涼香のウエディングドレス姿を褒めちぎる人々の空気に我慢できなくなり、スピーチの練習がしたいから、と言って控室を出た。
ホテルの一階ロビーには、披露宴に訪れた客で賑わっている。涼香が働く学校の女の先生たちが男性陣と談笑している。学校の先生って同業者結婚が多いの、と涼香が言っていたことを思い出す。人の幸せにあやかろうと、結婚式で必死に出会いを求める女たちか。次の取材テーマにいいかもしれない。
人ごみから逃れたくて、中庭に出た。ここのホテルはイングリッシュ・ガーデンが売物の一つで、5月頃には数種類のバラが咲く『バラ園』としても有名だ。奥には小さな池があって、その周りに白いベンチが並んでいる。不思議の国のアリスに出てきそうな風景。綺麗に整えられた庭を眺めながらベンチに腰掛けて、ふぅーっと息を吐く。予想以上に風が冷たい。上着を預けたまま、外に出てきてしまったことを後悔した。オーガンジーの深紅のドレスはシンプルで気にいっている。いつもは寝癖を直すだけの髪も、今日は美容院でアップにしてもらった。久しぶりに履いたピンヒールのパンプスは足に馴染まず、思い切って脱いだ。ひんやりとした芝生がストッキング越しに気持ちいい。
「おい。俺を置いてくなよ」
突然後ろで声がした。
「どこにいたの。一応、探したのよ」
「前に俺の作品を見に来てくれた人がいてさ。挨拶してきた」
「そう」
いつもなら「あんたの作品をわざわざ見に来るなんて、相当な変わり者ね」と憎まれ口を叩くところだが、そんな元気はなかった。この男、遼介は芸術家をしている。いわゆるモダン・アートな作品を主に作っていて、気まぐれに個展なんかを開いている。個展は特に人気でもなく、遼介も特に有名な芸術家ではない。ただそのルックスだけで、うちの編集長から注目され、取材に行かされたのがほぼ新人だった頃の私だ。
寒いなー、と言いながら遼介が隣に座る。ポケットから煙草を取り出して、火を付ける。
煙草を吸う遼介の横顔を見るのが好きだ。顔を少し歪めて、いかにもまずそうに煙草をくわえる。おいしくなさそうなのに、なんで吸うの?と昔訊いたら、おいしくないからこそ吸うんだよ、と返ってきた。やっぱり変人の考えることは分からない。けれど、遼介の渋い横顔を見るのは悪くない。
「親友の結婚式に出る顔じゃないな」
渋い顔で向かいの池を眺めながら言った。隠し事をしても遼介にはすぐバレてしまう。出会った頃からそうだ。この男の前では上手く嘘がつけない。私は黙った。
「寂しいのか?」
「そうかもしれない」
「悔しいのか?」
「それもある」
遼介の口から煙がもわっと出る。
「親友ならちゃんと祝福してやれよ」
大学を卒業して、私は出版社で雑誌記者になり、涼香は小学校の先生になった。記者の仕事は忙しく、休日もめったに取れない仕事だったから、涼香と会う時間は自然と少なくなった。涼香は卒業後も斎藤さんと付き合っていた。そして、斎藤さんが勤め先の貿易会社でロンドンへの転勤を言い渡された時、涼香についてきてほしいと頼んだのがプロポーズとなった。私は憤慨した。自分の仕事の都合で涼香の人生を変えるなんて、教師になって1年も経たないのに仕事をやめて外国へ来てほしいなんて、斎藤さんは自分のことしか考えていない。大反対する私を、涼香は悲しそうな目で見つめた。
「沙希はどうして私と英行のことに、いつも反対するの?」
その言葉には今までため込んできた涼香の静かな怒りと悲しみが詰まっていた。その時に「ごめんなさい」と一言謝ればよかったのに、私は逆の道を選んだ。
「簡単に仕事をやめて、男に頼る女が一番嫌いなの」
その一言が発端で私たちは出会って初めて大ゲンカをした。
結婚式の招待状が届いた日、私は遼介のアトリエへ行った。取材して以来、アトリエには何度か足を運んでいた。遼介のいうアートはさっぱり理解できなかったが、遼介という人間に興味があった。最初は「恋かもしれない」と思ったが、遼介に恋人がいることが発覚してからは芽生えそうだった小さな恋心を封印した。遼介より随分年上の恋人は看護師をしていて、会ったことはないがとても美人な人らしい。
『イケメン・アーティスト特集』という名のもと取材に訪れた際、初めて遼介を見て編集長が惚れる理由が分かった気がした。驚くほどカッコいいわけではないが、爽やかで笑うと目尻に皺ができる。魅せられたのは、その独特な瞳だ。上手く説明できないけれど、優しくて甘くて、それでいて力強い目力がある。ジーンズにペンキだらけの白いTシャツ、青いストライプのシャツを羽織って丁寧に取材に答えてくれた遼介は、それまで出会った男性のなかで最高の好印象だった。
結婚式の招待状を見せて、一緒に出席してほしいと頼んだ時、彼は驚いた顔をした。彼氏を演じてほしいわけではない。ただ一緒に来てくれる人がほしかった。そして何故か分からないが、それは遼介でないとダメだという気がした。
「知らない人の結婚式に行く、って気乗りしないな」
でも、と彼は言った。
クリーニング屋にスーツ出してきてくれたら考えてもいいよ。
そして今、この庭に遼介と一緒にいる。
「『アリスの庭』の絵に似てるね」
「この庭が?」
「うん。取材の日に見た絵。あの絵に似てる」
お互いそれ以上何も言わなかった。遼介は煙草を吸い、私は池に浮かぶ落葉を眺めていた。挙式が終わればすぐにでもロンドンへ行くつもりだという。しばらくは涼香に会えないんだと思うと寂しくなる。後悔しないようにしなくては。そろそろ戻ろう、と遼介が立ちあがった時には心のモヤモヤは少し取り払われていた。
大丈夫、きっと笑って送り出せる。
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