生まれてこのかた女性(にょしょう)の部屋といえば母の部屋しか記憶にない数馬は、茉莉の娘らしい部屋に少々戸惑いを覚えた。しかしそれも僅かな時間のこと。すぐ目の前にいる娘の姿しか目に入らなくなった。 「―――――先刻も申しましたとおり・・・」 釈明しようする数馬をそっと制し、茉莉は自分の方こそ取り乱したりして申し訳なかったと謝った。そして男である数馬に恥をかかせてしまったことを重ねて詫びた。 「いいえ。悪い事をしたのです。男女、身分の区別など超越して謝罪するのは至極当然の事。某(それがし)はそのように両親と兄に教えられてきました。」 その言葉には亡き両親とたった一人の兄に対する郷愁が感じられた。 「わたくしの家とは大違い・・・わたくしは幼少の頃より女子(おなご)は耐え忍ぶものと教えられてきました。新之介様とのことも父が決定したことだからと諦めておりました。それなのに何の前触れもなく鏑木様との縁談を決められてしまって・・・」 小袖でそっと目頭を押さえる茉莉。 「ということはあの夜の行動はあなたにとって一世一代の反乱だったわけなのですね?」 「はい。」 「だがそのおかげで私達は自然なまま出会い、自分を飾ることなく相手を見ることができたのですね。」 数馬の熱い視線を真近に感じ、茉莉はうっとりした表情になった。 「は・・い」 数馬は茉莉の手を取り、身体を引き寄せるとそっとその唇を吸った。それがあまりにも自然だったので茉莉もされるがまま自分の身体を預けた。 「・・このままずっとこうしていたい。」 思わずそう言って茉莉はハッとした表情になった。 「なれどそれでは示しがつかぬ。」 茉莉の変化に気付かぬ数馬は、一旦身体を離し再びそのつぶらな瞳を見つめた。 「鏑木数馬として改めてお願いいたします。某の妻になっていただけませぬか。亡き兄もあなたが鏑木家の人間になることを楽しみにしておりました。」 亡き兄という言葉は茉莉を突然現実に引き戻した。はにかみながらも居住まいを正すと悲しそうに言った。 「あなた様のお兄様とは存ぜずお弔いにも参列いたしませんでした。改めてお悔やみ申し上げます。」 「かたじけのうござる。その兄がいまわの際(きわ)にそう申しておったのです。・・・今一度申します。某の妻になって下さい。」 畳に頭をこすりつけるように平伏する数馬の肩にそっと手を置くと、 「―――折角のお申し出ではございますが、わたくしこのお話はお受けすることは出来ませぬ。さきほども兄に申しましたが、わたくしには末を誓った殿方がございます。たとえ添い遂げる事が出来ずともそのお方を裏切る事は出来ませぬ。」 思わぬ展開に唖然となった数馬だったが、 「うううむ!・・いや、あなたは正直だなぁ――― わかり申した。某は見合いを断られた男として退散いたしましょう。・・・・では、御免。」 意外にもあっさり数馬は引き下がった。襖に手を掛け再び茉莉の方へ振り向くと 「己(おのれ)が感じた事、思った事を率直に述べる事は非常に大切な事です。あなたも父上や兄上の意見に惑わされる事なく正直に生きて下さい。それではお達者で。」 颯爽と出て行く後姿は紛れもなく富良風太郎その人であって。
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