「近頃のこの天気はまったくどうなってしまったのか」 ある日、もう何の遠慮も思惑もなく話が出来るようになった賢者と魔女は共に高く輝く太陽を見上げながら、どちらともなく口を開いた。 「雲一つ出ないなんて事があるか? それも一日二日ではない。もうずっとじゃ」 「わしがお前さんのところに通うようになってから、一度も雲を見ておらん。おかげで国中が干上がって、大変な騒ぎじゃ」 「そうそう。わしも折を見ては鏡を通して眺めておるが、まったくひどいことになっているようじゃな」 「そうじゃ。そうして、腹立たしいことに、この天気すらお前さんのせいだと騒ぐ輩が出始めておる」 魔女は賢者の言葉に寂しく笑った。 「なに腹も立たぬよ。都合の悪いことは皆、わしのせいにされる。今に始まった事じゃあない。昔はそれでも腹も立ったが、考えてみれば皆の不幸の原因を全部わしのせいにすることで気が済むなら、こんなわしでも多少なりとも人の役に立っておるのかなと思うようになったわい」 「ほう、大した変化じゃないか。でも、それではわしの腹の虫がおさまらんな。わしはこう見えて善人でも何でもないからな。やっぱり自分の友人がいわれのない中傷をうけているのは耐えられぬ。といって、ただその者達を罵ったり、諭したりしても一層お前さんの立場を悪くするばかりのようにも思う」 賢者はそういうと、苦々しく顔をゆがめた。 「まあいいさ。それよりもほら、茶が入った。ゆっくりしていってくれ。もうそんなことはどうでもいい事じゃ。わしは人を恨むことをやめた。人に恨まれることもにも慣れた。お前さんがこうして話をしに来てくれれば、それで満足じゃ。森の奥深くに住めば穏やかに暮らしてゆける。姫の呪いは花を咲かせぬ限り、わしの力でもどうやったって解くことは出来ない。それだけは申し訳なく思うがな」 「でも……」 「いいんじゃ。人は人。言いたい者がおれば言わせておけばいい。どう思われるか考えることは疲れるだけ。どうしたってどう思われているかを確かめることなんか出来ないのだから。お前が言ったとおり、なすべき事を成すしかない。それはわしにとって、沈黙なんじゃ」 「知らぬ間に、わしよりも聡明になったような……」 賢者はそういうと、ゆっくりと茶をすすった。 「お前さんがこれほどに心を入れ替えたことを、どうにか伝えたいものじゃ」 賢者はなおも諦めきれぬといった顔で、また、茶をすすった。 「なあ、しつこいと思われるかもしれんが、一つ聞いてもよいかな」 賢者は茶を傍らに押しやり、少し身を乗り出した。 「雨を降らせるというのはどうじゃろう? お前ほどのものなら、この地に雨をふらせることも出来るのじゃないか? お前さんの力で雨を降らせることが出来れば、皆お前さんに感謝する。お前さんを見直す。お前さんを……」 「無謀じゃよ。天気というのは大いなる天界の意志じゃ。これに逆らうことはとてつもなく危険で、しかもそれ以上に難しいことなんじゃ」 「そんなに難しいのか」 「そうじゃ」 「お前さんの力を持ってしても?」 「誰の力を持ってしてもじゃ」 「難しいんじゃな」 「果てしもなく」 「よし。わかった」 賢者はそういうと、残った茶を一気に飲み干して、生き生きと立ち上がった。 「難しいと言うことは、無理じゃないということじゃないか。やってみよう」 魔女は呆気にとられて賢者を見上げ、やがてまんざらでもない苦笑を浮かべて立ち上がった。 「ひねくれものの、頑固者め」
「そうしてこの者は、ついに天界の意志に背いて雨を降らせる術を会得したのでございます。長い日数はかかりました。何度も諦めかけました。でも、この者はついにその術を身につけたのです」 賢者は王様に言った。 王様は一言も発しなかった。腹立たしい気持ちは消えていなかった。と同時に消化しきれない、憤りとは違う得体の知れない感情が王様の中に確実に芽生えていた。それはほの暖かく、そうしてどこかしら穏やかな心地よさのようなものをも伴っていた。 魔女はその顔を上げ、きらきらとした瞳で王様を見た。そこにはじめて、王様は懇願の色を見て取った。 「よかろう。さっそくはじめるがいい」
広場に築かれた祭壇に、王様、賢者、そうして魔女が姿を現した。 集まった民衆のほとんどすべてが魔女本人をはじめて目にする者達だった。民衆の想像する魔女はもっと醜悪で、離れていても異臭が漂ってくるようで、ふてぶてしく憎まれ口を絶えず吐いているはずだった。しかし、今民衆の目の前に現れたのはどこかしら気品のようなものさえ漂わせ、また壮絶な覚悟を腹に収めた気迫のようなものも同時に発していた。あれこそが魔女らしいと口づてに聞くまで、そうとは気がつかなかったものも多かった。 「皆の者」 王様は民衆に語りかけた。 「魔女が、わしの前に現れた。この者が、今から雨を降らせてみせると申しておる。この晴天続きの空を雨雲で覆い、めぐみの雨を降らせると。もとよりわしは信じてはおらん。この者の呪いでもたらされた苦しみも哀しみも忘れてはおらん。しかし、この者に一度だけ賭けてみようと思う。もし雨が降らなければ切り捨てられることを、この者は承知しておる」 民衆はざわついた。 「太陽を照らしたのもこいつなら、逆に雨を降らせることもわけあるまいよ」 誰かが叫んだ。 「そうだ! こいつは茶番だ」 「それは違うぞ!」 賢者が進み出てその声に答えた。 「この者は呪いをかけ、姫様をカエルにした。しかし、この晴天続きはこの者の仕業でない。それはこのわしが保証しよう。賢者と呼ばれる者として。そうして、この魔女と呼ばれる女の友人として!」 民衆のざわめきが増した。 今賢者は確かに友人という言葉を使った。いつから賢者が魔女の友人になったのか? 民衆は混乱し、ある者は賢者も魔女も仲間だったかと悔しがり、ある者は賢者がそういっているのだから信じてみようと祈った。 民衆の動揺など意に介さぬといった様子で、魔女は祭壇のいちばん高い場所に立ち、目を閉じた。 両手をいっぱいに広げ、手のひらを空に向けた。 魔女はのどの奥を震わせるように、ごろごろという呻き声ともまじないともいえぬ声をあげた。 王様も民衆も、固唾を呑んで天を見上げた。見飽きた太陽が、何の変わりもなくぎらぎらと照りつけた。 魔女はなおも祈り続け、呻き続けた。 どのくらい時間がたったことだろう。太陽は西に大きく傾き、人々の影は長く濃く伸びた。魔女は憔悴しきった顔で、なおも呻き続けていた。 やがて、太陽がすっかり遠い稜線の彼方に姿を消すと同時に、その太陽を追いかけるように東の空のかなたに一片の雲が現れた。 「ああ、雲だ!」 太陽の残り火にかすかに照らされたその雲を誰かが見つけ、叫んだ。 雲はその後次々に姿を現し、やがて空いっぱいに分厚く広がった。 「雲だ、雲だ!」 口々に叫ぶ民衆の頬に、鼻先に、額に、冷たい滴が一つ二つと落ちてきた。 その滴はやがて大粒の水滴となり、無数の糸となって人々に降り注いだ。 「ああっ! 雨だ! 雨だ! 雨だ!」 その叫びをかき消すように、雨は激しさを増して降りしきった。 王様も両手を広げ、大口を開けて、全身で潤いを受け止めた。 「雨じゃ! おおっ、雨が降ってきた!」 誰も魔女に気を配ることなく、狂乱ともいえる歓喜の中に身を投げた。 怪しげな呪術者連中は、この混乱に乗じていそいそと逃げ出した。 魔女はなおも姿勢を崩さぬまま、むしろなおさら大声で何事かを呻き続けていた。 ようやく、賢者が魔女のもとに駆け寄った。 「雨じゃ! 降ってきたぞ! 雨が降ってきたぞ! お前さん、とうとうやったな!」 魔女は賢者が来るのを待っていたかのように、賢者の腕の中に崩れ落ちた。 「天の……、天の意志は偉大じゃ。太陽が沈んでようよう……、雨を降らせることが出来た」 魔女はそれだけ言うと、ゆっくりと目を閉じた。
魔女がもたらした雨のおかげで、人々も草花もすっかり息を吹き返すことが出来た。しなだれかかった葉や蕾は、根からたっぷりと吸い上げられた水分と養分の恩恵を受け、実にわかりやすく、ふたたび青々とした生命力を力強く見せつけた。 広場一面が見違えるほど青く煌めき、風の動きを目に見えるものとして優雅に揺れたりした。 やがて、ぽつ、ぽつと人々の植えた花々が硬かった蕾を開き、花を付け始めた。最初は数えるほどでしかなかった可憐な花々は、その後堰を切ったように一斉に花開き始めた。色とりどりの様々な花が咲いた。それに伴って、人々の表情にも晴れやかな笑顔が咲き乱れはじめた。 「ああ、こっちも咲いている。こっちも。ほら見てくれ、これは女房が好きな花なんだ。俺にとっては世界でいちばん美しい花なんだ」 「ここにも咲いてる! おばあちゃんがずっと待っていたこの赤い花。この花を見たら、おばあちゃんはどんなにか喜ぶでしょう! みなさんありがとう。鍛冶屋さんの鍛えた鍬のおかげで、こんなに綺麗な花が咲きました」 「それはよかった! 俺の花ももうこんなにつぼみがほころんで今日明日中には咲くだろう。これもあんたたちが肥料をわけてくれたおかげさ、こちらこそ、ありがとう」 人々は広場に集い、自らが植えた自分にとって一番大切な人のための花を愛で、誇り、そして感謝を忘れなかった。 「王様の花も、もうすっかり蕾がほころんでいるそうだ。もうすぐ、世界でいちばん美しい花が見られる。もう楽しみで楽しみでたまらない」 人々はひとしきり話し合い、感謝しあった後に、決まってそう言うことを忘れなかった。
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