明け六つの鐘が鳴って間もない頃、日下部家では娘の茉莉の姿が見えないと大騒ぎになっていた。現当主は茉莉の父である日下部 主水(もんど)であるが、いずれは嫡子である宗太郎が継ぐことになっていた。茉莉と兄宗太郎は3歳違いで年が近いこともあり、とても仲の良い兄妹であった。にもかかわらず、宗太郎には茉莉の不在の理由が全くわからなかった。心配事があるとどんな些細な事でも相談に乗っていたのに!その身を案ずるよりも怒りで身体中が震えていた。茉莉付きの侍女数名に自ら詰問したが、全員昨晩、夕餉の膳以降茉莉の姿を見た者はおらず、その声さえも聞いた者はいなかった。それを誰も不思議に感じなかったのは、最近の茉莉の様子からすれば致し方ないことのように思えた。縁談が持ち上がってからの茉莉は笑顔を見せなくなり、妙に塞ぎこむことが多くなって食事の時以外は部屋に篭ったきり外に出なくなっていた。ただ侍女の1人のお路(みち)という娘が部屋の中で着物を脱いだり着たりしているところを、また別の侍女お牧(まき)が草鞋のようなものを一心に履いている姿を見た、と証言した。そういったところから判断すると、茉莉は何らかの理由で自ら屋敷を抜け出したのではないか、ということが推測された。ただ外に出たことのない茉莉が自分の行きたい方角を知っていたとは考えられないので、やはり誰かが手引きしたと宗太郎は判断した。一体誰が?! 自ら捜索に乗り出した宗太郎が頭脳を最大限に回転させ得た結果は・・・元、日下部家に仕えていた稲の存在だった。だがもしそうなら正々堂々と連れて行けるはず。隠れる必要などないのだ。それでは稲ではないのか?・・・・ただ茉莉のことだから最後は稲に頼らざるを得ないのではないか、と宗太郎はとにかく稲の住む庵に向かう事に決めた。
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