「え、合格? て?」 「知りたい、と言ったね? そうはっきり意識できたのなら、今日の修行の成果としては充分だ。君がもし、迷子になってただメソメソしてるだけの奴だったら、家に追い返してやるところだ」 ステファンはドキリとした。もう少しでそうなっていたかも知れない。 「冗談だよ。君ならきっと、『王者の樹』の所まで辿り着けると信じてた」 心配そうにしているステファンの頭をオーリはくしゃくしゃとした。 「王者の樹……あの樹、そういう名があったんですか」 「ああ、昔からそう呼ばれてる。何百年も生きて、落雷を受けてもなお堂々としているんだ。わたしはむしろ、この森の成り立ちから言って『母者の樹』だと思うけどね。ま、それはいい。ただひとつだけ、はっきり言っておこう。ステファン、君が王者の樹の下で見聞きしたことは、神秘体験でもなんでもない。子供なら本来だれでも持っていたはずの力を、思い出したに過ぎないんだ」 「思い出した?」 「そうだよ。ただ、最近は思い出せる子が少なくなったと聞いてるけどね。その点、君は優秀だってこと。あの樹から学んだ事は、決して忘れちゃいけない。感性を鋭く持つことが魔法を学ぶ第一条件だからね」 ステファンは巨大樹を思い出し、振り返ろうとした。 「振り向くんじゃない」 大きな手が目隠しするように視界を遮った。 「今日はもう充分に教わった。あの樹に感謝してるなら、このまま静かに引き上げるのが礼儀だよ」 オーリが手を下ろすと、ステファンはさっきよりも明るい森の中に居た。足元の落ち葉の下からは、黒々とした地面が見える――森に入ったとき、最初に居た場所だ。 「こっちの森は安全だ。うちの庭と一続きだから、遊びたくなったら、いつでも来ればいい。ベリーも獲れるし、秋になればドングリも実る。この森からだって、学ぶ事はいくらでもあるしね」 「先生、王者の樹の森と、この森って繋がってるんですか?」 「まあね。でも植生が違うだろう。あんな巨大な樹はもうこの国では数えるほどしか残っていないってのに、金儲けに利用しようとする連中がいるから、エレインとわたしとでうまく隠して守ってるんだ。それに普段は彼らと棲み分けて干渉しないことにしてる。人間の近所づきあいと一緒さ」 オーリは意味ありげに笑って見せた。 「彼らってあの、森に居た姿のないやつですか? もしかして……妖精とか?」 シ、と オーリは人差し指を立てた。 「そんなにあからさまに言うもんじゃない。『森のよき人』とか『先住者』とか気の利いた表現をしてやらないと、機嫌を損ねて悪さするかも知れないよ。なにせ我々は後から来た身だ。彼らとはうまく折り合っていかなきゃ」 ステファンは不思議な思いでオーリの顔を見上げた。どこまでが本気でどこまでが冗談で言ってるのかわからない。迷信めいたことを言うなら、いっそマーシャのほうが適役だ。 ステファンの考えを読み取ったように、オーリは無言で笑っている。 「あの、さっきのはなんていう魔法なんですか?」 「魔法? そんなの使ったっけ」 「さっき、僕の胸をドンと突いて、すぐ消えたでしょう? あの後、道がわからなくなったんだ」 「ああ、あれね。時々森の機嫌を損ねて喰われちまう奴がいるから、ちょっとした予防策だ。熊除けのベルみたいなもんかな」 ステファンはぎょっとした。 「クマ? あの森に熊なんて居たんですか?」 「さあてね、どうだろ」 オーリはとぼけた表情を見せた。 「忘れないで、ステフ。魔法は神秘じゃない。君がさっき言った『魔法って何?』の問いは、この先もずっと持ち続けるんだよ。いつか、答えが見つかるまでね」 「先生は、答えがわかっているんですか?」 じれったそうなステファンに、オーリは首を振った。 「わかったような気にはなってるけど、本当はどうだろうね。『魔力』なんていうのも、本当は説明がつかないんだ。ただ――どんな力にも言えることだが――ひとりよがりだと暴走しやすい。何らかの秩序をもって使えたほうがいいだろう? だから師弟制度が残ってるんだと思うよ。魔法使いっていうのは翻訳者、あるいは我が身そのものが絵筆、あるいは楽器。この世界に満ちた曖昧な力を、判りやすい形に変えて使ってみせる技能者。うーん、どれも的確じゃないな……」 オーリは次第に独り言のようにつぶやき始めた。 二人はいつの間にか森を抜け、花の咲き乱れる庭に戻っている。明るい陽射しに目を射られて、ステファンはくしゃみをした。 「うわぁ、明るい所で見ると、泥んこになったのが良くわかるな。森の中を跳ね回るってのは、いいもんだろ?」 言われる通り、泥だらけでバツの悪そうなステファンを見て、オーリは楽しそうに笑った。 「マーシャが見たら、言い訳するヒマもなく『坊ちゃんお風呂に入んなさい!』だな。君は修行中の身だから、その服も本来は自分で洗うべきだが……今日は無理だろう。あとできっと、熱を出すから」
オーリの言った通り、午後になってステファンは熱を出し、ベッドから起きられなくなった。マーシャは心配してくれたが、風邪をひいたのではないことはステファン自身がわかっていた。 体中の骨や筋が軋むような音を立てて痛み、何かが変わろうとしている。けれどそれは害の有る痛みではなく、例えて言うなら乳歯が生え変わる時の感覚に似ていた。 夢の中で、ステファンは再び森を駆け巡った。今度は独りではない。森の中でステファンを興味深く見ていた、姿のない「あの者たち」が、昼間よりもずっと近くに居て、一緒に駆け回る夢だった。
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