考えてみれば、母ミレイユがなぜ魔法ぎらいなのか、ステファンはその理由を一度も聞いた事がなかった。ただ『叱られるから』という理由だけで、母の前では自分の力を使うことも魔法の話をすることもタブーにしてきたのだ。 『ミレイユ』という言葉に反応した光のうち、本ではなく箱の中から発せられたものがあった。 開けてみると、中身は古い手紙の束だ。どれも開封済みだが、その差出人の細い文字は、確かに母ミレイユのものだった。 「ミレイユ・リーズ?」 ステファンはサインを見て首をひねった。リーズといえば母の旧姓だ。封筒をひっくり返して消印の日付を確かめると、どれも十二、三年前の古い日付になっている。つまり、まだ両親が結婚する前のものだ。 ステファンは手紙の束を手にして戸惑った。 両親の若い頃の話など聞いた事もないし、今まで気にした事もなかったが、娘時代の母ミレイユがオスカーに宛てた手紙だと思うと、急に眩しく思えた。 きっとそこにちりばめられた文字は、父と母だけの大切な言葉だ。いくら息子でも、ステファンが勝手に読んでいいとは思えない。 けれどその中に、一枚だけ葉書があった。細かい文字でびっしりと書かれている。 葉書なら――そう思ったステファンは、心の中で母にごめんなさいを言いながら文字を目で追った。 意外にもそれは、母の兄姉について書かれたものだった。 『兄や姉は昔から、物を浮かせたり、見えないはずのものが見えたりできるというのです…… 私は信じません。そんなものは自然に反する、不道徳な力です。 その証拠に兄たちは皆、不幸な亡くなり方をし…… 十三人のうち……私だけでも正しい人間として生きていこうと……』 ところどころインクが消えかかって読みにくい文字を拾い読んでいたステファンは、信じられないという表情で顔を上げた。 「変だよ! お母さんのきょうだいって、魔女や魔法使いだったの? ぼく、聞いた事ないよ」 「魔力ヲ持ッテイルダケデハ、魔女ヤ魔法使イトハ言エナイ」 ファントムは落ち着いた声で言った。 「あ、そうだね。お父さんだって魔力を持ってたらしいけど、魔法使いってわけじゃないってオーリ先生が言ってた。 ねえファントム、さっきお父さんの日記の中で『兄たちのような目には遭わせない』ってお母さんが言ってたよね。それって、伯父さんたちが魔力をうまく使えなくて不幸な死に方をしたってこと? この手紙に書いてあるのも、そういうこと?」 ファントムが質問に答えないことを知っていたので、ステファンはぶつぶつと独り言を言った。 「だとしたら、ぼくの力はお父さん譲りってわけでもないのかな。あれ? でもお母さんには魔力は無いんだ。それじゃ……」
「へへーん、みそっかすのミレイユ!」 突然、子どもの声がして、ステファンはびくっと顔を上げた。 薄暗がりの中にぽっかりと明るい空間があり、そこに何人かの子どもが立っている。 子どもたちの輪の中に、ひときわ痩せて小さい女の子が見えた。 女の子はぎゅっと口を引き結んで、目の前の大きな男の子を睨んでいる。 「おいミレイユ、こーんなこと、できるか?」 男の子は手の上で棒つきキャンディーを浮かせてみせた。 「俺たちはみんなできるぜ。お前にもできるんなら、キャンディー分けてやるよ」 女の子は懸命に手を伸ばしている。その小さな指先をかすめて、からかうようにキャンディーが踊る。 「ほら、ほーらあ、捕まえてみろって。できないのか?」 「無理よ、ミレイユったら変わり者なんだから。みそっかすのミレーイユ!」 大きな子どもたちがゲラゲラと笑う中で、小さいミレイユは灰色の目にいっぱい涙を浮かべている。 ステファンは見ていてむかむかとしてきた。まるっきり、ステファンが学校でいじめられていた時と同じ光景だ。 「やめろよ!」 ステファンは思わず手近にあった本を男の子に投げつけた。 が、本は男の子の体をすり抜け、向こう側の壁に当たって落ちた。と同時に目の前の光景もかき消えてしまった。
「ヤレヤレ。ファントムノ助ケモ無シニ、イキナリ意識ヲ引ッパラレタカ。オマエ、イマニ壊レルゾ」 肩で息をするステファンの頭上で、ファントムが呆れたようにつぶやいた。 「だい……じょうぶ、三度目だもの、慣れちゃったよ……」 ふらつきながら、ステファンは無理して笑ってみせた。 「それよりさ、なぜお母さんがあんなに魔法を嫌うのか、少しわかった気がする」 ステファンは葉書の文字をもう一度見つめてから、丁寧に箱の中に戻した。 十三人ものきょうだいの中で『ひとりだけ違う』と言われ続けたミレイユは、どんな気持ちだっただろう。 集団の中で異端視される悲しさや怖さは、ステファンには痛いほどわかっていた。 母は、魔力を持たなかったために。 自分は、魔力を持ってしまったために。変わり者と言われ、普通ではないと言われるなんて。 それじゃ、異端って何だろう? 普通ってなんだろう? 「ばかみたいだ」 ステファンの目に再び涙が浮かんだ。けれど今度は自分の為ではない。母と、その兄姉の為の涙だった。 「ねえファントム。もし伯父さんたちにオーリ先生みたいな師匠が居たら、魔力のために不幸な死に方なんてしなかったよね? 伯母さんたちだって、あんな意地悪にはならなかったよね?」 「答エナイ」 ファントムはいつもの調子で言いながら、なんだか嬉しそうな表情になっていた。
ステファンは保管庫の天井を見上げた。いつの間にか四角い窓のような出口が戻って来ている。 「ココカラ出タイカ?」 「うん。外に出て、先生に会いたい。会って、ここで見たこと全部、話したい」 「ウィ、ウィ。ソレナライイ」 出口の光がみるみる近づいてきた。ステファンは手を伸ばし、保管庫の縁にぶらさがった。
「ステファン!」 「ああ、やっと帰ってきた!」 出口からオーリとエレインの顔が覗き込んでいた。二人は両側からステファンの手をつかみ、そのまま保管庫から引っ張り出してくれた。 「先生……エレイン……」 「いつまでたっても書庫から出てこないから心配したぞ。まったくなんて子だ!」 言葉とは裏腹に、オーリの目は嬉しそうに輝いている。 二人の顔を代わる代わるを見るうちに、ステファンはホッとすると同時に猛烈な眠気に襲われた。 「先生……ごめんなさ……」 言い切らないうちに、ステファンはオーリの肩に頭をぶつけて、いびきをかき始めた。
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