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作品名:足踏み 作者:蕗屋 久志

第2回   勝者と敗者
浪人に予備校は不可欠だ。世間には宅浪と呼ばれる、家から出ないで一人で勉強する浪人形態もあるが、よほどの決意が必要だ。稔は両親に頭を下げ、一年間の予備校に通う許しを得た。
 稔が卒業した公立高校は県内でもトップの成績を誇り、卒業したものはほぼ全員が大学へ進学する。その多くが地元のT大である。現役合格できなかった場合、滑り止めの私立大へ行くよりは、浪人するものの方が多かった。稔の両親としても、日ごろの稔の様子から、K大現役合格が難しいことはわかっていた。受かったら奇跡と思っていたので、一年の息子の浪人は想定内であった。
 稔は地元の大手予備校の一つB塾に入学した。予備校の初登校日は試験であった。まず初めにその年の入学生全員が同じ試験を受け、最初の学力をチェックする。その初登校日が地元T大の入学式の日と重なっていたのは、偶然であるのか、あるいは予備校側が意図的に設定したのかは定かではない。しかしながら、その日の朝は予備校に向かう浪人生と現役でT大合格を果たしたT大一年生がほぼ同時刻に電車に乗るようになっていたのだった。
 不合格の通知を受け取ってから、予備校初登校日まで特にすることは無かったが、今後一年間勉強漬けの生活になることを考えると、稔は殆ど家でボーっとして過ごした。何度か映画を見に行ったりもした。高校時代は学校をサボってまで観に行っていた映画も、予備校が始まってから大学に受かるまでは絶つことを心に決めていた。
 初登校日の朝、今日から一年間映画はおあずけか、などと考えながら、稔は最寄りの地下鉄の駅まで自転車を走らせた。そして切符売り場の前まで来た時、スーツ姿の若い男二人と、異常にめかしこんだ中年の女性が四人で楽しそうに話をしているのを見た。明らかに今日のT大の入学式に向かう二組の親子だ。改札を通らないところを見ると、もう一組ぐらい他の親子が駅に到着するのを待っているのだろうか。今の稔にとってその光景を見るのは苦しみ以外の何物でもなかった。
「ふん、厚化粧しやがって、オバハンめ」
オバハンは何も悪くないとは分かっていながら、稔は心の中で悪態をついた。そこで、稔は気がついた。よく見ると、スーツ姿の二人は稔の同級生の佐藤と菊池であった。二人とも稔と同じ中学で、同じ高校だ。中学時代はいつも学級委員をやり、成績も優秀なので推薦で県内トップの高校に入学した。まさに優等生である。方や稔はといえば、中学時代は生徒会に所属してはいたものの、成績が悪いため推薦希望は出したが、校内選抜ではじかれた。その後稔は一般入試で高校に合格したのだが、校内選抜で落とされたことを根に持って、むやみに当時の中学校の校長を呪ったものだった。佐藤と菊池は高校でも成績は優秀で現役でT大合格を果たした。今日は家族ぐるみで仲良く入学式に向かうということだ。高校時代、稔が学校の帰りにエロ本を買うのを二人はいつも軽蔑していたくせに、稔が浪人する際エロ本を処分しようとした時、捨てるくらいならともらっていった二人が稔は気に食わなかった。
「ここで出くわすとはついてないなア」
 稔は自らの不運を呪ったが、彼らの前を通らないと切符は買えない。稔が二人のことに気がつくのとほぼ同時に、二人も稔の姿に気がついたようだった。勿論稔がK大に落ちたことを二人は知っている。突然の稔の登場に二人は戸惑った。
「あ、稔……」
 佐藤の方が話しかけてきたが、かける言葉が見つからない様子だ。
「おー佐藤」
稔はそれだけ言うと機械に小銭を入れた。切符が出てくるまで、無言である佐藤と菊池及び彼らの母親の視線が深く背中に刺さってくる感じがした。
 切符を取ると、稔は改札へ向かったが、何も言わずに立ち去るわけにもいかない。思わず口から言葉が出た。
「じゃあ俺、予備校行ってくるわー」
 あまりの情けなさに一刻もその場を立ち去りたかった。佐藤と菊池はずっと黙っていた。改札を通ると無意識に稔は駆け足になっていた。
「今の走り去る俺の後ろ姿はどれほど惨めなんだろナア」
 稔は走りながら、今この瞬間の自分の後ろ姿を想像した。
 方や受験を失敗し、予備校に試験を受けに行く者。方や大学合格を決め、その走り去る浪人生の背中を見つめるもの。まさに人間交差点だと稔は思った。
「稔、落ちちゃって可哀想になあ」
 などと言ってみせ、腹の中では嘲笑している佐藤と菊池の姿を稔は電車の中で想像するのだった。


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