北向きのアトリエは、夜遅くまで灯りが消えることがない。日中の暑い時間は仕事にならないので、オーリが作品に向かうのは、大抵は陽が落ちてからだ。もっとも、最近はカンバスに向かうより机の上で羽根ペンを操っている時間の方が長いのだが。 その夜も机に向かってひたすらペンを走らせていたオーリは、ふと気配を感じて席を立ち、窓を大きく開けてじっと闇を見つめた。中庭を挟んだ向こうの木立がざわっと揺れ、真っ赤な影が窓から飛び込む。 「おっと!」 両腕でしっかりと受け止めたオーリは、赤い影の主に笑みを向けた。 「お帰り。次の新月まで帰らないのかと心配したよ」 「別にそれでもいいんだけど?」 エレインは緑色の目を上げて窓の外を指差した。 「ステフの忘れ物を持って帰ってあげたわ。ちゃんと自分で洗うように言っといてね」 「忘れ物?」 「長靴よ。森の中に放りっぱなし」 「ああ、そうか……」 オーリがそう言いながらいつまでも腕を解こうとしないので、エレインは足を思い切り踏みつけた。 「痛ったぁっ! 酷いな、足の甲ってのは骨が折れやすいんだぞ!」 「骨折くらい魔法で治せるくせに。ほら、いつまでも甘えてんじゃないの」 恨めしげなオーリの腕を押しのけると、エレインは天井の梁の上にピョイと飛び乗った。 「相変わらず高いところが好きだね。いつになったら地上に降りてきてくれるんだろうな、わが守護天使は」 「なに?」 「いいや。人間の愚痴だ、気にしないでくれ」 オーリは拗ねたように背を向けると、再び机に向かった。
パタパタと廊下を駆けてくる足音がする。 「ステフ、どうした? こんな遅い時間に」 「あの、さっき窓の外に変な鳥が……ひぇっ、な、なにやってるの、エレイン!」 梁の上で器用に寝転がるエレインの姿に、ステファンは仰天した。 「いつものことだよ。ああ見えて彼女はすごく軽いんだ、梁がたわむ心配は無いよ」 「そういう問題じゃなくて……まさか、ああやって眠るの?」 「まあね。もともと木の上で眠る種族だからな。で、何が来たって?」 「鳥です。すごく大きいやつ」 「ああ、フクロウでしょ。さっきウロウロしてたからちょっと小突いといたわ」 眠そうな声でエレインが口をはさんだ。 「なんだって? なんで早く言わなかった、エレイン!」 「だってあんまり害は無さそうだったし」 「害どころか――ああ、ちくしょう!」 オーリは弾かれたように外へ飛び出した。
ステファンとエレインが顔を見合わせて首を傾げていると、オーリは茶色い斑のある鳥を抱えて戻って来た。 「危うく翼を折るところだった。この鳥は魔女出版からの使いなんだよ。ちなみにフクロウじゃなくてトラフズクだ。立派な羽角だろう?」 ウサギ耳のような羽角をひくつかせたトラフズクは、床に降りるとパン生地のように膨れ上がり、たちまち人間の男の姿になった。 「失礼、ガルバイヤン先生。道に迷って遅くなりましてな」 「こちらこそ失礼したね。うちの守護者は少しばかり手荒なもので――エレイン!」 オーリにたしなめられて、エレインは梁の上からバツが悪そうに顔だけ出した。 「はぁい、あんた使い魔だったの? こんな時間に来るのが悪いわよ」 トラフズクはエレインの姿を見るとピェッと叫び、一瞬顔が元に戻りそうになった。 「冗談じゃない、こっちはもう少しで仕事をひとつ失うところだ。ええと、ペン画は三枚仕上がってる。縮小魔法の解除はそちらの魔女に任せていいね?」 「結構で――オホン、わ、私はこれにて!」 ペン画を入れた通信筒を背負い直すと、トラフズクは一刻も早くここから逃げ出そうとするように窓に駆け寄った。 「しかし今どき使い魔で連絡、ってのもどうかと思うよ。魔法使いだって郵便や電話くらい使ってるのに」 「魔女はこの国の郵便なんて信用しておりませんな。それに全部の魔女が郵便や電話で用事を済ませるようになったら、私の仕事が無くなります、オホン」 「それも一理あるな。じゃ当分君の世話になることにしようか。道中気をつけて」 パシッという羽音と共に、男は元のトラフズクに戻って夜空に飛び立った。オーリは愛想よく手を振って見送ったが、くるりと振り向くと、難しい顔で言った。 「エレイン、最近の君はちょっと酷くないか? だいたい使い魔の連中なんてすぐ見分けがつくだろう?」 「知らないわよ。使い魔は使い魔の仕事を、あたしは自分の役目をそれぞれきっちり果たすだけ。それでちょっと行き違いがあったからって何?」 オーリはムッとして言い返そうとしたが、ステファンが不安げな顔で見ているのに気付くと、小さな頭に手を置いて笑ってみせた。 「まったく困った大人ばかりだよな。とんでもない時間に来る使い魔、過激な守護者、そして夏休み返上の魔法使い! さあ、明日から忙しくなるぞ。午後にはオスカーの荷物も来るし、新しい仕事も入ってる。ステフ、しっかり眠っておいてくれよ。君にも大いに働いてもらわなくちゃ」 ステファンはまだ不安そうに二人を代わる代わる見ていたが、やがてうなずくと、お休みなさいを言って自室に引き上げた。 梁の上のエレインは、反省しているのか拗ねているのか、膝を抱えて背を向けている。 オーリはふーっとため息をつくと、議論の続きは諦めて机に向かった。 「明日は新月か――やれやれ、魔の新月だな」
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