「結婚ですか?」 大道虎之介は整った顔を曇らせ、自分の父親を見た。 日本の経済界に君臨する大道グループ会長。 最も近く、最も遠い存在。 「驚くこともあるまい。お前ももう27歳だ。相手は隈田代議士の末娘だ。文句あるまい」 「……」 「浮かない顔だな。好きな女でもいるのか?それでも構わん。愛人は何人作ろうが自由だ」 老いた父に虎之介は静かな眼差しを向け、穏やかに微笑む。 「あなたがそうしてきたように?着物の似合う物静かな母より、イブニングドレスが似合う華やかな女性にいつも心惹かれておいででしたね。それとも、外へと心が向かうのは先代が建てた純日本風の家がお嫌いだからですか。お父さん」 「これは、手厳しいな」 大声をたてて笑う父親から虎之介は僅かに目を反らした。 今日は少し口が過ぎたな。 いつもより皮肉めいた言葉に自嘲した虎之介だが、目の前の父親は未だに笑っている。 ようやく父親が出ていくと、虎之介は煙草に火を付けた。 25階建て大道グループ自社ビルの最上階、社長室に煙草の煙が漂う。 「どうなさるおつもりですか?ご結婚」 美しい秘書が虎之介に近づき、細い腕をその首に絡ませた。 虎之介は煙草の火を消し、秘書の短いスカートの中に手を滑らせた。 「結婚したら、私も愛人の一人に加えることを忘れないで下さいね」 「勿論。ゲームはみんなで愉しむモノだ。私はこれでも父に感謝しているのだよ。人生のゲームを愉しむに最高の舞台を用意してくれたからな…」 言葉の続きを秘書の唇に奪われる。 去年の夏に社長に就任して以来、大幅に事業を拡大し成功を収めてきた虎之介は、業界のプリンスとしてその名を知られていた。
カコーン
獅子脅しの叩く音が秋の風を引き締める。 静寂に一本筋の通った音が響き、高級料亭の庭園に秋の香りが漂う。 虎之介はにこやかに、目の前に座る代議士の娘を見た。 「ユ、ユニークなお顔ですね」 仲人の二人が顔を引きつらせた。 虎之介らしくない失言だ。 (あちゃー) 虎之介は目の前に座るユニークな顔の見合い相手を申し訳なさそうに見た。 (褒め言葉が思いつかない) 社交辞令。お世辞。虎之介の左脳がフル回転しても、この見合い相手に合う美辞麗句が見付からない。 虎之介は心の中で溜息を吐く。
カコーン
広々とした庭園は静かに時が流れる。 見合いの席と庭を挟んだ部屋には、老人と初老の男が座っていた。 「結構なお手前で」 初老の男は老人が立てたお茶を作法通りにすすり、ゆっくりと茶碗を置いて自分よりも遙かに年の離れた人物に礼を払って言った。 老人は涼やかに微笑み、立派な庭園に目を向けた。 「この庭の紅葉は見事ですな」 老人のその言葉に、男は静かに頷き咳払いを軽くしてから話をし始めた。 「実は、私がお世話させて頂いている若旦那様のお見合いがここの料亭でありまして、お相手は隈田代議士のお嬢様なのですが…」 老人は大袈裟に驚いて見せた。 「ほほう。大道グループと、政界の大御所が手を結ぶ。これは大スクープですな」 「はぁ。私もまたとない縁談だと思って下りますが…」 「何か問題でも?」 「虎之介様があまり乗り気ではないのです。あの方は幼い頃から帝王学を始め、ありとあらゆる学問を修められ、大道グループの跡継ぎとして育てられた方です。冷たいとお考えになるかも知れませんが、結婚はビジネスにおける戦略の一つに過ぎません。虎之介様もそれは承知の筈です。血の繋がった父親にすら一線を引いて向かい合うお方です。その様な事に私情を挟む方ではございません」 「小柴殿は何か理由があるとお考えですか?」 小柴と呼ばれた初老の男は難しい顔で、老人と向かい合う。 「実は、ここ1年程虎之介様に不審な行動が見受けられまして、興信所に素行調査を依頼したのです」 「それで何か分かりましたか?」 小柴は首を横に振る。 「全く掴めません」 「では、小柴殿の考え過ぎなのではありませんか?」 「会長も、その様におっしゃいました。おそらく女のところにでも行っておるのだろうと」 「虎之介殿は女性関係が派手らしいですな」 「それは構わないのです。しかし、もし別の女性との結婚を考えていらっしゃり、それが理由で結婚を渋っておられるのなら、かなりの問題です。結婚相手と愛人の区別が付いているのなら問題はありません」 「父親がそうであったように?…これは失礼」 「いえ。いいのですよ。公然の秘密ですが、虎之介様も会長の愛人の子供です。本妻は子供の出来ない体ですから仕方なかったのです。しかし、本妻である奥様は自ら立派に虎之介様を育てられました」 今は亡き婦人に小柴は敬意を払った。 「会長は華やかな舞台や女性が随分お好きらしいとお伺いしておりますが、虎之介殿の美貌はモデルの愛人譲りのものですね」 「さすがに、よくご存じですね。そこで、先生に虎之介様の素行調査を御依頼したい。先生はその道のプロだとお伺いしております」 老人の瞳が赤い紅葉の色に染まった。
カコーン
「冗談じゃねぇよ。何でオレがあんなクマと結婚しなきゃなんないんだよ」 一時庭園へと避難した虎之介は、池の側でしゃがみこみ、中で泳ぐ一千万円相当の鯉を睨み呟く。 「これは見事な鯉ですな」 静かな声の先を見上げると、一人の老人が池を覗いていた。 「先ほど小柴殿に相談を受けましてね」 「小柴に?」
カコーン
一葉の紅葉が池に舞い落ちる。 「…と言うわけで、小柴殿に素行調査を依頼されたのじゃが、どうする?ロビン」 老人は微笑みながら虎之介を見下ろした。 「素顔の時にその名前で呼ばないで下さい」 虎之介は苦笑いを浮かべ老人に言った。 「だいたい、あなたが一番よく知っているでしょう。僕がその時何をしているかは。あなたが僕をこのゲームに誘ったのだから」 「そうじゃったな」 「ところで、あなたはこんな所で何をしていらっしゃるのですか?まさか、小柴の愚痴を聞きに来たわけではないでしょう?」 「少し調べたいことがあってな。小柴殿には偶然会った」 「あなたにも分からない事があるんですね」 秋の穏やかな風が素顔のロビンを静かに撫でる。 「たっ、大変です。虎之介様」 不意に静寂がうち破られ、振り向くと血相を変えた小柴が走って来る。 「会長が倒れられました」 「父さんが?」
カコーン
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