――これが? ステファンは拍子抜けした。魔法使いなんてどんな場所に住んでいるんだろう、と好奇心をもっていたが、思ったより質素な建物だ。 夕陽に染まる二階建ての屋敷は、おびただしい植物に囲まれていた。玄関ドアの上部には半円形の飾り窓が光っている。黒々とした木組みに白い漆喰を塗り重ねた外壁は、アイビーが我が物顔でびっしりとはりつき、あちこち傷んで修復の跡が見える。 こじんまりとしていて古く、ステファンの田舎の家といい勝負だ。 「もっと奇妙な、おとぎ話みたいなのを想像してた?」 ステファンの表情を見てオーリがニヤニヤ笑っている。 「あ、いいえ、そんなんじゃ……」
突然、庭の茂みがガサッと動き、真っ赤な影が飛び出した。 影の主は赤い髪の娘だった。驚くステファンの前で剣を構え、立ちはだかる。 「何者か! この庭に踏み込むとはそれなりの覚悟があるんだろうね!」 ステファンはヒャッ、と叫んでオーリの後ろに隠れた。 「エレイン、酒臭いよ」 オーリは鼻先に剣を突きつけられて涼しい顔をしている。 赤毛の娘はすぐに白い歯を見せて剣を下げた。 「ふふん、お先にいただいてまーす」 「お客より先に飲む奴がいるかい? アトラスが来ると言ってあるのに」 「平気よぉ、あいつ、あたしの弟分だもん」 エレインと呼ばれた娘は、そこで初めて、呆気に取られているステファンを覗き込んだ。 「ね、かわいい……誰?」 「今日からわたしの弟子になる子だよ。使い魔が知らせて来なかった?」 「あ、あの、ステファンといいます、よろしく」 さきの翼竜とのこともあったので、ステファンはこわごわ挨拶した。 「ステファン、この人はエレイン、わたしを守護している竜人だ」 守護? 竜人? それにアトラスが弟分って? 意味が分からずステファンは当惑して、エレインと呼ばれた娘を見上げた。 赤毛といってもここまで真っ赤な髪があろうか。頭の斜め上で一つ結びにした巻き毛は、さながら花房が垂れているかのようだ。緑色の大きな瞳が輝く精悍な顔は、化粧っ気がなく日焼けしているが、なにか人を惹きつけずにはいられないものがある。しかし気配は、人間の若い女性というよりはむしろ、さっきの翼竜に近い。 だいいち、なんて格好をしているのだろう? 真夏とはいえ、短い胴着と短いズボンだけなんて。ヘソまで出ているじゃないか。すらりと伸びた腕や脚の外側には、刺青のような装飾模様が、長く指先まで続いている。足元は古代人のような編み上げサンダル。ステファンの母が見たら卒倒しそうな格好だ。 「ステファンか、ふうん……」 緑の瞳に、光が走った。ステファンはとっさに後ずさりしようとしたが、頭をガシッと捕らえられてしまい、 「かーわいい、かーわいい、かわいーい!」 と、さんざん頬ずりされて、悲鳴をあげた。外見に似合わずものすごい力に、頭が潰されそうだ。 「こらこらエレイン、いきなり失礼だよ」 「だって、人間の子供なんて久しぶりだもーん」 「エレイン様! いいかげんになさいまし、泣いてるじゃありませんか!」 誰かの声にエレインが腕を放してくれたので、ステファンはやっと呼吸ができた。情けないが、本当に涙が出ている。 「エレイン様は手加減を知らないんですよ、まったく。坊ちゃん大丈夫?」 「マーシャ、その子を頼むよ。わたしはこの酔っ払いを中庭に連れて行くから」 酔っ払い、という言葉に抗議したそうなエレインの腕を取って、オーリは家の中へ消えた。 ステファンはマーシャと呼ばれた白髪の老婦人を見た。さっき助けてくれたのは、この人だ。 「あの、ぼく……」 「ステファン坊ちゃん、でしょ?」 マーシャはにっこりと柔和な笑顔を向けた。鼻先の小さな眼鏡が上品だ。 「オーリ様からうかがっておりますよ。まあまあ遠い所から……疲れたでしょう?」 そう言いながら長いエプロンをつけた腰をかがめ、トランクをよいしょ、と持ち上げようとする。 「あ、ぼく自分で持ちます、重いから」 ステファンは慌ててトランクを持った。 「まぁま、坊ちゃんはお優しいんですねぇ」 なんだか、この人の声は独特の訛りがあって心地いい。ステファンは気分が和んだ。 「申し遅れました、わたくしマーシャと申します。オーリ様がお小さい頃、お世話させていただいた者です。このお屋敷に住まわれるようになってから、家政婦としてまた雇っていただいておりますが。坊ちゃんを見ていると昔を思い出しますわねぇ」 マーシャは実に嬉しそうだった。
「ここが坊ちゃんに使っていただくお部屋ですよ。急いで用意しましたから手入れは行き届いておりませんが……」 マーシャに案内された二階の部屋には、涼しい夕風が流れ込んでいた。 古い木づくりのベッドと、チェストと、折りたたみ式の机。そのどれもが長年使い込まれたようにつつましく光っている。決して広くはないが、清潔に整えられた部屋だ。 「ここ、だれか子供が住んでたんですね……」 思わずステファンはつぶやいて、しまったと思った。 「そうかもしれませんねぇ、お屋敷も家具も、古うございますから」 マーシャは少しも気味悪がるふうもなく、にこにこと頷いている。 「荷物の片付けはほどほどにして、早く下に降りてきてくださいな。お腹が空いているでしょう?」
ステファンが一階に下りて行くと、美味しそうな料理の匂いが漂っていた。 キッチンから中庭に続く扉が開け放たれ、軒下には古い木のテーブルが置かれている。芝生では竜人エレインと翼竜のアトラス、そしてオーリが酒樽を囲んで談笑していた。 「お、ステファン、やっと来たね」 オーリは素朴な木綿のシャツに着替え、長い銀髪は後ろに束ねていた。 黒いローブを着ていた時とは随分雰囲気が違う。 「ねえマーシャ、やっぱり鳥を獲っといて正解だったろう。ステファンの歓迎のご馳走が一品増えた!」 オーリは子供のようにはしゃいでいる。 「エレインも味見くらいしてみれば? マーシャの料理は絶品だよ」 「やなこった、火を通した肉なんて」 「人間は料理して楽しむものなんだってば。僕は好物なんだけどな」 あれ、とステファンは思った。オーリは昼間、確かに自分のことをを「わたし」と言っていたのに。「僕」口調で他愛ないおしゃべりをするオーリはいたって普通の青年に見える。あんなに長髪でなければ、そして同席しているのが竜人や翼竜でなければ、誰も魔法使いとは思わないだろう。
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