話は少し遡(さかのぼ)る。兄、静馬に帰宅の報告をした後、一風呂浴び充分な睡眠をとった数馬は、目付け鳥居備中守左馬介を訪ねるべく家を出た。 途中、ずっと考えていたことを実行しようと評定所へ立ち寄った。外国を見てきたという男に会ってみたかったのだ。 次期目付け役が内定している数馬の顔は評定所内でも知らぬ者はいない。それでも来訪の旨を告げると即座に面会は不可能と一蹴された。よほどその男が重罪人とみなされているのかが窺える。それでも鳥居の命(めい)だからと押し切り、強引に会うことができた。
平伏していたその男が顔を上げた瞬間、数馬とその男の口からうッ!という驚きとも感嘆とも取れる声が上がった。しばらくの間、じっとお互いの顔を見つめ、心の内を探り合った。その後数馬が口火を切った。 「鏑木数馬と申します。」 「九頭竜隼人でございます。」 「初対面の男が何用か、という顔付きでござるな。」 「私には毎日が初対面でございますゆえ、少々のことでは驚かなくなりました。」 「なるほど。―――― 実は日下部宗太郎殿から間接的にですが、あなたの助命を頼まれまして本日ここへ参ったのです。」 「宗太郎から?・・・・そうですか。それで九頭竜という者がどんな男か品定めにいらしたのですね?」 「図星です。」 「あなたは正直な方だ。それで私の印象はいかがですか?」 「幕府が―――― 上様がどういうお考えか某(それがし)には解かりかねますが。・・・あなた程の人物がこの先現れるかどうか・・それにこれからの日本は鎖国などしている場合ではないのです。蝦夷(えぞ)には露西亜(ろしあ)人が来ている。そんな時代に国内だけで物事を推し量っていてはいけない。そのような時にこそあなたが必要なのです。」 数馬の口調は穏やかだがはっきりそう断言した。すると隼人は目頭を押さえ、搾り出すような声を出した。 「私は・・・心ならずも漂流し、害コックを見てしまいました。・・そして家臣の全てを失った挙句ただ1人帰国しました。生きていてはいけないと捕えられてからはずっと死ぬ事ばかり考えておりました。――― あなたのような方がこの国にいようとは・・・」 「何をおっしゃる!あなたのような方がこれからの日本を支えるのです。いいですか、あなたのお命は某(それがし)身命(しんめい)を賭(と)してお救いいたします!その後城外でお会いすることを楽しみにしておりますぞ!」 がっちりと手を握り合う2人は、暗黙のうちにお互いの存在を認め合っていた。
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