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作品名:訃報 作者:koyuira

最終回   1
その訃報に、凛は一人微笑んだ。

母が死んだ。何の実感もわかないまま、私は気が付くと母の墓の前に立っていた。周りには誰もいない。親類はおらず、まだ物心つかない頃に離婚したという名前と連絡先しか知らない父は、通夜にも葬式にも来なかった。一つため息を吐いて出口へと向かう。見知らぬ男性と擦れ違いふと顔を上げると、思いがけず強い視線で射抜かれた。不思議に思いながら会釈をして通り過ぎたが、依然背中にはちりちりとした視線を感じた。
四十九日が過ぎた辺りに、父だという人が会いに来た。一緒に暮らさないかというその見覚えのない男性に、理由のない懐かしさを感じたが、その一方で葬式にも来なかった人が何を今更とも思った。けれど、確かに親類のいない私がいきなりこの社会に出て生きていくのは難しいことに思えた。打算的だと自分でも思ったが、父と暮らしたいという気があったのも確かだった。二つ返事で了承した私に、父は安堵したように頬を緩めた。
新しい家には義母と義兄がいた。義兄は偶然にも墓場で会った男性だった。自分の中で、父はどこかで私と同じ独りだと思っていたのか、何かぐちゃりとしたものが心に落ちた気がした。母は大恋愛の末結婚したと言っていたが、実際は父に私より上の子供がいる。つまりはそういうことなのだろう。無意識に睨んでいたのか、義母は困ったように微笑んでいた。義兄は嫌そうに顔を歪めるだけだったけれど。
義母は女の子が欲しかったのだと私に本当の娘のように良くしてくれたが、反対に義兄は私をいないものとして扱った。最初は義兄妹なのだから、と何かと話しかけていた私も段々と疲れて、いつまで経っても家族として見てくれない義兄に嫌気も差し、いつしか顔を合わせることも稀になっていた。
二月程が経ち、私の二十歳の誕生日がやってきた。家族や友人は祝ってくれたが、義兄は仕事だからと家に寄り付こうとはしなかった。

俺達家族を不幸にした女の娘が家にやって来た。なんの遠慮もなくずかずかと入り込んで来たいつも長袖の娘は、悪びれもなく笑顔を振りまいている。何の苦労もないような無防備さ。顔を見る度、声を聞く度苛ついた。
元々、父は俺達の家族の筈だった。だが金持ちの一人娘だった女が権力を持つ祖父にねだり、俺の母と婚約中だった父を無理矢理奪った。当時既に母は俺を腹の中に抱えていて、表面上は夫なしに身篭った為親類からは爪弾きにされ、親からは勘当されたが、母は一人で俺を育ててくれた。俺が五歳になった頃、あの女との間に一子を儲けた父は役目は終わったとばかりに俺達の元に戻ってきた。その頃既に物心がついていた俺は母に苦労させた父を中々認められず、反発ばかりしていた。だが両親の幸せそうな様子と父の根気強さにいつしか家族として受け入れることが出来ていた。そうして慎ましやかに暮らしていた俺達に一つの訃報が飛び込んだ。女の死だった。嬉しかった。俺達を不幸にした女はまだ若い四十で亡くなったという。しかし問題も残っていた。一人娘の凛だ。嘲笑ってやろうと行った墓場にいた若い女がそれだとすぐわかった。反対したが、父も、何故か母までもが引き取ると言った。納得がいく筈もなく、俺は家にやってきた凛をいないものとして扱った。
今日は凛の誕生日らしいが、誰が祝うものかと仕事に出掛けた。勤め先のバーは店長と仲のいいパティシエにケーキを貰っている為か、ケーキ目当ての客も多い。やっと客が引いてきたと思ったら、もう十一時過ぎになっていた。補充のために裏に回ると、携帯が震えた。今では不快にしかならないが、実は凛と共通で友人だったらしい圭が電話をかけてきたようだった。義妹の誕生日に家にいなかったのを訝しんだらしいが、あんな娘の為に帰るつもりはないと鼻で笑うと、圭の声音は明らかに険を含んだ。凛と幼馴染みらしい圭は、聞きたくもない俺の父が出て行った後の女の狂乱振りを話した。父が出て行ったのは跡取り息子ではなく娘が生まれたせいだと凛を罵り、体罰のようなものまで与え、更には生まれた日は祝うどころか逆に酷く扱われていたのだと。ぬくぬくと育てられていたと思っていた俺は驚いたが、同時に得心もした。いつも長袖だったのは、体中についた痣を隠すためだったのだと。
ケーキを次々とケースに放り込む。店長の慌てる声を背に、俺は急いで店を出た。気が急く。何か、重大な間違いを犯していた気がする。今すぐに凛を認めることなんて出来ないが、凛もまたあの女の被害者だったのだと思うと、暗い何かが心の奥で蠢いた。
凛はこのケーキにどんな顔をするだろう。年に一度の誕生日を一度も実の母親に祝って貰えなかったという娘は。驚くだろうか。何の真似だと怒るだろうか。それとも、嬉しそうに微笑むだろうか。
何かが、自分の中で変わった気がした。

その日、家に一本の電話が入った。仕事中の筈の長男が、零時前に家のすぐ前の角で車にひき逃げされて亡くなったという訃報だった。その横にはタイヤで押しつぶされたケーキが散乱していたが、勤務先のケーキだったこともあり、特に問題視はされなかった。


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