カシャン。
服部は、一度激しくフェンスを殴りつけた。 この感情は怒りなのか。
服部にはこの結末が理解できない。 消えるべきは自分だったのではないか。 アルに巣くう闇は自分と同質ではなかったのか。 アルの言葉は服部には理解できない。 何が変わっていたというのだ。 6年の内に何が変わったというのか。
そして、さらに16年の年月アルと共に生きた老人は動くきっかけを待っていた。 きっかけはロビンが作った。 「じいさん。病院行きたいんだけど。オレ、明日大事な会議あるから」 ロビンは右足を庇いながらフェンスを駆け上がり、ぶっきらぼうに言葉を投げた。 そして、それは老人を現実に引き戻す。 老人は重い口を開いた。 「ハットリ…。お前の母親は精神を患い、病院におった。子供を捨てた罪悪感に正気を失い、やがて“悪魔”を夢に見るようになった」 「月、luna…。精神病院、つまり、lunatic asylum、ってわけか。それで、悪魔はオレ?」 「いや、本人は“悪魔から私の子を助けて”と言っているらしい。おそらくアルはエドワードから、昔、幼いハットリを悪魔と罵っていた事を知ったんだろう」 「…次期アメリカ大統領に命を狙われるって話よりホントっぽい作り話だな」 「その手にしなければ信じられないのか?」 「さぁな」 月の光は狂気を誘う。 昔からヨーロッパ人は月が人間の精神に悪影響を与えると信じてきた。 皮肉に笑った服部は、月があるであろう方向に目を向けた。
月はない。 雲に隠れているのであろう。 「ハットリ」 突然、フェンス向こうから、ロビンはハットリ君のお面を投げる。 片手でそれを受け止めると、ロビンはニッと笑う。 それはいつのもロビンであり虎之介でもある。 「怪盗ハットリの予告状、忘れてないよな」
夜空に、一番輝く星を頂きます。
視線はツリーの頂上に輝く星を射す。 「まぁな…」 手に持つハットリ君の微笑みに、僅かに服部の表情が緩む。 老人はゆっくりと黒い瞳を閉じた。 そして、再び開いた瞳にはロビンと服部がいる。
ロビンは服部に向かい、後はお前の問題だから、と言わんばかりに肩を竦めた。 そして、老人に付き添われ屋上から去っていった。
服部はゆっくりと屋上の淵を歩き始めた。 角を曲がると、理真が未だに冷たいコンクリートの上で眠っている。 12月の夜中にずっと眠らせておく事は出来ない。 ロビンから受け取ったハットリ君のお面を被り、ゆっくりと理真の上半身を起こした。 「理真…」 何度か揺すると、理真はようやく重い瞼を開ける。 「…ハットリ?」 トロンとしたその目は、まだ夢の中にいるようだ。 理真は夢の中で嬉しそうに手を服部の掛けたお面に手を伸ばす。 「…オレは、…何者なのか?」 ピクッと理真の手が服部の声で止まる。 「それは、私の台詞でしょ。あなたは誰?」 幸せな夢の続きを見ているような理真は、無邪気にお面に手を掛け、それを取った。 「…服部君?ハハ…。やっぱり変な夢〜」
理真はまた眠り始めた。 全てを夢だと思っているのか、そして、それはよほど良い夢なのかうっすらと幸せな笑みを浮かべる。 静かな足音に顔を動かすと、見知らぬ二人の女が立っていた。 一人は大人の女性、一人は自分より若い少女、どこかで逢ったような気がした。 しかし、どうでもいいことだ。 「理真は生きているのよね?」 服部は小さく頷いた。
二人は理真を抱き上げると屋上から姿を消した。 服部は特に二人の素性は気にしなかった。 二人の表情を見れば訊くまでもない事だ。
一人残された服部は星を見上げる。
今夜、一番天辺に輝く星を。
13年前に返しそびれた想い。 今からそれを手に入れても意味のない事に思われた。 それでも、…ロビンの笑顔を思い出しお面を顔に掛ける。 これは怪盗ハットリの最後の儀式。 最後の盗みになるだろう。 服部は木を掴んだ手にグッと力を込めた。
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