「美雪」 病室の空のベッドを呆然と見つめ、本当の母は、へなへなと膝から崩れ落ちた。 「皮肉なものですな」 聞き覚えのある老人の声に彼女は振り返った。 偶然、町の商店街で出逢った不思議な手相見。 どうしても、美雪の誕生日を祝いたかった自分をクリスマスイブに救い出してくれると彼は言った。 「美雪は、美雪はどこへ行ったのですか?あなたのおかげで、ようやく夫から自由に為れたのに、どうして肝心の美雪がここにいないのですか」 老人は哀しげに涙する女性に呟いた。 「遅すぎたのかもしれません」 「私は、ただ美雪に何不自由のない生活を送らせてあげたかった。だから、そんな家を見つけたら迎えに行こうと思っていたの。でも、違っていた。お金があっても幸せになんかなれない。美雪さえいれば良かったのに。こんな当たり前の事今頃気付くなんて」 唇をかみしめた哀れな母親に老人は語りかけた。 「…あの子にとって指輪が本物か偽物かは関係なかった。ただ、持ち主を知りたかった。しかし、あの子が本当に欲しかった物は…」 何を言われているか分からない女性に、老人は一呼吸置いてから、さらに続けた。 「私もあの子がこの日に動くとは思いませんでした。あの子もあなたに会いたがっておりました」 「あの子が私に…?」 ゆっくりと老人は首を縦に振る。 彼女は立ち上がった。 その時、小さな音を立て床に何かが転がった。 しかし、彼女は気付かずに病院を後にした。 向かったのは逃げ出したばかりの家。 老人は彼女を見送ると、床に転がった小さなモノを取り上げた。 「ダイヤモンド…」 老人は目を細めて白い菱形の錠剤を見つめた。 MDMA。 エクスタシーの名で知られる非合法ドラッグの一種である。 彼女が娘を引き取れなかった理由。 現実を逃避するしかなかった母親が今になって娘を欲しがる。 「…そう、あの子にとって本物も偽物も関係なかったのですよ」 悲しい微笑は老人の顔に一つ皺を増やす。
「お母さん。コレ返す。お母さんのでしょ?」 美雪はポケットから指輪を取り出し、ロビンに手渡した。 「お母さん。ごめんね。コレ、盗んでもらったんだ。でも、これ偽物でしょ」 ロビンは見覚えのある指輪を握りしめた。
「ふう」 服部は手を払いながら、溜息を吐いた。 その周りにはごろごろと男達が倒れている。 とりあえず、美雪のいるロビンの部屋に戻ろうとした時、勢いよく正面の扉が開いた。 2階の廊下から吹き抜けの玄関を見下ろした。 長谷川宣雄とその息子のテツである。 テツは訳が分からず父親に怒鳴った。 「どういうことだよ!」 「だから、この家の奥さんが美雪の母親なんだ」 父はそう言って辺りを見た。 一瞬、男達が皆倒れているのに驚いたが、すぐに美雪を捜し始めた。
服部は急いでロビンが居る部屋に戻った。 ロビンは美雪を抱きしめていた。 服部は静かにロビン近づき、その肩にそっと手を置いた。 美雪は服部に気付きほほ笑んだ。 「ハットリ君。ありがとう」 美雪の笑顔に服部は頷く。 「お母さん。ありがとう。それに、ゴメンね。急に押し掛けてきて。私、幸せだから。お母さんも、幸せになって」 美雪はそう言うと、ロビンからそっと離れた。 「みゆき…」 別れ難そうなロビンを、服部はベランダへと引っ張った。 それと入れ替わるように長谷川親子が入ってきた。 「美雪。しっかりしろ!」 長谷川宣雄は美雪を見つけると、すぐに抱きかかえ外へと走ろうとしたが、美雪はテツに向かって振り絞るように言った。 「待って。お願いがあるの。ハットリに伝えて欲しいの。私はハットリがいてくれて嬉しかったって。ハットリの存在は私への最高のバースデープレゼントだって」 「どっちのハットリに?」 美雪はニッコリと微笑んだ。 それが服部の見た美雪の最後の笑顔だった。 「バースデープレゼントか…」 ベランダでそれを聞いていた服部は、ボソッと呟いた。 それから、隣のロビンに小さな声で言った。 「ありがとな」 「…賭けにでたわね」 自分が美雪の母親に成り済ますかどうかは服部には分からなかった筈である。 にもかかわらず服部がロビンの部屋を美雪に教えたのは賭以外何物でもない。 「いや」 服部は首を横に振った。 そして、ロビンを見て小さく微笑んだ。 ロビンは肩を竦めて微笑みを返した。 ロビンの行動を確信をもって予測したというわけだ。 「…かなわないな」 ロビンは一人呟いたが、服部には聞こえていないようだ。
老人は懐から一枚の写真を取りだした。 そこには赤ちゃんを抱いた若い女性が幸せそうな顔で写っていた。 指には偽物のダイヤモンドが光っている。 その赤ちゃんの今は亡き父親から送られたモノだ。 たとえそれがイミテーションでも、そこに込められる気持ちは本物である。あの少女は、それを知っていたのかもしれない。 老人は初雪の舞う中に現れた少女を思いだしていた。
あれは初雪の日だった。 商店街。 お下げ髪の少女はポケットからこの写真を取りだし老人に渡した。 「お嬢ちゃんが捜して欲しいのはこの人かい?」 「え?えーと。違うよ。えーと、その…。指輪だよ。その人がしている指輪」 手相見の老人は虫眼鏡でじっくりと写真の中の指輪を観察した。 そして、にっこりと微笑み、 「ここだけの話じゃが」 そう前置きし、小さな耳に皺だらけの手をそっと添えて囁いた。 「ワシは、怪盗ハットリと知り合いなんじゃよ。彼に盗ませるとしよう」 「ウソ臭いな〜」 「ハットリはハデな奴だから、きっと予告状を出して世間を騒がせるはず。そうすれば、指輪が、いや、指輪の持ち主がどこにいるか、すぐ分かるじゃろ」 「違うって。私が欲しいのは指輪だって」 「ところで、依頼料の事じゃが…」 「エー。いたいけな子供から金取るの」 「当たり前じゃ」 「チッ」 美雪は舌打ちして、小さな財布を開け、逆さに振った。 小銭が机の上に転がった。 「私の全財産。誰にも内緒だからね」 「約束じゃ。きっと、見つかるよ」 「うん。絶対ね」 欲しい物は、指輪だと偽るその少女はおさげ髪を揺らし目一杯の輝きを残して、雪の降る商店街の中を駆けていった。
美雪はクリスマスの午後、病院で父親と兄そして、本当の母親に見守られ、眠るように旅立った。 しかし、その時すでに意識はなかった。
「しけた面してんじゃねーよ。新年だっちゅーに」 そう言って来たのは、テツの方だった。 冬休み、テツには一度も会うことはなかったが、その落ち込みようは、容易に想像できた。 服部にはその空元気が少々痛々しかった。 「ああ。そう言えば、美雪からの伝言があるんだけど。と言っても、お前宛かどうか分かんねーけど。なんかバースデープレゼントがどうとかって…」 そう言ってから、テツが何やら考え出した。 嫌な予感。 「そう言えば、服部。どうしてクリスマスの夜に、あそこにいたんだ。それに、オレの親父のこと知っていたような…」 適当な言い訳が思いつかず、服部は話を変えることにした。 「テツ、知っているか?クリスマスって、イエス・キリストが生まれた日って云うのは、嘘っぱちなんだってさ。本当は、太陽が生まれた日なんだって」 「太陽が?」 「冬至さ。太陽が一度死んで、蘇る日。キリストなんかが生まれるずっと前から、その日は、みんなに祝われていたんだよ。太陽の復活を祝って」 暖かな日差しが、ゆっくりと二人を照らし始めた。
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