―――プロローグ――― 数百年前、戦争があった。 どことどこの戦争か、何が原因で起こったかなどの記録は一切残っていない。 しかし、唯一わかっていることがある。 その戦争の果てには、何の意味も残らなかったということ。 何千何万という兵が剣を交えた。 無数の矢が飛び交った。 いくつもの魔法が放たれた。 そして―――その数だけ人が死んでいった。 その数だけ疑問が投げかけられた。 何故・・・何故・・・何故・・・・。 答えは無い。 何も得られず、何もわからないうちに終わった戦い。 無理矢理結論を出すように降った、戦場の塵を吸い込み灰色に染まった雪。 戒めのように残った傷だらけの大地。 残された人々はそこに伏し、散っていったものたちに懺悔し、決して届かぬ祈りを捧げた。 三日三晩祈り続けた後、それらを決して忘れぬよう、人々は最も争いの激しかったこの地に名前をつけた。 ―――ここが始まりで、且つ終わりであるように。 『零の大地―――ホワイト・ランド』と。
何回その夢を見ただろう。 燃え盛る自分の部屋、お気に入りだった人形が、飴細工のように融けていく。 部屋の隅っこにうずくまる昔の自分の姿。出口はない。 煙が充満し、まともに息もできない。 圧倒的な破壊力を持って、炎は全てを壊そうとする。 天井のランプが、音を立てて砕け散る。 本棚が不気味な音を立てて軋み、倒壊する。 熱で壁の時計がゆがむ。 隣の部屋から聞こえる声。 ダレカタスケテ・・・クルシイ・・・クルシイ・・・。 悪夢だった。 昔の自分は震えながら泣き叫ぶ。 目の前のベッドが音を立てて崩れる。 炎が渦を巻き、昔の自分に迫ってくる・・・
そこで目が覚める。いつもの朝。 ――嫌な夢だ。 そう思いつつ夢の主の少女は体を起こす。 いつも通りの風景。 カーテンの隙間から漏れてくる光が、寝起きの目にしみる。 壁がけの大きな時計を見ると、短い方の針が丁度8を指すところだった。 軽く伸びをする。首を色々な方向に回す。あちこちの骨がぱきぱきと音を立てる。 窓を開けると、風が朝の独特の空気を運ぶ。 少し肌寒いのは、まだ季節が春になるのを渋っているからだろうか。 両目が半開きのままベッドから半ば落ちるようにして降りる。 のろのろと着替えを済ませると、ドアをノックする音。 「――どうぞ」 欠伸を噛み殺しながら、少女は言う。 「失礼します」 一泊間を置き、カチャリと音を立ててドアが開く。 「お目覚めでございますか? ラキ様」 長身の男が入ってきた。東洋系の顔立ち。黒の長髪は後ろで軽く結わえてある。黒の背広の上下、黒の革靴。黒一色の中唯一炎のように赤い目は、ふちの薄い眼鏡の下で人懐っこそうに笑っている。 この家の執事、ボルタールだ。 「もう三十分も前にお目覚め。来るの遅すぎよ。ボルタール」 ラキと呼ばれた少女は不機嫌な表情で男を睨む。 白い陶器のような肌、薄いピンク色の唇、腰まで届く流れるような銀髪、猫科の動物を思い起こさせる形の、アイスブルーの両目は今は笑っていない。 「笑うと可愛いんだけどなぁ・・・」 ボルタールは苦笑する。 「何か言った?」 「いえ、別に。――食事の用意ができました」 来るのが遅かったことについて一言いってやりたかったラキだが、ボルタールの最後の言葉がそれを思いとどまらせた。――何事も食欲には勝てないのである。 支度を完全に済ませ下に下りると、そこには朝食が並べられていた。 ハムエッグにトースト、サラダにミルク。トーストにはボルタール特製のマーマレードが塗られている。 キッチンではボルタールがコーヒー豆を挽いていた。 ひやりとした空気に身震いをひとつ。キッチンのボルタールに声をかける。 「コーヒー、熱めに淹れてね」 「はいはい」 歌でも歌っているかのように、節をつけて返答する。 機嫌がいいときの彼の癖だ。鼻歌など歌いながら、お湯を沸かしている。 「――機嫌よさそうね、ボルタール」 何気なく、ラキは言う。 「私はいつでもご機嫌ですよ、ラキ様の側にいられれ、ばっ!?」 風を切る音とともに、ラキの投げた塩のビンが、その後頭部にヒットする。 倒れそうになるのを全背筋力を動員し、何とか堪える。 「ラ・・・ラキ様?」 「大丈夫、瓶は木製だし、ちゃんとふたを閉めて投げたから」 こともなげにラキは言う。 「そんな問題では・・・」 「ほら、お湯沸いてるよ」 ボルタールはあわてて火を止める。 コーヒーメーカーにお湯を注ぎつつ、鼻歌を再開する。 扱い易いな、と思いつつ、ラキはトーストの最後の一口をほおばる。 いつもの事だ。 いつものやり取り、いつもの光景。いつものトースト。 ――そう、いつも通り。 この生活がいつも通りと思えるようになるまで、どのくらいの月日が流れただろうか。 そう思いながら、視線を前に向ける。 目の前の窓の向こうには、とってつけたように青い空があった。
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