再びの、言葉の渦。 ステファンはなんとかこらえようとしたが、幾千の音叉が頭の中で鳴り響くような感覚に耐えられず、結局あの憎たらしい仮面に助けを求めてしまった。 「ファントム!」 すかさず冷たい金属が顔に貼り付く。情けないが、この仮面の助け無しにこの渦を乗り切ることはできないようだ。
ここは、どこだろう。 古いゴブラン織りの椅子と猫足のテーブルには見覚えがある。そうだ、ここはステファンの田舎、黄色い屋敷の中だ。 窓の外は激しい雨が降っている。部屋の中では、退屈した顔で幼いステファンがむずがっている。 「ほうら、できたよ、ステファン」 居間の入り口に現れたのは父オスカーだ。紙を切り抜いて作ったハトをテーブルに乗せて微笑んだ。 「やってみてごらん」 幼いステファンは嬉しそうに目を輝かせ、テーブルに向かって叫んだ。 「ククゥ、つかまえた!」 その声に応じるかのように、テーブルにあった紙のハトがひらひらと舞って、小さな掌に落ちてくる。 ああそうだ、と見ているステファンは思い出した。「ククゥ」は父がよく作ってくれたハトだ。こんな小さな頃から遊んでいたっけ。 ところがそんな感慨も、聞き覚えのある声に吹き飛んだ。 「オスカー! なんて遊びをさせてるの!」 ステファンは緊張した。家でよく聞いた、母のヒステリックな声だ。 母はひきつった顔で幼いステファンを抱き寄せると、「ククゥ」をむしり取るようにして言った。 「こんな遊び、しちゃいけません!」 「ミレイユ、別にいいじゃないか。この子は才能があるんだよ」 呑気な口調で言うオスカーを、ミレイユはキッと睨んだ。 「そんな才能、要りません。あたくしの息子は、兄たちのような目には遭わせないから!」 幼いステファンは母の剣幕に驚いてか、泣き出した。ミレイユは構わず、ステファンの手を引っ張って居間から出て行ってしまった。床の上に残されたクシャクシャの「ククゥ」を拾い上げた父オスカーが、やれやれという風に首を振る―― 風が吹く。本のページをめくるように、目の前でいくつもの場面がせわしなく入れ替わる。 その中のいくつかの場面は、ステファンの記憶にもあるものだった。 オスカーが教えてくれた言葉探し。初めて乗せてもらったスクーター。不思議な魔術道具のコレクション。銀髪のオーリの姿もかいま見えた。そして―― 「何度言ってもムダですわ。魔法なんて、この世には存在しないんです。ステファンは普通の子供で充分。オスカー、どうしてもこの子の変な力を認めさせたいというのなら、あたくしにも考えがあります」 凛とした母の声が聞こえた。暖炉に火が焚かれているところをみると、ここは秋か冬だろうか。 暖かいはずの居間の中は、凍りつくような空気になっている。険しい眼差しを向けるミレイユの次の言葉を、ステファンは覚えていた。 「夢見たいなことばかり言って。あなたは遺跡やコレクションと結婚すれば良かったんですわ。あたくしは決めました。オスカー、あなたとは離……」
「やめてーっ!」 ステファンは耳を押さえ、目を閉じた。途端に顔に貼り付いたものが剥がれて、床に落ちる音がした。 目を開けると、元の保管庫の中だ。ステファンは崩れるように座り、そのまま仰向けに倒れた。 「原因はぼくだったんだ……」 仰向いたまま、ステファンは苦しい呼吸をした。頭が割れそうに痛み、目の端に涙がこぼれた。 「お母さんが機嫌悪かったのも……お父さんが出て行ったのも……ぼくが変な力を持ったせいなんじゃないか! こんな力のせいで……」 「ダカラヤメロト言ッタンダ」 ステファンを覗き込むようにして、ファントムが宙を漂っている。泣き顔を見られるのが嫌でステファンは腕で顔を隠したが、こらえられない泣き声が喉の奥から込み上げてくる。 もういいや。どうせファントムなんて仮面じゃないか。他には誰にも聞かれないからいいや。そう思うと、ステファンは小さい子供のように大声をあげ、床に突っ伏して泣きだした。
どのくらいそうしていたろうか。 さんざん泣くだけ泣いて、ステファンは気が抜けたようにのろのろと起き上がった。 「……ファントム、君はお父さんのこと知ってたの?」 「ノン、ファントム、答エナイ」 いちいちカンに障る言い方だ、と思ったが、ステファンにはもうファントムをつかまえる気力はなかった。 「いいや、もう。変な力なんていらない。魔法なんて勉強したって、意味ないよ……」 「ケーッケケケ!」 ファントムが再び笑いだした。 「ヤッパリ弱虫ダ。弱虫、泣キ虫、イジケ虫ー」 「なん……だと?」 ステファンは痛む頭を押さえて立ち上がった。 「いいかげんにしてよ! ぼくは、そりゃ、ちょっとは泣き虫だけど、弱虫でもイジケ虫でもないぞ!」 「ソウコナクチャ」 ファントムはひらりと舞い上がると、急に重々しく言った。 「愚カナ迷子メ。スネテ済ムノナラバ、ソウシテイレバイイ。ダガソレデハ、イツマデモココカラ出ラレナイゾ」 さっきまでとの口調とは違う。仮面の表情までが厳しくなっている。 「ファントム? ぼくに、どうしろって?」 「ファントムハ注告シタ。ファントムハ止メタ。ダガオマエハ既ニ踏ミ出シタ。ナラバ知ルコトヲ恐レルナ。オマエニ勇気ガアルナラバ、マダ知ルベキ事ガ有ルダロウ」 知るべきこと――ステファンは誰の名を口にするべきか、わかる気がした。 ただし、今度は自分の目で事実を見よう。ファントムの仮面越しでなく。そう冷静に考えながら本の山に呼びかけた。 「――ミレイユ!」
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