子(ね)の刻(こく)頃、ようやく床に入った数馬は、佐々岡に叩き起こされた。静馬の様子がおかしいというのだ。脱兎の如く静馬の部屋へ飛び込んだ数馬は、虫の息の静馬に枕元に来るよう言われた。その傍には、やはり急に呼ばれた直(すなお)ともう1人、数馬も見覚えのある直の兄、宗九(そうきゅう)がいた。数馬と宗九は互いに目礼すると、すぐ静馬の方へ向き直った。 「兄上!数馬です!」 ぐっと静馬の手を握ったのだが、既に静馬には握り返すだけの余力が残っていなかった。 「兄上!!」 「かずま・・私は・・もう駄目だ。・・・できることなら・お前の・・花嫁を・・・この目で・・見た・・・かった。・・良いか、数馬。・・あとは・・あとのことは・・お前に・・頼んだぞ・・・鏑木家を・・・たのむ・・・」 最後の力を振り絞ってそれだけ言うと、静馬は満足したような顔で息を引き取った。 「あ・・兄上ぇぇぇ!・・私は、私は・兄上がおられたからこそ今まで生きてこられたのです!兄上がいなくなったら私は何を心のよりどころにすれば良いのですか!兄上!どうかどうか、今一度、目を開けて下さい!兄上ぇぇぇぇ!!」 静馬の身体を揺り動かし泣き叫ぶ数馬。見兼ねた直(すなお)がそっとその肩に手を置いた。 「静馬殿はいつもあなたのお傍におられますよ。―――― 常日頃、静馬殿は弟のお陰で今まで命を永らえていられるのだ。自分の命の火が消えぬうち、1つでも良いから弟のためになることをしたい。そう仰っておいででした。こたびの九頭竜様の一件は静馬殿にとって一世一代の大仕事だったのでしょう。――― 先刻、静馬殿はもしこのままあなた様と会えずに自分が死んでも決して悲しまないように伝えてくれと遺言を残されました。ですから数馬殿。」 「あ・兄がそのようなことを?」 「はい。」 「――― そうでしたか。・・・わかりました。 取り乱して申し訳ない。もう悲しみませぬ。・・・兄上。兄上のご遺志はきっとこの私が!」 「数馬殿。不肖この井上宗九も鏑木家のお役に立てるよう尽力いたしますぞ。」 「井上殿!」 2人は昔からの親友の如く手と手を握り合った。 「数馬殿。私もお役に立てるよう兄同様尽力いたします。」 「直殿!」 涙で潤んだ目をしっかと開き、数馬は井上兄弟と固く誓い合った。
翌朝から静馬の葬儀の準備が始まった。といっても盛大なものではなく、身内だけのひっそりしたものだった。なれど静馬を慕う者達がひっきりなしに訪れるので、数馬は彼等の応対だけでぐったりとなってしまうほどだった。もちろん日下部宗太郎、九頭竜夫妻は率先して手伝いに来ていたし、井上兄弟も同様だった。唯一、数馬と風太郎の関係を知らない茉莉だけが疎外されたような形になってしまったのだが、それも仕方のないことだった。当然見合いは延期され、事情を知らなかったにせよ茉莉にしてみればその報を聞いた後、手放しで喜んだのも無理からぬことだった。
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