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作品名:世界で一番きれいな花の種 作者:安賀宇久雄

第9回   9
 王様は賢者の話にじっと耳を傾けていた。
 賢者がここまで語って一息つくと、王様は魔女の顔から解き放たれたように視線を賢者に向けた。魔女は王様の視線がそらされたのを見て、ふっと目を伏せた。
「続けよ」
 王様が促した。
 賢者は一つ頷くと、ゆっくりと話の続きを語り始めた。

 少女の母親は娘が一息に語った言葉を聞いた後、たまらずに泣き伏せた。母親もまた、幾多の偽善ややっかみやうわべだけの口約束に翻弄されてここまで生きてきたに違いなかった。母親は我が子のために、生きながらえるために、そういった人間の醜悪さに気がつかぬふりをして、あるいは大人の当然の振るまいとしてそんな窮屈な常識をも甘受してきた。時には自分自身もそういった感情に身を委ねたことも無論あった。しかし今、冷酷な瞳で自分を見つめているその最愛の娘は臆面もなくそんな母親の心情も、鬱積した秩序をも完全に否定し、これほどまでに生命力に満ちて、毅然としている。
 母親は自分の感情の代弁者としての娘に限りない共感を抱いて泣き、同時に最愛の娘がこの先にうけるであろう言い尽くせぬほどの迫害や中傷や屈辱を想像して泣いた。
「お前は本当に強い子だ。でも、今のままではお前はきっといつか、殺されるよ。」
 母親はようやく顔を上げ、諭すように言った。
「母さんはここに残ろう。もう母さんは一歩も歩けない。立ち上がることすら出来ない。けれど、お前はお行き。今すぐに村から離れて、身を隠すんだよ。山を越えて、人と交わることを避けて、潜みなさい。お前の気持ちはよくわかる。でも、お前の生き方はどうやったってわかってはもらえない。だから…」
 遠くから人の声がした。興味本位の村人が再び親子の様子をうかがいにやってきたに違いなかった。
「さあ、早く!」
 母親は小さく命じた。
 少女は弾かれるように立ち上がり、二三歩駆けだした後で一度だけ母親に向き直った。母親はすべてを見通したようにかすかに笑ったように思えた。少女はもう振り返らなかった。少女は森に向かって走り去った。
 母親がその後どうなったのかはわからない。
 少女はしばらくの間、森に潜んだ。幸い、追っ手らしきものは現れなかった。少女は生まれた村に戻ろうとは思わなかった。しばらくした後、少女は森を出て、新しい村に姿を現した。少女の目に映る人々は、生まれた村のそれと何ら違いがないように思われた。少女は人との交わりを極力避けようとした。しかし、森で暮らした日々は少女の身なりを極めてみすぼらしく、薄汚いものにかえてしまっていた。異臭すら漂う少女の姿を、人々はそっとしておいてはくれなかった。
 ある者は明らかに下心を宿した目つきで風呂を貸そうかと言い寄ってきた。ある者は一刻も早く自分の店先から遠のいてくれとあからさまに言い放った。ある者は汚物でも見るように道をあけた。
 人々は皆、好奇の視線で少女を見た。少女はそこに底知れない悪意に満ちたたくらみと軽蔑を色濃く内包した猜疑心とを透かし見た。
そんな少女に、ある時声をかけた者があった。
「君も雨宿りかい?」
声の主は青年で、村はずれの廃屋の軒先でうら寂しげにうなだれて雨宿りをしていた少女に屈託なく話しかけたのだった。
「それにしてもひどい雨だね」
 青年はどういうわけかうっすらと笑いながら言った。
 少女は答えなかった。警戒し、身をこわばらせた。
「この調子じゃしばらくやまないよ。丁度ここは空き家になってる。中に入ってあめがあがるのを待とうよ。火をおこして暖まりゃいいさ。随分冷えてきたしね」
 青年はそう言うと、廃屋の中にずかずかと入っていった。手際よく火をおこし、それから少女を呼んだ。
「君もこっちに来なよ。風邪引いちゃうよ」
 少女はなお警戒しながらも、やはり肌寒さを感じて、青年の言葉に従うことにした。青年の語りかける口調が、今までの者達のような軽蔑や憎悪を含んだものに感じられなかったことも、少女の背中を押した。
「僕はね、絵描きになるんだ」
 埃まみれに暖炉に、朽ちかけた木片を放り込みながら青年は唐突に言った。
「絵描き?」
「そう。絵描きになりたいんだ。君、綺麗だね。今度僕の絵のモデルになっておくれよ」
 少女は馬鹿にされたと感じた。私が綺麗? こんなに薄汚れて、お風呂にも入っていなくて、自分でもわかるくらいなんだか臭い私を見て、なんだってそんなひどいことを臆面もなく言えるのだろう? 馬鹿にするにもほどがある。少女は押し黙った。
 青年は少女の態度にめざとく気づいて、笑い飛ばした。
「怒ったの? もしかして馬鹿にされたと感じた? でも嘘じゃあないよ。何たって僕は絵描きだからね。芸術家なんだ。君の目を見れば、君の美しさはちゃあんとわかる。その顔立ち、聡明さ、凛々しさ、そしてなにより内包した孤独、それもぜんぶちゃあんとわかる」
 少女は戸惑った。これほど面と向かって人から褒め称えられた記憶が少女にはなかった。
「まだ怒ってる? まあいいよ。ただ、一度だけ、君の絵を描かせておくれよ。僕は君を一目見て、君を描かずにはいられない衝動に駆られたんだ。これを芸術家としての感性の疼きというのかな」
 青年は一人どこかしら満足げに言った。
「でも……ちゃんとお風呂に入ってから、描いてほしい」
 少女はおずおずと答えた。
「今の君、そのままの君でいいんだよ。お風呂に入るとか、髪をとくとかそんなことはいいんだ。まあでもそうだな、やっぱり君は女の子だものなあ。いいよ。じゃあ今度ちゃんとして逢おう。早速だけど、明日なんかはどうかな?」
 少女は困ってうなだれた。国を棄てて、身よりもなくて、明日だろうが来週だろうがお風呂に入れるあてなどないのだと、この青年に言ってもいいものだろうか? そんなことを言ったら、やっぱりこの人も私のことを軽蔑したり、馬鹿にしたり、汚いものでも見るように遠ざかって行くかしら?
「明日は都合が悪い?」
 青年は再び尋ねた。
「わたし、家がないの。だから……お風呂には入れないの」
 勇気を振り絞って、少女は青年に告げた。青年はあっけないほど即座に答えた。
「なあんだ。そういうことならうちのお風呂に入ればいいよって言いたいとこだけれど、実を言うと僕も貧乏でね、家にお風呂なんかないんだ。でも、僕はいまは貧乏だけれども何と言っても芸術家だからね、そんなことには頓着しない。内面を磨くことこそが尊いんだ。ああ! 人間はあまねく美しい! もちろん僕は今にみんなをアッと驚かせるような大傑作を描きあげてみせる。そうなったら、お風呂なんかもじゃぶじゃぶ浴びることが出来る。それこそ朝昼晩という具合さ。でもそんなことは重要な問題じゃあない。外見なんてくだらないよ実際。そもそも真の芸術というものは……」
 少女は呆気にとられて青年を見つめた。一体どこからこれほどの自信がわき上がってくるのか見当もつかなかった。青年は少女の戸惑うような視線に気がつき、一つ咳払いをして頭をかいた。
「つまり何が言いたいかというとだね、君は今のままで十分に美しい。そうして僕自身風呂になんか入っていない。だから君もお風呂のことなんか気にしないで、ありのままの君を描かせてくれたらそれでいいってことだよ」
 少女はわけもなくただ漠然と、なるほどそういうものかも知れないと考えた。しかし、同時に自分が絵に描かれるということへの羞恥心はまた別のところで拭いきれずに残っていた。
「でも、恥ずかしい」
「恥ずかしいって? そりゃ素晴らしいことだ。そういう無垢な姿勢が、僕の芸術家としての感性をぐさりと突き刺す! 刺激する! うち振るわせる! 最近はみんなどこかしら垢抜けて面白みも魅力もなにもあったもんじゃない。だけど君は違う。ああ! 君は純粋だ。傷一つない宝玉だ! 僕はもうどうしたって君を描きたい」
 やたらと激情する人だなと、少女はおかしくなった。しかし、その語り口はどこか少女の心を晴れやかにしてくれるような気がした。
「だから君、うんといってくれないか。君が描きたい!」
 少女は恥じらいながら笑い、そうして小さく頷いた。
「ああ! ありがとう。僕は全霊をかけて君を描く。これは大傑作になる予感がする。そうとも、今までにない大傑作になるよ! それじゃあ早速明日、またここで逢おう。そうだ、この家はもうずいぶんと長い間誰も住む人のいない空き家だから、君、いっそのことここに住めばいいよ。行く所も帰る家もないんだったらさ」
 少女はそういわれてはじめて、部屋の中を見渡してみた。薄暗く、所々に蜘蛛の巣があって、大層不気味な感じがした。それでも森の中で夜を越えることに比べれば雨風をしのげるだけでも贅沢だといえた。
 少女は再び、こくりと頷いた。
 翌日、昨日からの雨もすっかり上がり、うららかな日の光が穏やかに降り注いでいた。少女は半分壊れかけた窓際に立って、朝から往来をちらちらと見続け、青年を待った。日が高く昇るにつれ、少女はそわそわと落ち着きを失い、同時に昨日の約束は果たされないのではないかという不安にさいなまれ始めた。しかし、昼過ぎになって、青年はいつのものとも知れぬような薄汚れた画材一式を小脇に抱えて、約束通り姿を現した。
「やあ、遅くなってごめん。ここに来る途中に梢の隙間から漏れる太陽のきらめきに見とれていたらこんな時間になってしまったよ。それにしても自然というものは、人間が想像できないくらい鮮やかな色彩を、まったく何の苦労もなく織りなすことが出来る。ああ、 自然は美しい! だから僕は少し待ちを歩くだけでもずいぶんと時間がかかってしまうんだ。何といってもいたる所にその大いなる、まったく無作為の、荘厳かつ高貴な色彩を見つけては、つい見入ってしまうからね。何といっても僕は芸術家で、そのうち大芸術家になる男だから、否が応でもそういったものに敏感に反応してしまうってわけさ」
 画材を広げながら、青年は軽やかに言った。
「今日は光線がいい。差し込む太陽の光に君が包まれて、一層厳粛な気高さのようなものが漂ってくるようだ。君はまったく綺麗だなあ。見事に調和している。この一瞬を、僕なら捉えることが出来る。緊張しているね? 大丈夫さ。そうだ、話をしようか。気が紛れるよ。君の屈託ない自然な表情を僕は捉えたいからね」
 少女は青年が約束通り現れてくれたことだけでも充分に幸福だった。同時に、まっすぐに褒め称えてくれる青年の言葉にうっとりと酔った。しかし、少女は素直に喜びを表現する方法を思いつかなかった。今自分が感じている心地よさがどういった感情であるのかさえ、はっきりとは理解しかねた。
 それから毎日のように、青年はきまって昼下がりに現れ、少女を褒め称えたり芸術論を語って聞かせたりした。それは往々にしてずいぶんと大袈裟な口調で語られた。しかし、今までこれほど真正面から人に向き合ったことなどなく、またこそばゆいほどの美辞麗句を並べられたことなどもない少女にとって、それらの言葉はすべてが新鮮であり、甘美な響きであり、時に尊敬の対象にすらなった。
「私は芸術なんてちっともわからないから」
 ある時、少女は言った。
「あなたのその感受性の本当にせめて十分の一でも私にあれば、どんなにか今見えているこの世の中が綺麗に映るだろうって羨ましく思うわ」
「僕の十分の一の感受性だって? 君は考え違いをしているね! 感受性はみんな人それぞれ持っているんだ、それぞれに感じ方が違うと言うだけでね。そうして、より多くの人間に共感される感受性を持つ者が、人気のある芸術家ってことさ。逆に言うなら、そういう連中はむしろ没個性ということになるだろうね。今、僕は世間で認められていない。僕はこれをむしろ誇りにすら思うね。だってそうだろう? それはすなわち僕の感受性、個性ってものがひときわ独特で、万人の思いもつかない領域のものだってことだからね。君が見ている世界、それは僕には想像もつかない。君の目で見るものは、君だけのもの。僕だって同じさ。僕の見えているものはどうやったって他人には見せられない。でも、僕は僕の見たもの、感じたものを何とか紙の上に再現しようとこうして日々こうして格闘しているんだ。そうして、いつの日にか僕はそれを成し遂げるつもりだよ。その時は、世界中が僕の芸術の前にひれ伏すだろうね」
「なんだかよくわからないけれど、素敵だわ」
「そう言ってくれるかい、うれしいな。君は芸術のことをちっともわからないというけれど、芸術家には理解がありそうだ。僕は奇妙な行動をするかも知れない。なんといってもこの尋常でない個性が、普通の人が目を向けないものに目を向け、普通の人が嗅がない匂いを嗅ぎ、普通の人が考えもしない思考をもたらすからね。そんな僕の話を、きみはちゃあんと聞いてくれて、理解もしてくれる。ああ! こんな出会いははじめてだよ」
「はじめて?」
 少女は瞳を輝かせた。
「私だけってこと?」
「そうだとも。僕は今までいくつかの出会いを経験してきた。でも、これほどまでに僕自身について話したことはないね。不思議だなあ、君といるといくらでも話すことが出来る。君に伝えたいという衝動に駆られるんだなあ。今にして思えば、ああ! 僕は孤独だった。誰も僕の言葉を聞こうなんてしなかった。僕は伝えたくてうずうずしていたんだ。でも、君に出逢えた。僕は君に出会ったことで、また大芸術家への道を一歩進めたんだ」
 少女はすっかり舞い上がり、自分という存在が誰かにとって特別なものであるという喜びにわななくような感動を感じないではいられなかった。
「そんな、わたしはただあなたの言葉がとっても面白くて、なんだか話を聞いていると私までわくわくしてきて、だからなんて言ったらいいかわからないけど、とにかく私はあなたを尊敬するわ。でも本当にこんな私があなたの役に立っているの? 他の誰でもなく私が? 私だけが?」
「間違いないよ。君だけが僕の真の理解者であり、僕の心の支えなんだ。こう見えて僕だって自分に自信をなくしたり、絶望したり、不安になったり、そういった苦悩をいくらでも味わってきた。一生認められないのかもってね。でも、君がそんな僕を受け入れてくれて、認めてくれて、慰めてくれる。勇気づけてくれる。それだけで僕はどんなにか救われるだろう」
 青年と少女は、どちらともなく歩み寄り、とてもぎこちなく抱き合った。
「なんだか、とっても不思議な感覚だわ」
「僕もだよ。こんなに安らかな気分は味わったことがない」
 もうどうでもいい、と少女は思った。今までのいろんな人たちへの不信も憎しみも、さんざん味わってきた孤独も、哀しみも、もう全部忘れることが出来る。私はこの人に会うために生まれてきたんだ。今までの不幸としか思えなかった生い立ちもこの出会いのために用意された運命だったんだ。そう思えば全部受け入れることが出来るような気がした。
 それからの日々は、少女にとって輝きに満ちたものとなった。
 心が通い合った二人は、今までにもまして様々な話をした。大仰な芸術論のみならず、日常の些細な出来事からその時感じたこと、将来の夢、他愛のないしかし甘美な会話がとどまることなく紡がれた。
「ねえ、雲ってどうしてあんなに自由なのかしら。人間はこんなにもめんどうくさく地上を這いまわっているのに」
「絶えず形を変えながら漂う雲に、僕も限りないあこがれを感じるよ。君も雲が好きなのかい?」
「あなたが好きなものは、私、全部好きよ。正直に言うと、今までそんなもの気に留めたこともなかったわ。でも、あなたに出会ってからどういうわけかいろんな物に目がとまるの。いろんなことを感じるの。そうして、それを全部あなたに伝えたくなるの」
「素晴らしいことだ。ああ、やっぱり君は素敵だ。いいかい、人間は見ようとして見えない、感じようとして感じられない。でもある瞬間、染み込むように見えたり感じたりする。いろんな感覚が向こうから寄ってくる。そういう波長を受ける側が出すんだろうね。実際、感じるってことはとてつもなく簡単で、そのくせ果てしなく難しいことなんだ。つまり、人間は常にいろんなことを感じているんだ。綺麗とか美しいとか素敵とか嫌だとか触れたいとか嗅ぎたいとかね。でも、感じていることを自覚しないで、確実に何かを感じながらもそのまま見過ごしている人間達のいかに多いことか! 君は違う。今、君は感じることが出来るようになった。今までだって数え切れないくらい君は雲を眺めたはずだ。そうしていろんなことを感じていたはずだ。今まではそれに気がつかなかった。今、君は確かに雲を感じている。様々なものを感じている。これは君自身の素晴らしい変化じゃないか」
「ねえ、この感覚はあなたのおかげよ。あなたが私を唯一の理解者と呼んでくれたみたいに、私にとってもあなたは唯一の理解者だわ。私はあなたを心から尊敬し、崇拝するわ。だから、ずっとこうしてあなたと語り合っていたい。ずうっと」
 といった具合に。


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