熱い想いを抱きながら評定所を出た数馬は真っ直ぐ鳥居家へ向かおうとしたが、突然立ち止まり懐から紙と筆を取り出すと、サラサラと何かをしたため傍にいるであろう粂八を呼んだ。 「へえ。何です。」 「悪いな。これを日下部宗太郎殿に渡して来てくれ。鏑木数馬からだと申してな。必ず本人に渡すのだ。そのあと鳥居様のお屋敷へ案内してきてくれ。お1人で参られるよう付け加えてな。」 「へい。合点で。ところで日下部様のことですが、あのお方は小せぇ時分から妹君と2人で何でも相談し合った仲なんだそうですよ。性格は温厚で人柄も良く、奉行所内では悪く言う人はいないようです。ところが今回の一件で人が変わったように怒りっぽくなったってぇ話です。日にちが少なかったんであんましお役に立てるような話がなくてすいやせん。」 「そうか。いや、そこまで調べるのも難儀だったろう。なにしろ武家を調べるのだからな。上々だ。」 「すいやせん。・・・で、お嬢さんへの文はねぇんで?」 「粂よ。お嬢さんへの文はな、ちゃんとした場所でもっと上質(いい)紙に書くぞ。そうだな、におい袋でもつけてやるかな。ははは・・おっと冗談、冗談だ。いいか粂、必ず宗太郎殿に渡してくれよ。」 「へぇ。」 あ・うんの呼吸で数馬と粂八はそれぞれの方角へ向かった。
鳥居家の座敷へ通された数馬は、じっと左馬介を待った。 微動だにしないその後姿に、驚かせてやろうとそっと近づき、木刀を振り翳した左馬介。逆に見事な件捌きで左わき腹に強烈な峰打ちを当てられてしまった。 「相変わらずご冗談がお好きですな。小父上。」 ニッと笑う一馬に痛さをこらえながら左馬介は上座に座った。 「お・おまえこそ・・・相変わらず・・じゃな。」 自分でも痛みで顔が歪んでいるのがわかる。額に汗が噴出してきた。 「曲者(くせもの)かと思い、つい力が入ってしまいました。まさか小父上だったとは。申し訳ございませぬ。」 平伏しながら自然に肩が震えてくるのを抑えきれない数馬。 「いや・そ・そうで・・あろうとも。・・武士たるもの・・常日頃一分たりとも余人に隙を見せてはならぬ。・・なに、痛いなどというのは修行が足りん証拠。儂のはな、年のせいじゃ。・・気にせんでよい。」 見栄を張る老人にこれ以上恥をかかせてはならないと数馬は本題を切り出した。 「本日、某(それがし)が参上いたしましたのは・・・」 「ああ・・その・・ッ!・・その話なら・・静馬から聞いた。・・儂もな・・ッ!手を尽くしておるのじゃが・・・何と申しても重罪人扱いの男じゃからな。――― ところで静馬には聞かなんだが、その九頭竜という男とおまえの関係は何なのじゃ。」 そこで数馬は静馬に話したことを鳥居にも話して聞かせた。同じ日に同じ話をするのだから二度目はスラスラと澱みなく口から言葉が出た。 「・・・・そこで某(それがし)ここへ参上いたす際、評定所へ立ち寄りその人物に会ってまいりました。お、その折、勝手乍ら、小父上の名を拝借いたしました。」 「何じゃと!このばか者が!勝手に人の名を使いおって!・・・ま・まぁ良いわ。そちの悪さには散々泣かされたからの。今更腹を立てても後の祭りじゃ。それでお前の見たところその男は死なすには惜しい人間か?」 「小父上。あのような人物が日本にあと2人おりますならば、わが国は世界に名だたる大国になりましょうぞ。」 「なんと!珍しいこともあったものじゃ。お前がそのように他人を誉めるとは。・・・ならば、お前が儂の立場であったのなら、その男、何と処するか?」 「もし某(それがし)にそれだけの力がありますならば――――― 外国からの襲来に備え専門の役職を設置しそれにあの男を配し、直接外国人との交渉に当たらせます。通詞のいらない外国人との折衝。これからの日本に欠かす事のできぬ重要課題です。そのような人物をみすみす死なすなどもっての外!1人の人間の命を救うだけで日本の将来が救えるやもしれぬのです。小父上、お願いいたします。どうか、九頭竜隼人と九頭竜藩をお救い下さい!」 いつになく真面目に弁をふるう数馬に、左馬介は痛さも忘れ、腕を組み、じっと考え込んでしまった。 と、その時。用人が日下部宗太郎の来訪を告げに来た。
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