2人で3合ほど空けたところで直は盃を置いた。だがどう話を切り出したものかと考えあぐねている様子だ。元来気は長い方の数馬であったが、酔いが回っていたのか痺れを切らしてしまった。 「直殿。いかがなされた。」 「はあ。実は、その、何と申しましょうか・・・」 直は困り果て数馬から視線を外した。視線の先に滝登りする鯉と一輪の牡丹が描かれた掛け軸がかかっている。それを見た途端、直は大きな声を上げた。 「牡丹!ええ!左様です。牡丹なのですよ!!」 「牡丹?あのボタッとした花の牡丹かい?」 「はい。あ、いや、その牡丹ではなくて・・・あ、やはりその牡丹です。」 「何だか一向に話の道筋がわからんな。いったいその牡丹がどうしたというんだ。」 「え?お分りにならない?」 「さっぱり。」 直にしてみれば数馬がなぜ悟らないのかが不思議なようだ。だが分らぬものは天地をひっくり返しても分らない。数馬は正直にそれを口にした。 「では未だご公儀には届いておらぬのですね。最近市井(しせい)を騒がせている漁火とか申す押し込み一味のことは。」 「漁火?いいや。俺は知らない。初耳だ。して、そ奴等はいかなる輩(やから)なのだ?」 「金持ちの商人ばかりを狙い、その姿を見た者は全て一刀両断に切り捨て、金品を奪い去って行く。近年稀に見る悪党集団です。加えて盗みに入った家々には必ず牡丹の花を一輪残して行くという小憎らしい奴等です。」 「なんてこった。とんでもねぇ奴等だ!それでその姿を見た者で生き残っている者は本当にいねぇのかい?」 「はい、あの、あ、いや、殺されず運良く生き残った者がたった1人おることはおったのですが・・・」 「それは不幸中の幸い。で、その者は?――― どうした?顔色が悪いが。」 「いえ、わたくしは大丈夫です。ええ、確かに幸運だったのですが、その者。名はお絹と申しまして、札差し天満屋の1人娘なのです。が、しかし・・」 そこで直は言い澱んだ。 「何だ。歯切れが悪いな。はっきりしてくれ。さきほどのお主とは雲泥の差だぞ。そのお絹が如何いたしたのだ?」 数馬の語気が少し荒くなる。 「はい。・・・実はそのお絹が盲(めしい)なのです。」 「めしい?目が見えぬというのか!」 「はい。そのおかげと申しましょうか。それゆえ此度は災難を免れた次第なのです。」 「ううむ! だがたとえ盲(めしい)であっても何かは感じたのではないのか?そういう者達は常人より優れた感覚を持つと聞いたことがあるぞ。」 「はい。お絹の証言によりますと、首領らしき者は太郎と呼ばれ、次に二郎、三郎となっていたこと。人数は6名、すなわち六郎までいたということ。その連中はどうやら話し方に特徴があったようで、絹は口でどうこう説明することは出来ないが、もう一度聞けばはっきり断言できると申しておりました。数馬殿の仰る通り、盲人達ははるかに別の感覚が発達しております。実際六郎と呼ばれた男がいたかどうかは分りませぬが、足音で6名いると感じたそうです。」 「ううむ。なるほど!―――― それにしてもおぬし、俺が知らぬ事を一介の医者がなにゆえそれほど詳しく知っているんだ?」 「はぁ。またしても、と思われるかもしれませんが、お絹は私の患者でして・・・」 「ほう!おぬしは武家だけではなく町人も診るのか?」 「病に身分の上下は関係ございませんので。」 「偉い!その通りだ!それでこそ医者の鑑!というもの! しかし、誰かを介して知ったのであろう?その天満屋とは。」 「はぁ。」 「誰だ?」 「数馬殿の知らない方です。」 「俺の?まぁいい。いずれにしても町方(まちかた)の仕事だ。俺には関係ない。」 隼人の一件で直の性格を知った数馬は、どうすればその口を割らす事ができるのかその術(すべ)を取得していた。要するに自分に関係ないことは一切口出ししないぞ、という姿勢を見せることだ。案の定、直はいとも簡単に数馬の仕掛けたワナにひっかかった。
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