肥満した男がトイレの便器に腰掛けて携帯に話しかけている。 「リ、リビングのテーブルに金庫があります。…は、はい。…はい。…あ、はい。窓からですね。分かりました。やります」 男はびくびくしながら、トイレから出てきた。 後ろから自分を呼ぶ声にすら、ビクッとして振り向いた。 「どうしたんですか?叔父さん」 「虎之介君…。そ、それにしても、何故『怪盗ハットリ』は遺言状なんて盗むんだろうな。ハハハ…」 笑う事に失敗し、顔を引きつらしたまま大道健次郎は虎之介の顔から目を外した。 「何故かは、ハットリが捕まれば分かります」 「し、しかし、相手はあの怪盗ハットリだ。そう簡単に捕まるまい」 「いえ。必ず捕まえます。大道家に、いや、私に刃向かうなんて、どんなに愚かなことか分からせてあげますよ。そうでしょう。叔父さん」 甥の冷たい眼光に、叔父は体を凍り付かせた。 その時、その間抜けな叔父は初めて自分の無謀な試みに気付いた。 自分の敵は自分など指先一つで潰してしまう程の人物であったのだ。 しかし、その間抜けさ故に、叔父は未だに、甥にこの陰謀を知られている事実に気付かずにいた。
服部は二杯目のオレンジジュースをテツに渡し何気なく訊く。 「ねぇ。テツは僕が怪盗ハットリだったらどうするの?」 テツはオレンジジュースを口に運びつつ答える。 「もちろん警察に連れていくさ」 明快なテツの答えに服部は笑った。 「テツは、僕が怪盗ハットリの方がいいの?それともソウでない方がいいの?」 「どうしてそんな事訊くんだ?」 不思議そうな顔に、僅かに眠気が見え始める。 服部はそれを確認すると後ろのアキラに肩を竦めてみせる。 そして、グラスに口を運ぶテツにもう一度視線を送る。 「何かこのオレンジジュース苦いな…」 そう言いながら唐突に眠りだしたテツを、服部は優しく抱き上げ、テツの質問に答えるように言った。 「どうしてかって?それも秘密だよ」 服部はゆっくりと隅のベンチにテツを寝かせてから、テツの頬を両手で包み込む。 「ハットリ?」 アキラの声が後ろから聞こえると、服部はテツの両方の頬をグッと抓った。 「バ〜カ」 テツのどことなく幸せそうな顔に一言投げつけ、テツから貰ったお面を手にその場を去った。
警官の制服を着た理真は木陰から、3階リビングの窓から漏れる明かりを見上げた。 側には理真が睡眠薬で眠らせた警官がいる。 (午前零時にブレーカーが落ちる。窓から金庫が落ちる。それを持って裏口から逃げる。いざとなったら遺言状を灰にして…) 理真は今夜の段取りを頭で整理しながらも、心は別にある。 「ハットリ来るかなぁ」
午後11時59分 「後1分」 長谷川宣雄は腕時計に目をやる。 広いリビングには、長谷川の他に、大道虎之介、大道健次郎、弁護士、執事の小柴、そして、5名の警官がいた。 虎之介は頭の中で、カウント仕始める。 理真はジッとブレーカーのもたらす闇を待った。 叔父の大道健次郎は手がグッショリと汗ばんでいる。 長谷川のカウントが音になる。 「4,3,2,1…ゼロ」 カチッ 闇が広がった。 想定の範囲内だ。 「非常灯を!」 長谷川が叫んだ瞬間だった。 パン!パン!パン!パン!パン! 「銃声だ!」 誰かが叫んだ。 パン!パン!パン!… 「うわ〜。避難しろ」 暗闇の中、辺りは騒然となった。
「何の騒ぎ?」 理真は顔を顰めた。 予定通りの闇だが、この銃声は予定にはない。 しかも、金庫は降ってこない。 金庫を落とすはずの人間は、銃声に驚き頭を抱え床に蹲っている。 床に蹲っている叔父を、虎之介はリビングのソファに座ったままのんびりと見下ろし、首をひねった。 「どうして、爆竹が?」 この音は銃声ではなく爆竹の音だったのだ。 突然の闇に、爆竹の音。 誰かが『銃声』と叫んだその声に、正気を失った警官達が振り回されている。 虎之介は辺りを見回した。 「静まれ。落ち着くんだ。早く非常灯を」 長谷川の声が、騒ぎに呑み込まれている。念のために持ったはずの懐中電灯を騒ぎで落としてしまい、他の警官達も銃声を間違えた音にびっくりしてそんなことも忘れている。 未だ警官の騒ぎ声や爆竹の鳴り響く騒然とした中に、違う空気を虎之介は感じた。
「イッツ ショータイム!」
その軽薄な声と共に、闇が一瞬にして光の世界に姿を変えた。 そして、光の中に非現実的な空間が形成されていた。
ピエロ。 チャイニーズ。 タキシードの紳士。 バニーガール。 サムライ。 ウサギ。 インド人 かっぱ。 セーラー服。 囚人。 警察官。
高速に点滅するフラッシュライトにスローモーションな世界。 さらにイカれた音量で唸るヒップホップやレゲエが非現実的な世界を盛り上げている。
一人落ち着き払い、呆れたような虎之介の目に真っ青な衣装が飛び込んだ。 …忍者! それを見付けた途端虎之介は低く笑った。
突然現れた意味不明の集団に理真は、呆然としたが、素早く我に返った。 「なんだかよく分かんないけど。もしかしたらチャンスかも」
「全くアキラはイカれてるよな。こんな事思いつくなんて」 酔いの回った店の連中をアキラはここまで連れてきたのだ。 自分で鳴らした爆竹に、『銃声だ』と大声を張り上げたのはアキラだ。 服部は、ここにはいないテツが用意した忍者の衣装に、ニッコリ微笑むハットリ君のお面を顔に付け笑いをこらえた。 「さて、偽ハットリ君はどこかな?とりあえず遺言状でも捜すか」 不意にロビンの事が気になる。 ロビンはこの状況にどう思うかな。 携帯で教えておくべきだったかな? まぁ、いっか。 「きっと呆れながらも笑ってるだろうな」 服部の目が長谷川を捉え、慌てて非現実の世界に紛れ込み、その途端長谷川の怒鳴り声が聞こえる。 「誰だ!お前等は!」 ニッコリ笑うウサギが答える。 「怪盗ハットリで〜す」
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