綾香は一人で部室へ向かった。学内の奥まったところにある、汚い部室等。 三階の吹奏楽サークルの練習場に入ると、乱暴にドアを閉めた。
「・・・迷惑、だって」 「つらいとか重荷だとか言ってるけど、それでもあの子とつきあってるってことは、口で言うほど私に思いがあるわけじゃないってことでしょう」 「そもそも、何であんな子がいいの。男に媚びるようなあんな女」
笑顔はない。無表情で、呪文を唱えているかのような低い声が響く。
「迷惑、って言われちゃったのか」 窓際のカーテンの向こうから、ライターのカチッという音と重なって落ち着いた違う声が響く。綾香は表情を変えず、その方向へ目をやる。 「はい。迷惑で重荷でつらいんだそうです」 「あいつらしいな、その言い方」 修平はゆっくりと綾香の方へ歩み寄る。黒いフレームの眼鏡の奥では、細い眼が綾香をまっすぐ見据えている。 「綾香ちゃんの毒も、今日で何度聞いたか分らないな」 「修平先輩以外には聞かせられませんよ。いつもニコニコの綾香ちゃんで通ってるんですから」 にこりともせずに、綾香は呟いた。
颯太に彼女ができたとき・・・よりによって、綾香の嫌いなエリとつきあい始めたとき、綾香は部室に駆け込んだ。 誰もいない部室でわんわん泣き、一人でさんざん悪態をついた。すると涙が収まった頃に、奥の道具庫から修平が顔を覗かせたのだ。 「悪いな、出てくるタイミングを失ったもんで」 それ以来、修平は綾香の毒のはけ口となっている。
「・・・で、どうすんの」 「分かりませんけど・・・まだ好きなんですよね。これだけ言われても。情けないです」 修平は小さくうなずいて、 「情けなくないよ。そんなもんだろ、人を好きになるって」 と笑った。綾香も少しだけ歯を見せる。 「たぶん今夜も、『でも好き』ってメールすると思います」 「綾香ちゃんらしいよ。じゃあ、俺もまた言おうかな」 「え?」 思わぬ言葉に、綾香は一瞬戸惑う。修平は、表情を変えず笑顔のまま口を開いた。
「俺は、毒を吐くお前のことも好き。俺にしときなよ」
綾香は一瞬目をふせて、そして首を振った。 「ごめんなさい」 修平は、あははと声をあげて笑った。 「オーケー。でも俺も、何度でも言うからさ。その代わり何度でも毒聞くから」 ありがとうございます、と綾香も笑った。
何度思っただろう、この人を好きになれればどんなに楽かと。 自分と似た者同士である、この人のことを。 それでも、颯太への想いは変えられない。 気持ちを動かせないことは承知しているが、それでも毎日「好き」と言いたい。 陳腐な言葉だけれど、気持ちがあふれて止まらないのだ。 どうしても、どうしても。
何度思っただろう、かなわない恋をしている人を振り向かせようだなんて甘い考えだと。 たとえ振り向かせられたとしても、それは相手の弱みに付け込んだだけだと。 しかし、あの日、彼女の涙と理不尽とも思える感情の波を目の当たりにした日から、自分の気持ちは抑えられなくなっている。 だから毎日でも言おう、君のことが好きだと。どんなに醜い姿でも好きだと。 それが俺なりの愛情表現。たとえ伝わらなくても。
気長に待とう。いつまでも、いつまでも。
Fin
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