茉莉は新之介と向かって会ったのはこれが初めてであったが、心に抱いていた印象と全く違っていたので、当惑するばかりで何も話すことができない。じっと目を閉じても浮かぶのは風太郎の顔ばかり。目の前にいるはずの新之介の顔を思い描けずにいた。それを察して新之介は平伏したまま話し出した。 「・・・・茉莉様が驚かれるのも無理はありません。私もあまりに急な展開で驚いているのですから。というのも先刻、私は侍を捨て、この地に骨を埋める覚悟をしたばかりだからです。庄屋の娘と所帯を持ち、百姓として一生を送りたいと思います。・・・あなた様には新しい縁談があると富良様から伺い、私の口からはっきりその話を受けて下さいと申し上げるためにここへ参じました。どうかその方とお幸せになられますよう、心より願っております。」 「し・新之介様。」 ようやく茉莉の口から言葉が出た。 「いいえ。手前はもう百姓。どうぞ新之介とお呼び下さい。」 新之介は訂正を申し出たが、茉莉はそのまま続けた。 「ひとつお尋ねしても宜しいですか?」 「なんなりと。」 「あなた様が家を出られた理由をお聞かせ下さいませんか。」 その途端、新之介の肩がビクッと震えた。 「・・・それは・・・5年前・・の事・・でございます。・・御前試合がございました。当時、手前は道場は元より向かうところ敵なし、といった状態で天狗になっておりました。ところが決勝戦で覆面をした男にいとも簡単に負けてしまったのです。相手は遊び半分で出場していた侍でした。手前は出鼻をくじかれたような気持ちになり、その日のうちに剣の修行と称し出奔いたしました。」 「・・そうだったのですか。・・ではわたくしとの縁談を嫌っていたのではないのですね?」 「いいえ!決してそのようなことはありません!あの日まで手前はあなた様との婚礼を一日千秋の想いで待っておりましたから、婚礼のはなむけの意味も込めた試合だったのです。」 その言葉にじっと下を向き涙をこらえていた茉莉は何かを決意したように顔を上げた。 「では今はその娘さんを好いておいでなのですね?」 「はい。かけがえのないほどに。」 「・・・わかりました。わたくしはここに参ってはいけなかったのですね。新之介様。そのお方を大事になさって幸せにして差し上げて下さいね。」 「はい。」 新之介の身体が小刻みに震えているのを茉莉は何故か冷静な気持ちで見ていた。
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