翌朝も、早くから王様は群衆の前に姿を現した。 「王様、畏れながらこの服をお召しくださいませ」 ひとりの老婆が進み出て、王様に言った。 「そのままの格好では真っ赤なビロードのマントも純白のタイツも泥だらけになってしまいましょう。私が一針一針縫い上げたこの服ならどれほど泥にまみれても決してほつれることはございません。この世の中で一番丈夫で長持ちをする服でございます」 王様は老婆から手渡された服を広げてみた。なるほど生地は厚く、縫い目がしっかりと詰まっていていかにも丈夫そうに見えた。その服には一切の装飾はなく、ただ土色一色の無骨なものではあったが、王様は何の躊躇もなくマントを脱ぎ捨ててその服に袖を通した。 「なるほどこれはよい。感謝するぞ。どうじゃ、似合うかな」 王様はにこやかに笑いながら群衆の前でくるりと一回りし、群衆は拍手と歓声でそれに応えた。 「さあ、早速種を植えるとしよう」 「いえいえ王様、種をまく前にせねばならぬ事がございます」 人々は口々に言い、ひとりの農夫が進み出てその声を代表した。 「ご覧くださいませ、ここは広場。地面は幾年もの間の人々の往来で硬く硬く踏み固められております。種をまく前にまずこの土を掘り起こさねばなりません」 「土の上に種を置けば花が咲く、というものではないのか」 「いいえとんでもございません。種は地中に埋め、その後優しく土をかぶせねばなりません。まず土がふんわりとなるまで耕さねばなりません」 「さあ、この鍬をお使いください!」 鍛冶屋が農夫の横から顔を出した。 「私たち鍛冶屋仲間で昼夜を徹して鍛え上げた鋼鉄の鍬でございます。どんなに硬い地面にも食いついて、決して刃こぼれもおこさぬ逸品でございます」 「ありがたいことだ」 王様は鍛冶屋から鍬を受け取ると、その刃先を愛おしげに見つめた。 「なるほどこれはいかにも丈夫そうだ。太陽の光に輝いて、ぎらぎらと美しい刃先じゃ。これほどの美しさはわしが持っておる幾多の刀剣にもないものじゃ。見事じゃ」 「はい、王様と姫様のためにどうぞお使いください」 鍛冶屋は興奮気味に顔を赤らめて言った。 王様は一つ頷くと、大きく鍬を振りかぶり、ざっくりと地面に突き立てた。 「そこでぐっと腰を入れます!」 誰かが声をかけた。 「こうか?」 「手元に引き寄せるように土をえぐってください」 また他の誰かが言った。 「むむ、こうか?」 王様は何度も地面に鍬を振り下ろし、何度も地面にはじき返された。それでも鍛え上げられた鍬は輝きを失わなかった。 「なるほど、こうして、んんっ、こうして、これはなかなかに力のいるものだな」 やがて日が高々と昇り、王様の額から大粒の汗が地面に落ちた。夕刻になる頃には手のマメはつぶれ、所々に血が滲んだ。 「みな、幾年も幾年もこのようにして土を耕し、作物を育てておるのか」 王様は時折うめき声を上げながらも、決して鍬を振り下ろす手を休めようとはしなかった。群衆の歓声が遠くに、けれど止むことなく、むしろ包み込むように聞こえ続けた。 王様の脳裏に美しい姫の顔が浮かんだ。慈愛に満ちた顔で、穏やかに微笑みかけてきた。 「姫のために!」 王様は折れそうになるほどの体の激痛をこらえながら鍬を振りあげ、 「そうして民のために!」 マメの痛みも忘れて鍬を振り下ろした。 次の瞬間、王様は力つきてどっと地面に倒れ込んだ。 「ああ、もうそのくらいで充分でございましょう」 農夫が駆け寄り、王様を抱きかかえた。 「もう充分に地面は掘り返されました。これだけふんわりとなれば、どんな種でも見事に根付くに違いありません」 「そうか、これで大丈夫か」 王様はそれだけ言うと、ぐったりと力無く目を閉じた。それでもその口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
翌日、ついに種は植えられた。 人々は幾日も幾日もその芽吹きを待った。 王様は人々に励まされ、教えられながら水をやり、雑草を抜き、肥料をやり、声をかけ続けた。もちろんそのどれもが王様にとってははじめての経験であり、毎日が発見の連続だった。熱狂的な人々の関心はいつしか穏やかで暖かな眼差しに変わった。 同時に王様の顔からも悲壮感に満ちた気負いが消え、民衆との気さくな語らいなども自然と交わされるようになった。 それはこの国と王様と民衆にとって、ある種とても安らかな変化だった。 その変化はもっと具体的な形でも現れるようになった。 「なあ、考えたんだが、王様の種の柵の脇に俺たちも花を植えてみないか。王様と一緒に花を植え、育てるというのはどうだろう」 誰言うともなく、そんな話が持ち上がったのである。 「一緒に土を耕し、水をやり、花を咲かせるなんて素敵じゃないか」 「まったくだ。それはいい。俺は赤い花を植えよう」 「おれは黄色い花を咲かせよう」 人々はそれぞれに広場に集まり、土を耕し、持ち寄った花の種を植えた。水をやり、声を掛け合った。 「王様、よくご覧くださいよ、水ってのはこういう風にやるもんです」 「ほらほら王様、これこれ、この草は早めに抜いておかなくちゃいけません。こいつは根が深い。栄養を全部かっさらっていきやがるんでね!」 「あらあら婆さん、そんな腰じゃあいけないよ。ほら鍬を貸してごらん、なあに俺が今日中にちゃんと耕しておいてあげるよ、任せておきなって!」 人々の顔から笑顔が絶えることはなかった。若い者は年寄りの力仕事を手伝い、年寄りは若い者に経験を教えて聞かせた。それぞれがそれぞれに出来ることを与え、足りないものを受け取り合った。 「皆の中に混じっておると、何とも心が浮き立つな。なにより太陽の下で汗をかき、共にワインを飲み、こうして笑い合うのは何と気分のいいものであろうな」 昼下がり、広場のはずれの木陰に腰を下ろした王様は額の汗を拭きながら家臣たちに語りかけた。 当初土いじりなど馬鹿らしいと遠巻きに眺めていた家臣たちも今ではすっかり夢中になって土と格闘するようになっていた。 「まったくでございます。太陽の下で風に吹かれながら食べるパンがこれほど美味とは思いませんでした」 「私などほれこのとおり、あれほど出ていた腹がスッキリとへこみましたぞ。女房も喜んでおりまして」 「やれやれみなさんご精がでますな」 いつの間に現れたのか、賢者が王様の傍らから声をかけた。 「おお、そなたもまいったか」 「今や家におりましても皆の者の笑い声や歓声が聞こえてきます。その声を聞いておりますと年甲斐もなく心が浮かれて来ましてな。ついふらりと」 「ははは。なるほど。しかしお主の言うとおり、わしは皆の者の知恵と経験に助けられ、今こうして笑うことが出来る。ありがたい事じゃ」 「いいえ、姫様を救わんとする王様の真摯な態度こそが、皆の者の心を揺り動かしたのでございましょう」 「そんなものかな」 まんざらでもないといった風に、王様は穏やかに笑った。 「どうです? この頭上高くに輝く太陽の光は、王様の財宝よりも曇って見えますかな?」 「ふふん。野暮なことを聞くな。わかっておるよ」 王様は日に焼けた顔で少し照れくさそうに言った。賢者が空を見上げて笑い、王様も誘われるように空を見上げて笑った。 と、そこに少年が転がるように駆け寄ってきた。 「王様! 王様! 芽が! 芽が出ております!」 「なんと! ついに芽吹いたか!」 王様はばね仕掛けの人形のように立ち上がると、勢いあまった少年を力強く抱きとめた。 「はい、芽が、芽が出ました。とうとう芽が出ました!」 王様の胸の中で息も絶え絶えに少年は言った。 「おお、おお、賢者よ、こうしてはおられぬぞ」 王様はいても立ってもいられないといった様子で賢者に言った。 「なんといっても、芽吹いたのだからな!わしは早速行かねばならぬ」 賢者の返答を待たず、王様は駆け出していた。 「やれ。わしも一仕事すませようかの」 駆けていく王様の背中を見送りながら、賢者はゆっくりと立ち上がり、目を細めて太陽を見上げた。
王様の柵の周りにはすでに幾重にも人垣ができていて、王様の到着を待ちわびていた。 人々は王様の姿を見つけると大歓声を上げながら王様のために道をあけた。 「おめでとうございます王様!」 「とうとう芽が出ましたな!」 「努力の賜物です!」 人々が口々に祝いの言葉を述べた。王様はその声にうんうんと応えながら這いつくばるように膝をつき、ちいさな花の目に顔を近づけた。 「おお、芽が、芽が生えておる。確かに生えておる。芽が、花の芽が生えておる」 王様はそこまで言うとたまらず一粒の涙を落とした。落ちた涙は王様が自ら汗してマメをつぶして耕した柔らかな土にそっと染み込んだ。 地面が揺れるほどの拍手と歓声が沸きあがった。王様は立ち上がり、ひざについた土はらうのも忘れて高々とこぶしを天に突き上げ、民衆の声に応えた。 「皆のおかげじゃ、皆のおかげじゃ!」
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