馬車の中で青白い顔で目をつぶっている茉莉の顔を見ながら数馬は一昨夜の事を思い出していた。宿の主人に江戸までの馬車の手配を頼んだ後、部屋に戻り茉莉に明後日の旅立ちを告げた。一瞬驚いた表情をした茉莉だったが、今では数馬のすることに間違いはないと信じているのか、また、深く考えるのも億劫なのか、ただ黙って頷いた。その顔と今の顔が重なり愛しさがこみ上げてきて、その身体を支えるために回した腕におのずと力が入った。ついこの娘は俺のものだ!と叫んでしまいそうになるのを必死でこらえる数馬であった。 「富良さん。茉莉殿は私がしっかり看病いたしますから大丈夫ですよ。」 数馬の様子を見かねて直(すなお)が少々勘違いなことを言ってしまうのも無理からぬことだった。馬車のお陰でその日のうちに日暮里に着いた3人は、ひとまず稲の庵に草鞋(わらじ)を脱いだ。帰郷の連絡をしていなかったので、稲は驚くや嬉しいやらで大粒の涙を流しながら茉莉のために別室に布団を取らせた。その後、直(すなお)の診察で安心したのか、茉莉はぐっすり眠った。そこで初めて数馬は道中の仔細を直(すなお)も交えて稲に報告することができた。直(すなお)のことは稲も知っていたので、それは宜しゅうございました、とその手を取って何度も礼を言った。 一通りの報告を終えるとそれまでの真面目ま顔から一転、あの笑顔を見せ数馬は更に付け加えた。 「――― でな、お稲さん。俺はまだ自分の正体を言ってないのだ。訳あってもうしばらく黙っていたいと思う。悪いんだがあんたもそのつもりでいてくれ。」 「鏑・・いえ、富良様。それは一体どのような?」 不思議がる稲に直(すなお)が数馬に代わって答えた。 「宗太郎殿の気鬱(きうつ)の事と関係があることなのです。稲殿もそのことはご存知でしょう。」 「まぁ!左様でございますか。ええ、心得ておりますとも!不肖この私、口が裂けても鏑木・・いえ、富良様のことは申しませんよ!」 「頼みまするぞ。: 「・・・富良様。私1つお尋ねしたいことがあります。」 話題を変えるように稲が姿勢を正した。 「もし、事が無事成就いたしましたなら、お嬢様に真相を明かしその上で。」 「みなまで申されずとも承知いたしております。そのあかつきには必ずあなたのお考えのままにいたす所存です。」 「真(まこと)でございますか?」 稲の言葉に深く頷く数馬。 「ですからこれから先の茉莉殿のことは一切あなたに任せたいのです。無論、宗太郎殿との間に入っての取り成しも含めてです。本来なら某(それがし)が直接会って謝罪なりしなければならないのですが、直(すなお)殿の申される一件がありますので、できればこれからしばらくの間、そちらに専念したいと思うのです。だがその事であなたを辛い立場に立たせてしまうことになるのが申し訳ない・・・」 「何を仰います!そのくらいのこと!それで若様やお嬢様が助かるのであれば、老婆心ながら私、一肌脱がせていただきます!」 その言葉にはかつての精気がみなぎってきたようだった。
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