旅籠(はたご)に戻る途中数馬は粂八に日下部家の情報を探って来るよう命じた。黙って1人娘が行方知れずになったのだから、何か事件(こと)が起きているだろうと踏んだからだ。もちろん本家に行っても門は閉ざしたままだろうから、稲の元へ行くよう付け加えた。稲は粂八の存在を知らぬはずだからと懐紙に一筆したためそれを持たせた。
1人『つるや』に戻ると、部屋から複数の楽しそうな声が聞こえてきた。何だろうと障子を開けると、茉莉が女中相手にチンチロリンをやっていた。それが賭け事とは知らない茉莉は、何度もやって見せていた。女中達も単にお遊び程度でやっていたようで、数馬はホッと胸を撫で下ろした。(これからはきちんと教えなければならない。)そう思いつつ・・・ 「おかえりなさいませ。」 きちんと三つ指をついて挨拶する茉莉に、これ幸いとばかりに女中達はそそくさと出て行った。 「うむ。――― 食事は?」 「はい。先程頂きました。」 「そうか。それでいい。ところで今は何をしていたんだい?」 数馬の質問に茉莉は可愛らしい笑顔を見せて、 「風太郎様に教えていただきましたチンチロリンをお秋さんとおきみさんとやっておりました。2人ともとても喜んでくれました。」 嬉しそうに語る茉莉を見てとても叱る気になどなれなかったが、言うべきことは言わねばならぬ。 「茉莉さん。いいか。これだけは覚えておいてくれ。あんたがやっていた遊びは庶民が手軽に出来る賭け事なんだ。あの女中達はあんたが何も知らないお姫様だから黙って相手をしていたようだが、本来は金子(きんす)を賭けてやるもの。簡単にやろう、などと誘ってはいけない。分ったかね?」 「まぁ!わたくしとんでもない事を!――― 申し訳ございませぬ。ああ!あの2人に何とお詫びしたら良いのでしょう!」 オロオロする茉莉に対し、数馬はとても優しい気持ちになった。 「あんたって人は・・・本当に優しいんだな。 何にしても分れば結構。女中達と仲良くなるのは良い事だから、いろいろ話をしてみるといい。どの位になるか分らんが、しばらくここに逗留することになるから、退屈しのぎになるやも知れぬ。」 「逗留?なにゆえでございます?」 途端に茉莉の態度が強張り、数馬に詰め寄った。 「なにゆえ?あんたは気にならんのか?黙って出てきたあんたを捜してご実家の父上や兄上がどうしているかということを。俺は家に断って出て来たし、男だから少々留守にしても特にどうということはないが、あんたは女だ。増して武家娘が黙って家を出て来たとなれば、ただでは済むまい?今頃は血眼になって捜しているのではないのか?―――― そう考えて粂八を稲さんの処(ところ)に使いに出したんだ。だから粂八が戻って来るまでここに逗留しようと思う。」 粂八を使いに出した事は本当の話なのでそう言ったが、それもいつまでの時間稼ぎになるのやら。だがそんな不安も茉莉には汲み取れないほど数馬の言葉は自信たっぷりだった。 茉莉もそう言われればもっともな話なのでしぶしぶながら承知した。 「そうと決まったら俺はこの宿場を歩いてみようと思う。あんたも何かした方がいい。俺と一緒では目立ってしまうし、怪しげな連中がいるから、外に出るのは控えた方が賢明だ。」 茉莉が目立つ、というのは的を得た言葉だったが、新之介が茉莉と一緒にならないと断言した今、数馬はむしょうに茉莉を他人の目に触れさせたくはなかった。 「はい。お秋さん達にお針を教えて欲しいと頼まれましたので、早速そのようにいたします。」 茉莉には数馬の葛藤が分らない。素直にその言葉に従った。 「ならばそうしなさい。俺はちょっと出かけてくる。もし客人があったならこちらから会いに行くからと所在を聞いておいてくれ。あ、決してあんた1人で対面してはいけない。追っ手かも知れんからな。」 「はい。」 その返事に満足し数馬は宿を出た。目的は一揆の阻止である。
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