「旦那。」 ブラブラと所在なく歩いていた数馬の耳に、聞き覚えのある声が届いたのはそれから間もなくのことだった。 「粂か。随分遅かったなぁ。待ってたぞぉ。」 ここにも1人待ち焦がれていた男がいた、とクスッと笑ってしまう数馬だった。 「すいやせん。稲さんからこれを預かって来やした。」 粂八は一通の手紙と重量感のある袱紗(ふくさ)を差し出した。 「すまないな。」 それだけ言うと数馬は袱紗の中味をあらためもせず無造作に懐に突っ込み、手紙を大事そうに開いた。粂八を全面的に信用している証拠である。だからこそくすねたりできないのだ。と粂八は思った。 「取り急ぎご連絡候。」 と一旦は声に出して読み出した数馬だったが、次の文字に目がいった途端黙り込んでしまった。そしてサッと読み終えると粂八の方へ向き直り、ちょっと困ったような顔を見せた。粂八は何か悪い知らせだと思い、そんな手紙を運んでしまった自分をののしりたくなった。だが・・・ 「粂。あの稲(ばあ)さんには俺の正体がばれていたよ。それからあのお嬢さんの家では神隠しにあったとかで大騒ぎになっているそうだ。」 「神隠し?あのお嬢さんはご自分でお屋敷を出られたんでやしょう?書き付けも何も残して来なかったんですかい?」 「そうらしいな。」 「なんて人騒がせなお姫様だ。それで旦那の正体がばれたってのは一体どういうわけなんです?」 「日下部宗太郎。お姫様の兄上の話だと、お姫様の新しい縁談の相手ってのが鏑木数馬という人物なんだとよ。」 「かぶら・・・えっ!って旦那のこってすかい?」 「ああ。それであの稲(ばあ)さんはお嬢様と旅に出た富良というおかしな侍がそうだと決めつけ、俺にカマをかけてきやがった。」 「こりゃ驚きだ!こんな偶然があるんですかい。じゃ何ですか?旦那はご丁寧にも恋敵を自分の花嫁になるお人と捜してたってわけですか?いやぁ、なんてぇこった!」 「俺もびっくりしてしまったよ。まさか俺の縁談の相手があのお嬢さんだったなんて。」 「旦那。まんざらでもねぇって顔ですぜ。」 「粂!・・・ま・まぁな。あれだけの別嬪(べっぴん)だ。嫌なわけはないだろう。性格もいいしな。少々気が強いが、これからの女子(おなご)は自己主張ができなければならぬ。あれくらいで良いのだ。」 「旦那。鼻の下が長くなってますぜ。」 「からかうな!だがな、このことは当分の間内緒にしていてくれ。勿論あのお姫さんにもな。」 「なぜです?」 「うーん。俺にもわからん。が、内密にしていてくれ。頼むよ。」 数馬に頼むと言われ、嫌だと言える人間がいるだろうか、と粂八は思った。 「へい。合点で。このことは口が裂けたって言うもんでねぇです。」 「すまんな。」 そう言うと数馬は手紙を粂八の持っていたキセルに押し付けた。間もなくぼうっと火がつき、あっという間に燃えてしまった。
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