3日後は朝から抜けるような青空で、何か事を興そうとするには絶好の日和となった。 数馬の希望で見合いの場所は日下部家に指定されていたため、鏑木家では特に何も準備することはなかったが、新当主の一世一代の晴れの日とばかり、佐々岡は数馬のために裃(かみしも)と袴を新調していた。数馬はそれに袖を通すと普段通りの様相で別段供も付けず屋敷を後にした。その後を影のように付いて来る粂八の存在を感じながら。 そんな鏑木家とは対照的に、日下部家では天地がひっくり返ったような大騒ぎだった。準備だけでも大変なのに、当の茉莉が部屋に籠もったまま出てこないのだ。父や兄がいくらなだめすかしても全く効き目がない。とうとう主水(もんど)は怒り出してしまった。 宗太郎は事情を知っているだけに真実を言って茉莉を喜ばせたかったのだが、数馬との約束があったために何度も口から出かかった言葉を飲み込んでいた。そこで用人が数馬の来訪を告げた時、当主である主水は挨拶だけに顔を出し、その後は頭痛がすると言って部屋に引き下がり寝込んでしまった。宗太郎も焦るばかりだったが、事実を隠してもすぐにわかってしまうことなので勇気を持って数馬にあらましを告げた。 宗太郎から話を聞いた数馬はにこっと笑い、それなら時分が説得してみましょうと、茉莉の部屋に足を運んだ。 廊下には途方に暮れた稲がしょんぼりと座っていたが、数馬の顔を見た瞬間、泣きつくように訴えてきた。 「大丈夫。私に任せて下さい。稲殿はお疲れでしょうから、向こうへ行ってお休みなさい。」 稲を労(いた)わってから改めて茉莉の部屋に顔を向け、一呼吸つくと中にいるであろう茉莉に向かって話しかけた。 「茉莉さん。ここを開けて下さらぬか。約束通り、見舞いに来ました。―――― 私が誰かお分かりか?」 ところが警戒してか物音さえ聞こえない。 「茉莉さん。風太郎ですよ。あなたのことが心配ではせ参じたのです。某(それがし)の声を忘れてしまわれたのか?どうかここを開けて下さい。」 「・・・・風太郎様?・・・真(まこと)の風太郎様なのですか?」 「あなたに嘘を言っても仕方ないでしょう。某が本日まかり越したのは直殿よりあなたの見合い話を聞いたからです。居ても立ってもいられずとにかくあなたの本心を聞きたいと来てしまいました。正直に申します。・・・私はあなたに惚れている。一生添い遂げたいと思っています。あなたは私をどう思っておられますか。」 「風太郎様。そのような事をそのような大きな声で・・」 「何も悪いことは申してはおりませぬ。それよりもあなたの返事を聞かせて貰いたい。」 「・・・わたくしは・・・わたくしもあなた様をお慕い申しております。」 微(かす)かだがはっきりした声が聞こえてきた。 「ならば私と夫婦(めおと)になってくれますか?」 「・・・はい。」 「それを聞いて安心いたしました。ならばあなたは見合いの相手に直接会って、その旨を申し立てるのが礼儀でござろう。そうやってお父上や兄上に駄々をこねるような真似をして済まされるものではない。そのように礼儀もわきまえない様では行く末が案じられる。もしこのままあなたが拗(す)ねた態度を取るのであれば、某はあなたとの事を今一度考え直す事にいたします。断腸の思いだがそれも詮無いことでしょう。」 きっぱりと断言した数馬。いや富良風太郎はあっという間に部屋の前から立ち去った。次の瞬間、慌てたように襖が開き、涙で顔をくしゃくしゃにした茉莉が出てきた。 「お嬢様!!」 心配で休む事も出来ないまま廊下の隅に座っていた稲が叫んだ。 「ばあや!早う!早う!風太郎様が!」 「なりませぬ!風太郎様も仰っておられたではありませぬか!ここは鏑木様とお会いになられ、礼を尽くすべきでございます。さぁ、お着替えあそばしまして。若様もご心配なさっておられますよ。」 数馬の芝居が相当こたえたとみえて、茉莉は稲の言うがまま、鏑木数馬なる人物に会う決心をした。
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