「なに?お目付が面会を?」 上代家老、大津頼母は天地がひっくり返るのかと思った。 「なにゆえじゃ!」 「内々にご家老と話がしたいとたったお1人で参られております。」 「してお目付に間違いないのか?偽者であるまいな。」 「確かに相違ございませぬ。鏑木家の印籠を拝見いたしましたゆえ。」 家来の言葉に家老の大津頼母は途端に色めきたった。 「何をしておる!早くお通し申せ!」 「はっ!」
わざと旅支度をし、大津頼母の前に現れたのは。謂わずと知れた、兄静馬になりすました数馬である。一通りの挨拶を済ませると、さて、とばかりに膝詰めになった。 「本日まかりこしたのは他でもござらぬ。ご当地に一揆の噂あり。との上申があったためでござる。大目付殿も今更藩を取り潰すのは偲びないと申され、某(それがし)に内々で調査をし、その気配あらば煙のうちに消し止めよ。と命ぜられた。その詮議のためでござる。」 堂々とした物言いにすっかり大津は騙されてしまった。 「一揆?!何としたことを!そのような不穏な動きが当藩にあろうはずがございませぬ!」 明らかに狼狽している。しかしありえないという言葉には裏がありそうだ。 「されば某(それがし)ご当地に参り少々調査いたしたところ、火になりそうな者達を発見いたしましたぞ。」 「何と!鏑木様!その首謀者の名をお教え頂けまいか!この通り。」 土下座して頼む大津。それをじっと見ていた数、いや静馬。静かな口調で言った。 「大津殿。某(それがし)は何も捕えよ。と申しておるのではない。むしろその逆でござる。その者達に一揆を起こす気を失くさせれば良い事。そのためには藩を挙げての援助が必要だ。」 「は?・・・・と申されますと?」 「そもそも一揆というものは食えぬ。というところから始まるもの。食えぬ。を食えるに変えればどうか?人間腹一杯だと悪い事は考えぬものだ。某(それがし)の申す事わかっていただけるかな?」 「はぁ。某(それがし)には一向に・・・申し訳ございませぬ。鏑木様の仰ることが難しくて某(それがし)にはわかりかねまする。もう少々わかりやすく教えて頂けませぬか?」 「これは失礼いたした。つまりだ。ご当地で甘藷の栽培を推進したらいかがかと提案したいのだ。」 「甘藷?甘藷と申しますと薩摩で取れる芋のことでござるか?」 「左様。さすが大津殿。その芋でござる。某(それがし)、栽培に成功した青木昆陽なる人物が書いた書物を以前読んだことがありましてな、それによるとこの地は薩摩よりもかなり北に位置してはいるが、気候・風土など百姓に聞いたところではその栽培に適しているのではないか、と思われるのです。いかがでござろう。一考の余地があるとは思われぬか?」 いつの間にか大津は数馬の術中に嵌っていた。ずいっと数馬の方に身を乗り出すと、 「それを栽培すれば我が藩は安泰・・・?」 「左様。某(それがし)、大目付殿には川越の一件は単なる噂であった、と報告いたしておきますゆえ、その代わり芋が収穫できるまでの間、百姓達の面倒を藩を挙げてみていただきたいのだ。藩の財政が苦しいのはわかるが、一揆が起きれば藩そのものがただでは済まないと考えれば辛抱もできるのではないか?藩主自ら質素・倹約を心がければ、民・百姓も納得してくれるはず。但し、その間も幕府の息のかかった者を間者として送り込んでおくから、少しでも百姓が苦しい目にあっていると報告があった場合、某(それがし)自ら陣頭指揮に当たって当藩の取り潰しに赴く所存。いかがであろう、協力してくれぬか?」 「―――― わかり申した。鏑木様のご提案、川越藩家老大津頼母。一身をかけてお約束いたします。・・・しかしなにゆえ我が藩にそれほど肩入れして下さるのです?」 「何もご当地だけではない。先ごろからの一揆を上様は憂えておられ、何とか未然に防ぐ手立てはないものか。と日夜策を練っておられるのだ。それを受けて某(それがし)達も奔走し、企ての噂のあるところに直接赴き、当地に合った処置を提案している。というわけでござる。」 「左様でござったか。鏑木様。この件、きっとお約束いたしまする。それゆえ大目付様には良き計らいをお願いいたします。」 「あいわかった。では!」 力強くそう言うと、サッと身を翻し川越城を後にするにわか目付の数馬であった。
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