翌朝『つるや』の前は早くから大勢の人で賑わっていた。通りに面した部屋で寝ていた数馬たちは何事か!と急いで外に出てみた。人々はある立て札を見て騒いでいたのだ。数馬もそれを読もうと人をかき分けた。それは川越城主、浅井能登守の名で記されてあった。 『藩を挙げて甘藷作りを推進する。その収穫までの期間は一切の面倒を川越城主浅井能登守が責任を持つ。速やかに甘藷作りを始めよ』 以上の内容だった。それを見た人々が口々に噂をし合っていた。甘藷って何だ。というのが一番多かったが、立て札を読み聞かせた浪人が声高に説明した。村人達はとにかくその芋を収穫するまではお殿様がオラ達の面倒を見てくれる。それだけは理解したらしく皆大喜びの様子だ。 (大津殿。恩にきる。)数馬はホッと胸を撫で下ろした。正直言って突然姿を現したエセ目付けの申し出を家老の大津頼母が受けてくれるかどうか心配だった。と、スッとその側に編み笠を被った浪人が近寄り、そこにいた人達には分らぬよう数馬をその場から連れ出した。そして人気のないところまで来ると、突然編み笠を取り、その場にひれ伏した。薄々気付いていたが、浪人は新之介であった。 「かたじけない!これで百姓達は飢え死にを免れる!私はあなたに剣で負けた。だがそれ以上に人間として追いつく事が出来ない!何卒某(それがし)を斬って下さい!」 「そうか。では。」 とばかりに数馬の手にキラッと光った刀がバッサリと斬ったものは・・・・ 「これでおぬしは侍ではなくなった。百姓の新之介として可奈さんと共に幸せに暮らすのだ。」 髷(まげ)を切られた新之介は数馬の腕に今更ながら感服した。 「鏑木殿!あなたなら茉莉殿を幸せにできる!」 「おお!その件があった。だが俺にはそれはできない。何しろ俺にも縁談があるのでな。いいか、新之介。今のお前を茉莉さんに見せるのだ。そして自分にも守らなければならないものがある。だから茉莉さんも自分の事は早く忘れ、これからのことを考えるように、と正直に言うのだ。良いな。」 「はい。承知いたしました。」 今や新之介は数馬の言いなりだった。
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