「旦那。」 粂八の声でハッと我に返った数馬は、自分がどんな格好でいるか突然思い出し人知れず赤面してしまった。知らぬ間に外の雨は上がっていた。 「粂か。 宿は大丈夫か?」 「へぇ。万事抜かりはございやせん。」 気を使ってだろうか、粂八は中に入って来ない。 「そうか。粂、ひとつ頼まれちゃくれねぇか。」 「何です?改まって。」 「さっきの雨でこのお嬢さんと俺の着ていたものがびしょ濡れなんだ。ひとっ走り古着を買って来ちゃくれねぇか。それから大八と布団と医者をな。」 「え?身体の具合でも?」 「ああ。このお人が熱を出したようで歩けねぇ。大至急手配してくれ。」 へぇ!とばかり粂八は素早くその場を走り去った。
どのくらい時間が過ぎたか。さほど経っていないような気もするのだがようやく粂八の声がした。 「手筈は整いやした。」 「そうか。ではまず着物をくれ。」 粂八が差し出した品物は、数馬用には着流しであったが、茉莉のものといったらなかった。まるで御殿女中が着る、絵に描いたような矢絣であった。 「粂。おめぇ、こんなもんどっからめっけて来たんだ?俺のはまぁ良いとして、この女中・・・まぁいいか。茉莉、茉莉。さぁこれを着るんだ。」 手際よく女物を着せてしまう数馬の腕は剣の方ばかりではないらしかった。加えていつ間にか呼び名から”さん”が消えている事に粂八は気付いた。 すっかり用意を整えると、まだ熱のある茉莉の身体を抱くようにして祠(ほこら)から出て、布団の敷いてある大八車にその体を横たえ、数馬自らそれを引き始めた。すかさず粂八は数馬の手から梶棒を取ると、ニヤッと笑った。 「旦那。色男にゃ力があっちゃいけねぇ。あっしが引きやすぜ。」 「俺ァ色男じゃねぇぞ。ま、おめえの方が上手いのはわかるがな。なら任せるがそおっと引いてくれよ。」 「合点で!」 第八車に娘を乗せた奇妙な2人連れが蕨に宿を取ったのは、それから程なくしてのことだった。
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