柴田家を辞す道すがら直に誘われ数馬は村岡の見舞いがてら井上家に立ち寄った。ところが何やら門弟たちが右往左往している。直の顔を見かけるとその中の1人が慌てたように走ってきた。 「大変です!村岡さんがいなくなりました!」 「何だって!私が出かける時にはぐっすり寝ていたはずだぞ!」 「はぁ。それが半時(はんとき)程前の回診の時までは確かに布団に寝ておられたのですが、先ほど部屋をのぞいたらこれが枕元に。今全員で辺りを探しているのですが、なかなか見つからないのです。あのお体ですからそう遠くまでは行っていないと思うのですが。先生!一体どういたしましょう・・・」 半べそを掻きながら門弟が差し出したのは小判が10枚とほおずき1つであった。小判をくるんだ懐紙には急に用事が出来たから。と挨拶もなく出て行く非礼を侘び、診療代として少々の金子(きんす)を置いていく。残った分は研究費に充てて欲しい、といった内容が記されていた。しかし出て行く理由については何も書かれてはいなかった。 「馬鹿な!まだ傷が癒えていないのに、今無理をしたら命取りになり兼ねん!何という無茶な人だ!・・・みんなで今一度、手分けして探すんだ!いいな!絶対見つけて連れ帰るんだ!」 門弟は直の怒りを一身に受け、慌てふためきながら奥へ引込んだ。 その後姿を見送ると懐紙を握った手にぐっと力を込め、直は悔しそうに下を向いた。するとその手から真っ赤なほおずきがぽろりと零れ落ちた。それを素早くすくい上げた数馬の鼻腔をあの花の香りが通り抜けた。
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