『お供します。』という小者を帰し、着流しに大小といういでたちで井上家に向かう途中、1人の浪人が道端にうずくまっていた。 「もし。どうかなされたのですか?」 困っている人をそのまま見過ごすことのできない性格の数馬はすぐ声をかけた。 「急に差込みが・・・」 「それはいかん!丁度良い。某、これより馴染みの医師のもとへ参るところゆえ、連れて行って進ぜよう。」 浪人に肩を貸し、歩調を合わせながら歩く数馬に、 「かたじけない。某は村岡小太郎と申す者。ゆえあって浪々の身・・・」 「村岡殿。詳しい話は後だ。ほら痛みの余り脂汗がにじんでおられるぞ。まずは手当てが先決。」
「直殿。あなたの診立(みた)ては如何か?」 1人客間で盃を空けていた数馬は、渋い顔をして入ってきた直に聞いた。 「ええ・・・ここのところに炎症を起こしています。なるべく早く取り除いてやらねば危うい事になりかねない。」 自分の右腹を指差す直に不思議そうな顔を見せる数馬。直にはそれが可笑しかったのか初めて笑顔を見せた。 「ここのところを切って膿(うみ)を出すんですよ。」 「切る?腹を?誰がそんな大それた事を?」 「もちろん私ですよ。あと誰がいるんです?私がやるしかないでしょうねぇ。」 「おぬしが?!そんな!」 「ええ。兄が麻酔をかけて私が執刀します。今まで何度もやっている手術ですから大丈夫ですよ。―――― そうですね。一時(いっとき)程で戻れると思いますから、待っていて下さいますか?」 そう言って立ち上がる直に慌てて声をかける数馬。 「直殿・・・・頼む!」 「はい。」 にこやかに客間を出て行く直に数馬は改めて井上兄弟の凄さを感じた。
約束通り、一時(いっとき)を少し回ったところで直は戻って来た。晴れ晴れとした顔は手術が順調にいったことを意味していた。 「あれ?先刻からあまり進んでいませんね。一体どうしたんです?」 「どうしたって、手術と聞いて落ち着いていられる人間はそうはいないと思うが。」 「え?そうかなぁ。私はいっこうに平気ですが。では改めて。」 ぐいっと盃を干す直はいつもの彼だ。 「おぬしは凄いなぁ。こんな情況でも普段通りに飲み食いできるなんて。」 「しかしこれが本来の私の仕事ですからね。私は出島で蘭方医学を学び、手術にも何度か立ち会っています。兄は外科医でもありますが、麻沸湯という麻酔薬ができてからはもっぱら私が執刀し、兄は麻酔を担当しているのです。あのご浪人ももう大丈夫でしょう。後遺症で熱が出るかもしれませんが、兄がその後の処置をしてくれますから、今宵は気兼ねなく飲み明かしましょう。」 「あなた方兄弟には敬意を表するよ。だが今日は失礼する。人の生死が係っている時に酒など飲んではいられないだろう。」 「いや、今日は私が数馬殿に頼み事があったのです。私の話を聞いて頂けまいか。」 「頼み事?」 一旦立ち上がりかけた数馬だったが、直の言葉に改めて座り直した。
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