッと身体を固くしたが、狼狽した様子もなく真っ直ぐ数馬を見た。 「・・・・仰るとおり、間違いありませぬ。某は灯篭組の首領、漁火太郎。これは六郎です。」 「他の者達は?」 「おそらく何処(いずこ)へか逃げたものと。」 「連絡は取っておらんのか?」 「仕事が終わると一定期間全ての連絡を絶ちます。それゆえ彼等が今どこにいるのか一切わかりませぬ。これは某の看病のため行動を共にしてくれておりましたが、捕まると分っていれば・・・」 必死に村岡の身体を支える若い男の姿に、数馬はふと違和感を覚えた。 「もしや六郎殿は口がきけぬのか?」 「・・・・はい。これは生まれつき口がきけませぬ。それが不憫で片時も離さずおいたのですが。まさか盗賊の一味になるとは思わなかったでしょう。」 空いた方の手で六郎の頭を撫でる村岡。その姿は残忍な人殺しとは思えない程自愛に満ちている。だが病み上がりの身体に西国への逃亡は酷であった。たとえ強靭な身体の持ち主であろうとも体力の衰えは火を見るよりも明らかだったのだ。村岡の顔から徐々に血の気が失せ、額からは油汗が滲み出してきた。 「片山殿!申し訳ないが医者を呼んでくれまいか!事情は後ほど説明する!牧瀬殿、あなたは布団を敷いてくれ!六郎!おめえ足を持て!俺は頭を持つから村岡さんを早く横にするんだ!」 両奉行に命じ、六郎と共に村岡の身体を横たえると数馬は手ぬぐいで額の汗を拭ってやった。 「直ほどの腕ではないと思うが、医者を呼びにやったからもう少し辛抱してくれ。六郎、水を入れた桶を持ってくるんだ!熱が出てきた!」 「・・・・数馬殿・・・」 「大丈夫。六郎はあんたを置いて逃げ出すような男じゃない。そんな奴なら傷ついたあんたを置き去りにしてさっさと逃げてるさ。安心してゆっくり休むんだ。」 「すまぬ・・・・あの子の・・・本当の名は・・兵吾。・・・村岡兵吾・・某の弟・・・」 かなり長時間苦痛に耐えていたのだろう。村岡はそれきり意識を失った。 その後の診察にも目を開く事なく、村岡はされるがままになっていた。予想通り、六郎、つまり兵吾は村岡の傍を片時も離れようとはしない。食事も摂らず、厠(かわや)へ行く以外は決して動かなかったのである。
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