オーリ先生もマーシャも、ぼくを買いかぶっている、とステファンは思った。 父オスカーに魔力があったとしても、それをどの程度受け継いだのか、はなはだ不安だ。まして母ミレイユは魔法なんて毛嫌いしている。オーリのような魔法使いの家系に生まれればよかった。ペリエリの家系のことはよく知らないが、母方の親戚ときたら…… オーリの伯母は怖い魔女だったが、ステファンにも苦手な六人の伯母が居る。母ミレイユはもともと十三人兄妹だったのだが、戦争や病気で生き残ったのは七姉妹だけ、その中でも末っ子のミレイユが一番のチビで不器量だ、とさんざん伯母たちにに聞かされていた。余計なお世話だ、とステファンは思う。確かにミレイユは小柄だし美人でもないが、ステファンにとってはかけがえのない母なのに。ときたま家にやってきては無神経なことを言う伯母たちに、母はいつも苛立っていた。
「集中してないな、ステフ」 オーリの声に、ステファンは我に帰った。手元のカードがばらばらと落ちる。 「すみません、つい……」 そうだ、今は修行中だった、なんで母の事を思い出したんだろう、とバツの悪い思いをしながらステファンはカードを拾い集めた。 午後のぬるい風が、アトリエじゅうに絵の具の匂いを広げている。 オーリが帰ってきたのはお茶の時間になる頃だった。エレインと仲直りできたかどうかは知らない。帰るなり、何事もなかったようにカードを使った魔法修行をステファンに命じただけだ。 「ま、カードの透視なんて簡単すぎてつまらないよな。よし、少し気分転換をしようか」 机の上を片付けてしまうと、オーリは立ち上がって鍵束を手にした。
「ステフ、そろそろお母さんに会いたくなってきたんじゃないのか?」 心の中を見透かされたようで、ステファンはどきりとした。オーリは時々こんなことを言うだから油断ができない。まさか、本当に心を読まれているんだろうか? 「べ、べつに。だってまだ、二週間しか経ってないし」 「そう? でもオスカーの荷物が届いたら、受取状は君に書いてもらうよ。お母さんにまだ一度も手紙を書いてないんだろう?」 オーリの心遣いは嬉しいが、ステファンは複雑な思いだった。母が恋しくないはずはない。でも手紙を書くなら、ちゃんとした魔法をひとつくらい習得してからにしたかった。
二人が向かったのは二階の角、主寝室の南側にある細いドアだった。 「ここは書庫だ。アトリエに納まりきらない本が置いてある。鍵のナンバーを覚えておくんだよ」 オーリは鍵束の中から『1』の数字が彫りこまれた鍵を出した。 「わあ……!」 ステファンはドアの内側を見て驚いた。外側からは想像もつかないほど広く、天井の高い部屋に、ずらりと書架が並んでいる。 「魔法で少しばかり内部の空間を広げてある。次はコレクションの保管庫」 「まだ部屋があるんですか?」 オーリは答えず、意味ありげに笑った。書架の配置は複雑で、その間を右に左にとオーリは進む。まるで迷路だ、と思いながらステファンは後に続いた。 やがて行き止まりになると、オーリは一番奥の棚から分厚い鍵つきの本を取り出した。 「これは『2』の鍵で開ける。ここの魔道具の中にはまだ魔力が消えてないものもあるから油断は禁物。いい? 開けたらすぐ閉めるからね」 鍵を回し、深呼吸してから、せえの、と声を掛けてオーリはすばやく表紙を開いた。ステファンは目を疑った。本の中に空間が広がっている。奥には見るからに怪しげな魔道具が並び、表紙が開いた途端、カタカタと動き始めたものも居る。 「おっと!」 オーリは急いで表紙を閉めようとしたが、何かが挟まり、けたたましい笑い声がした。ステファンは悲鳴をあげそうになった。表紙の隙間から、道化の顔を模した金属の仮面がのぞいてニタァーッと笑っている。 「まだ夏だよファントム。君は待機中のはずだろ」 脅すように杖を向けると、仮面はぶつくさ言いながら引っ込み、オーリはようやく鍵を閉めた。 「ふう。連中、退屈してるな。十一月の聖花火祭までは出してやれないんだが」 ステファンはゾーッとしながら棚を見回した。 「こんな本ばっかり置いてあるんですか?」 「ばっかりってことはない。保管庫は危険な順に『2』から『4』まで。最後は、オスカーのために新しく作った部屋だ」 オーリは一番大きな本と『5』の鍵を出した。 「ステフ、開けてごらん」 さっきのこともあるのでステファンは戸惑ったが、こわごわ鍵を回して表紙を開けると――何も無い、ただ空っぽの広い部屋が本の中に広がっていた。 「保管庫って、こういうことだったんですか……これも魔法?」 「そういうこと。この部屋は空間を自在に操る魔物と取引して作った。代わりに、わたしは常に新しい『知識』を彼に与える。そういう契約でね。ミレイユさんに言ったことは嘘じゃなかったろう?」 オーリはニヤッと笑った。確かに『契約している一番大きな保管庫』には違いない。ステファンは改めて、ここが魔法使いの家だということを思い知らされた。
「ステフ、本は好きか?」 迷路のような書架の隙間を通り抜けながら出し抜けにオーリが聞いた。 「はい!」 ステファンは勢い込んで答えた。 「いい返事だ。じゃ、時間がある時はここへ来て、好きなだけ読むといい。君の年齢には難しすぎる本も多いけど、なあに構うもんか。書庫の鍵束は、いつでも持ち出せるように机脇に掛けておくことにしよう」 「本当ですか?」 ステファンは目を輝かせた。実は書庫のドアを開けた瞬間から、周り中の本が誘いかけているような気がずっとわくわくしていたのだ。 「ただし、君が一人で開けていいのは『1』の鍵だけ。保管庫、特に『2』は危険だから、わたしと一緒の時以外は開けないこと。いいね」 もちろん言われるまでもない。鳶色の目を輝かせながらせわしなくうなずくステファンに、オーリはずい、と顔を近づけて脅かすように言った。 「気をつけろよ。人間ってのは、これはいけません、と禁じられた領域ほど踏み込みたくなるんだ。おとぎ話にもよく居るだろう、タブーに触れてとんでもない結果を招く主人公が」 「ぼく、絶対開けませんから!」 ステファンは宣誓をするように片手を挙げた。こうして間近で覗き込まれると、オーリの水色の目は結構怖い。心の底まで見透かされそうで、冷や汗が出る。 「わかればよろしい、君の好奇心と探究心に期待してるよ」 オーリは何やら含みのある言葉を言いながらドアを開けた。 風と一緒に、庭のハーブの香りが吹き込んでくる。ステファンは振り返り、つくづくと書庫を見た。人一人が通り抜けられるほどの細いドアの横は、すぐ階段になっている。外から見る限り書庫スペースは本当に狭いはずなのに、中のあの広さときたら……オーリが取引したという魔物がどんな奴なのか、ちょっと見てみたい気がした。
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