始めはなすがままにされていたその男も、為吉の家から少し離れるとさっと身を翻し、敵意を露わにした。 「なにやつ!」 「俺は風来坊の富良風太郎。あんたは天宮新之介殿でござろう?」 「きさまっ!なにゆえ拙者の名を!」 「わけあってあんたを捜して宇都宮までいくところだった。」 「わけ?なんだ!」 「ああ。あんた。茉莉という娘御を知っているだろう?」 「茉莉?」 突然懐かしい名前を出され、敵意の表情は消えたものの相変わらず手は刀の柄を握ったままだ。 「その茉莉殿があんたを捜してこの宿場に来ている。行きがかり上俺がここまで連れてきたが、あんたがその娘を引き取ってくれるならお役ご免で俺はこのまま江戸へ戻ろうと考えている。どうだね?」 「茉莉殿がここへ。なにゆえ?」 驚く新之介に数馬は事の仔細を語った。話が終わると新之介は肩を落とし、自分のこれまでの5年間を語り始めた。 確かに茉莉とは許婚の仲であったこと。これは茉莉が日下部家の娘として生を受けたときに父と茉莉の父である主水(もんど)との間で決められた事で、5年前までは自分もそうなると思っていた。ところがその頃行なわれた御前試合である男に負けたことがきっかけとなり武者修行に出る決意をした。その後、各地を放浪するうちに宇都宮にたどり着いた。そこで世話になった庄屋の主から川越の友人を助けて欲しいと懇願され、1年前にこの地に来た。百姓達の話を聞くうち、成り行きから武器の使い方や手習いなどを教えるようになった、ということだった。 御前試合・・・・その言葉にふと数馬は思い当たることがあった。そうだ。あれは確か5年前・・・若気の至りで道場の仲間と賭けをして遊び半分でその試合に出場。あっさり優勝してしまったのだ。そういえば決勝の相手はまだ十代の若者だった。あの時は自分の正体がバレるのを恐れ、終始覆面をして出場していた・・・・その時の相手が目の前にいる男だったのか・・・ 図らずも茉莉の現在の境遇を作ってしまった原因が自分にあったことは何とも不思議な因縁・・・と驚きと同時に罪深いことをしたなと思わざるを得なかった。 「それでは茉莉殿のこと、引き受けて貰えるかな?」 その思惑を全く見せず数馬は聞いた。ところが新之介の顔が急に曇った。 「いや。それが・・・富良殿と申されましたな。こうなったのも何かのご縁。話を聞いてください。」 と新之介が言うには、 1年前から世話になっているここの庄屋、高田孫兵衛には可奈という娘があり、自分は当初から可奈に身の回りの面倒を見てもらっていた。するとどちらからともなく自然にそういう間柄になった。もう少ししたら赤ん坊も生まれるので、これを機会にさっぱり侍を捨て、町人になろうと決めたのだ、ということだった。更に手数をかけて申し訳ないが、茉莉をこのまま江戸に連れて帰って新しい相手と一日も早く祝言を挙げて幸せになって貰いたい旨、伝えて欲しいと頼まれてしまった。
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