「なんだか陳腐な友情ね」 有限の空々しい言葉の契約。 大人になったら、決して口に出来ない言葉での確認。 一生っていう名の不確かな時間には、変わらないとは言い切れない。 でも、これは、期限付き。 有限だから、守られる安心。
ロビンの赤い唇から煙草の煙が吹き出した。 病院内の喫煙席に服部と共に座り、沙里奈の病室に仕掛けた盗聴器に耳を傾けていた。 「それにしても、よく分からないわ。私達にどうしてこの仕事させるのかしら?そう思わない。いつ死ぬか分からない人間相手に」 「だから、こうして毎日来ているんだろう」 「でも、ずっと見張ることなんてできないわ。そもそも見張る必要なんてない筈よ。角膜は死体から8時間以内に切り取ればいいわけだし、角膜は栄養液の中で数日の保存に絶えられるわ」 「そうなんだ」 ポカンとロビンを見る。 「移植手術が可能って事は、彼女は一生目が見えなくなるわけじゃない。アイバンクに登録すれば、2年以内で移植手術を受けられる。アメリカに行けば遅くても2ヶ月以内で移植手術を受けて目に光が戻るわ。アメリカに行けばだけど。日本のアイバンクのシステムはいまだ未発達だわ。アメリカのアイバンクは…」 そこまで言って、ロビンは綺麗な顔を歪めた。 自分が言ってしまったことを後悔した顔だ。 時々、ロビンはそんな顔をする。 「ロビンって、本業はなんなんだ?」 その顔は服部が覚えた数少ないロビンの素顔だ。 「眼科医じゃないわ。ゲイバーのママって言わなかった?それに、私もハットリの正体知らないわ」 煙草の灰がぽとりと灰皿に落ちた。 「何言っているんだよ。いつも人の学校に押し掛けといて」 「平凡な高校生?平凡な中流家庭の一人息子?それはハットリの一部でしょう。私が知りたいのはルーツ」 「ルーツ?」 赤茶色のマニキュアの爪は、イミテーションだろう。 長い爪は煙草の先を灰皿に押し潰し、腕時計をチラリと見た。 「どうでも、いいけどね。帰るわ。じゃあね」 ウインクを服部に投げ、軽やかなハイヒールの音を立てロビンは去って行った。 結局、服部は一人で病院の庭を眺めることになった。 「確かにロビンの言うとおりだ」 いつ死ぬか分からない相手を待っているなんて馬鹿げている。 服部はぼんやりと人気の少ない病棟の喫煙室で老人の指示を思い出していた。 (沙里奈は間もなく死ぬ。院長とは昔馴染みだから、全てを承知で執刀も院長自らする。院長以外は知らない。手術室まで人目に付かないように死んだ沙里奈を運び、涼子を連れてくるのが二人の役割だ。) 老人の指示はそれだけだった。 服部はアルとの会話を思い出していた。
「目だよ。もしかしたらアルは知っているんじゃないのか。1年前からその依頼があったらしいから」 服部の質問にアルはゆっくり頷いた。 「ああ、知っているよ。1年前の今頃だったなあ、ミスターが持ち掛けてきた仕事だ」 1年ぶりに英語のアシスタントティーチャーとして服部の前に現れたアルは、綺麗なブリティッシュイングリッシュで答えた。 「僕はその仕事が気に入らなくて、1年前、タイチ達の前から姿を消したのさ。タイチは知らなかったのか?」 「オレは聞いていないよ。でも、そんな大した仕事じゃない」 そう言いながら服部は、今回する仕事の金の出先が気になった。 おそらく沙里奈からだ。 大した額ではないだろう。 「金か?」 アルは首を横に振る。 「僕は前々からミスターのやり方が気に入らなかったのさ。それより、僕の後釜は随分派手なパートナーじゃないか?」 「アルと仕事していた6年間は警察にその存在すら知られていなかったからな。全く困っているんだ。じいさんが見つけてきた新しいパートナーは派手好きで。でも、オレは奴の正体すら知らないんだ」 「へ〜。是非会ってみたいな。予告状のコトといい実に面白いじゃないか」
アルは本当に楽しそうに微笑んでいた。
順番待ち。 アイバンク登録していれば、いずれ光は涼子の瞳に戻るだろう。 戻らなくていい。 そう思うのは、いずれ得られる余裕からだろうか? ボランティア好きな母は、アメリカに行こうと言った。 2年も待てない。 十代の青春を闇で過ごさせるのは忍びないと。 でも、順番を待とう。 光はそこにあるのだから。 とても、暖かな光が、そこにあるのだから。 いずれ、消えるとわかっている光は、とても暖かい。 「涼子は目が見えるようになったら、始めに何が見たい?」 沙里奈の質問に涼子は微笑んだ。 「沙里奈が見たい」 見たことのない親友の顔を涼子は想像した。 事故のとき、涼子は沙里奈の顔を見ていない。 幸せそうな涼子の笑顔に沙里奈はクスッと笑って答えた。 限界までモルヒネを打ち込んだ沙里奈に痛みはない。 苦しいだけの抗がん剤もすぐに止めた。 「それは、無理ね。きっと最初に見るのは医者よ」 その声は明るかった。 その明るさに涼子は気付かない。 その言葉の意味に。 そして、これが最後の沙里奈の輝きだと言うことに。
麻美は、携帯電話をバッグから取り出そうとした手を止めた。 病院内に入る前に切っていたのだ。 仕方なく財布から十円玉を何枚か取り出して、公衆電話へ向かった。 「絵里お姉さま。麻美です」 『連絡遅いじゃないの。で、そっちは?』 「離婚は秒読みですね。会社の経営の方もかなり息詰まっています。1年前までは傲慢な経営で他の貿易会社からは異端児扱いを受けていましたけど、かなりの実績がありました。ところが、去年の夏頃から始めた中国進出に失敗しています。後から来た大道グループの貿易会社に、栗原自ら開拓した中国の取引先を全て横取りされています」 『予想通りね。今日の栗原の行動に変更は?』 「ありません。恐らく昼間には知り合いの紹介という形で彼に会いますわ」 そう言ってから麻美は、水色のワンピースに目を止め早々に電話を切り上げた。 「涼子さん。もう、いいのですか?」 「麻美ちゃん?今日は雨が降るらしいからもう帰るわ。また、明日来るから」 涼子の微笑みが麻美の前を通り過ぎる。 涼子の手を取りゆっくりと歩き出す麻美の瞳が、窓の外へと動く。 西から威圧的な入道雲が、ゆっくりと流れてくる。
「帰った?」 服部は沙里奈の病室を覗き込んだ。 沙里奈はコクンと頷く。 「彼女、本当に毎日来ているんだな」 「あの事故から毎日よ。最初、あの子の事嫌って、責めて、拒否してたな。なのに、毎日来るんだもの」 凍り付いた心を、時間を掛けて溶かしてくれた。 もう、携帯もスケジュール帳も必要ない。 沙里奈はただ、涼子が来るのを待った。 待つ時間さえも暖かい自分の心を感じられる穏やかな日々だった。 「外は、暖かそうね」 「違うよ。暑いんだよ」 服部は少しウンザリした顔を沙里奈に見せると、窓の側に行き空を見上げた。 ギラギラと照りつける太陽を入道雲が呑み込もうとしていた。 「今夜は雨だな」 「ねぇ。服部は生きてて、楽しい?」 「え?」 突然の沙里奈の質問に服部は何も答えられなかった。 しかし、沙里奈は服部の返事を期待していないようだった。 その瞳は真夏の太陽から零れ落ちる光を嬉しそうに見ていた。 「私ね。夏が一番好き。光が溢れて意味もなく幸せになれるような気がする」 「太陽は一年中輝いているよ」 「でも、夏が一番でしょ。夏に涼子と出会った。そして、涼子が私に生きる光をくれた。…そろそろ返してあげないとね」 太陽から溢れる光が沙里奈の瞳に反射しキラキラと輝いていた。 眩しい光に晒された深い闇は、さらに暗い影を落とす。
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