「とすると、そうして我が姫はカエルにされ、わしや民衆はお前が望んだ通り嘆き悲しみ、例の物言うカエルが種と下心をもってのこのこ現れ、わしは土にまみれてその種を育てたと言うことか」 王様は半ば呆然と言った。 「なんたることだ。どいつもこいつも……」 「しかし、聞いていただきたいのはこれから後の話でございます」 賢者がとりなすように言った。 「その魔女が、今こうして王様の前に頭を垂れておる理由をどうかお聞きください。今、この者は心より改心し、王のために自らの力を捧げたいと申しております」 「しかし、今お前が語った話に出てきた者どもの、その心の醜さといったらどうだ。魔女だけではない。民衆も、カエルになった王子も、皆、なんという醜さだ。言葉というものをどうやって信じればいいのだ? 皆、心と裏腹の邪心に満ちた連中ではないか」 「王様、私の話を聞かれて、気がつかれませんか? この者は確かに悪辣な野望を抱いて、やってきたことも赦されざる事ばかりではございます。しかしながら、この者はあくまでも自らの気持ちに偽りなく、生きてきた者でございます。憎いと思って憎み、怨みにとらわれて怨みました。そうして今、王の力になりたいと念じて、この場におります。この者の気持ちや振る舞いに、嘘偽り、表裏はございません」 「今まで憎しみや怨みしか知らない者が、容易に心を入れ替えることなど出来るものか。汚れた人間は汚れた中でしか生きられぬ。長年染みついた汚れは一夜の雨で流れ落ちるものでもあるまい」 賢者は大きく首を横に振って見せた。 「一夜の雨ではございません。幾日も幾日もかけ、少しずつ、凍えた指を一本一本開くようにこの者の心を解きほぐしていったのです。ここで王様がこの者を疎んじ、信じてやらねば、またこの者の心は凍りつくに違いありません。そうして、太陽は照り続けることでしょう。今こそ、信じてやらねばならないのです。この者が魔女ではなく、心寂しい正直者であったと暖かく包み込んでやらねばならないのです。ですからどうかお聞き下さい、この者がいかに改心していったのかを」
賢者が魔女の家をはじめて訪れた次の日にも、賢者は魔女の家に顔を出した。 「おうい、今日もやってきたぞ」 賢者は通い慣れた友人の家にでもやってきたような振る舞いで玄関の扉を開け、にっこりと笑いかけた。 「なんじゃ? 勝手に入って来おって。何にも用など無いぞ」 腰掛けていた椅子から立ち上がろうともせず、憮然と答える魔女に、賢者は言った。 「そんなことはあるまい。ゆっくりと話をしようといったではないか。わしは約束は守る男じゃ」 「約束? そうかね。まあいいさ、そのうちお前も諦めて寄りつかなくなる。わしにはすっかりわかる。お前がどんな思惑でうろちょろとわしの前に現れるのかはしらんがな」 「なあに、ただお前さんと話がしたい、それだけじゃ」 賢者は動じる様子もなく家の中に上がり込み、机の上に投げ出されている調剤用のすりこぎを手に取ると、何事か念じて見せた。するとすりこぎは白い煙に包まれ、腕のいい職人が作ったような肘掛け付きの椅子に姿を変えた。賢者はその椅子を引き寄せて、魔女と向かい合うように座った。 「ほほう、お前も魔法などをたしなむか」 魔女は言った。 「まねごと程度じゃがな。少しばかり、心得はある」 「一体お前は何者じゃ? わしのようなもののところにやってきては説教を言い、また魔法なども使って見せ、と思えば王や民衆の輪に加わってにこやかに微笑む」 「まあ、お前さんと似たようなもんじゃろな。得体の知れぬじじいじゃ」 「ほう。似たもの同士か。賢者といわれるほどのものがどうしてわしなどと似たものであろうか」 「賢者? あんなものは他の連中が勝手に呼んでいるだけじゃ。わしは自らを賢者とは呼ばぬ。賢者だと思ってもおらぬ。ただいちいち違うというのも煩わしいから、そのままにしておるだけじゃ。お前にしたところで、どうにも、わしには魔女には見えぬのだがなあ。お前は、魔女かな? そもそもお前は自分のことを魔女だと思っているのか?」 「そんなこと考えたこともないわい」 「しかし考えてみると不思議な事じゃないか? 自分の思っている自分とは関係なしに、他の人間が勝手にいろんな呼び名をつける。賢者だの魔女だのとな。それこそ巷ではお互いがお互いを馬鹿だの嘘つきだの正直者だの孝行息子だの先生だの親方だのと好き勝手に呼び合ったり、褒めたりけなしたりしておる。まったく他人の目というものは身勝手で、適当なものだな。本人の思惑なんぞお構いなしじゃ。うーむ。さて、そうなるとお前さんのことを何と呼べばよいかな?」 「何とでも呼べ! 知ったことか! いきなりやってきたかと思えばわけの分からぬ事を」 「いやいやこれは悪かったな。では今日はこのあたりで。また明日も来るぞ。明日にはお前さんの、親からもらった本当の名前を教えてもらいたいもんじゃ。そうそう、このわしの椅子、棄てずに置いておいてくれよ」 賢者はにこやかに立ち上がると、魔女の返事も待たずに出ていった。 魔女は呆気にとられたように賢者を見送り、しばらくして我に返った。魔女は試みに自分の本当の名前を思い出そうとした。頭に浮かんだ名前は随分とよそよそしい感じがした。魔女はその事実に半ば愕然とし、半ば諦念した。自分は何者だろう? ふとそんな考えが浮かんで、あわててすぐに振り払おうとした。自分は魔女なのか? 自分は魔女でしかないのか? うまく考えがまとまらなかった。魔女は考えることを諦め、悲しげに賢者の椅子を眺めた。 翌日も賢者は顔を出した。 「さて、今日は何を話そう」 賢者は椅子に座って、またにこやかに笑いかけた。 「おおっ、ちゃんと椅子はとっておいてくれたな。ありがたい。結構骨が折れるんじゃ、椅子一つ出すのにもな」 賢者は嬉しそうに肘掛けをなでさすった。 「何にも話すことはないといったはずじゃ」 「はは、見かけによらず頑固じゃな。そうそう、名前を教えてくれないかと頼んでいたな。どうもわしはお前さんのことを魔女とは呼びたくない。どうかね? 名前くらいいいじゃろう?」 「名前などない。何とでも好きに呼ぶがいい」 魔女は不機嫌そうに言い放った。しかし、そんな言葉とは裏腹に、魔女と呼びたくないと言う賢者の言葉は、魔女の胸にちくりとかすかなさざ波を立てていた。 「これは困ったな。ではやはり、お前さんとでも呼ばせてもらうか」 魔女は答えなかった。 「まあ、実際のところ名前なんぞどうでもいいことじゃい。どこで生まれたかも、何をしてきたかも、いちいち詮索するだけ野暮というもんじゃ。目の前にいるお前さんが、お前さんのすべてじゃものなあ」 「わしのすべて?」 「そうじゃ。お前さんはお前さん。肩書きも何にも関係なく、お前さんはお前さん。誰でもない。お前さん以上でも以下でもない。誰かに憧れても、誰かを妬んでも、その誰かになれるわけじゃあない。ところでおまえさんは自分が好きかね?」 「自分……」 「そうじゃ。自分が好きかね? 良いところも悪いところもひっくるめて、自分が好きかね?」 「そ、そんなこと知るか。考えたこともない」 「知らぬ? ならば教えてやろう。お前さんは自分が好きじゃよ。間違いない。第一お前さん、ちゃんと生きている。それこそが自分が好きだという何よりの証拠じゃ」 「……」 「自分のことが誰より好きだからこそ、人は自分を守ろうとする。方法は様々じゃ。逃げ出したり、目を背けたり、誰かを恨んだり、傷つけたりとな」 「……」 「お前さんがどうして魔女と呼ばれるまでになったのかは知らんがな、魔女になったお前さんの振る舞いだけを見て、お前さんを罵ったり、懲らしめようという気にはどうしてもなれん。きっと魔女にでもならなければ、自分のことを守れなかったんじゃろうな、よほど辛い思いをしてきたのじゃろうなと、そう思う」 魔女は知らずうちうなだれていた。賢者の顔を直視できなかった。自分が好きかと問われれば胸を張って肯定も否定もできないような気がした。そんなことは考えたことすらなかった。しかし、賢者に面と向かってお前は自分自身が好きなのだと宣言されると、どうにも恥ずかしくてたまらない気持ちになったのだった。 「お前さんがしてきたことは、ゆるされん。しかし、お前さんがお前さんであることから逃げ出すこともできん。お前さんはやっぱりお前さん自身を守らなきゃならない。ただ、自分を守る方法を考え直すことは出来るのではないかな」 賢者はそこまで言うと、魔女の反応を待つかのように黙って椅子に腰掛けなおした。 沈黙が支配した。 魔女は何も答えなかった。 ただ賢者の視線を避けるように、窓に視線を移した。窓からはうららかな陽光が差し込んでいた。遠くで鳥が鳴いていた。時折吹き抜ける風が、梢を大きな流れのように揺らす音が聞こえた。それはあまりにおだやかな昼下がりといってよかった。魔女の視界の中に、魔女が憎しみとする対象は何一つ見当たらなかった。 「まあ、今日はこのあたりで帰るとするか」 賢者が腰を上げた。 「明日も、明日も……来るか」 窓の外を見つめたままで、独り言のように魔女が口を開いた。 賢者は少し驚いた様子で振り向き、にっこりと暖かな笑顔を浮かべて魔女を見た。 「ああ、もちろん来るとも。また、話をしような」 賢者が去ってから後も、魔女は呆けたようにずっと窓の外を見つめ続けた。 約束どおり、賢者は次の日も魔女の家に現れた。その次の日もまたその次の日も、幾週間も賢者はにこやかな笑顔とともに魔女の家に顔を出した。 魔女はもう、賢者の来訪をなじったりすることをやめた。それどころかふとした瞬間に窓の外に目をやって、この家に続く獣道の先に賢者の姿が見えはしないかと目を凝らしたりしている自分に気がついて、軽く狼狽したりした。まだ自ら玄関の扉を開け、両手を広げて笑顔で賢者を迎え入れることには抵抗があった。少なくとも、魔女は賢者の訪問をさして気にかけていないそぶりを貫き通していた。 それでも、しだいしだいに賢者と魔女との間に会話らしき接触が形作られつつあった。賢者は相変わらずひどく突飛で抽象的な話をし、魔女はその投げかけに魔女なりの解釈で答えた。 「生きるということは苦しいな」 あるとき、賢者がまた例のごとく唐突に語りかけた。 「なぜだろうなあ」 「それは……。思い通りにならぬから」 魔女は素直に思うところを答えた。 「思い通りにならぬからか。なるほど。もう少し詳しく教えてくれんか」 「思うに、人間、誰しも自らの中に何らかの理想を持っている。ああなればいい、こうなればいい、あるいはこうなるはずだといった淡い理想だ。でも、往々にしてその理想は打ち砕かれる。こんなはずではない−と、その時、人は嘆く。自らを不幸だと、報われぬ人間だと。そんなことが幾度も繰り返されるうち、打ちのめされ、あるいはあきらめ、生きることを苦しいと思うのではないかの」 「ふむ。ではやはり、生きることは苦しいのか」 「なにをいう? 今しがたお前自身が生きることは苦しいなと言ったのじゃないか」 「確かに言った。お前さんはそれを否定しなかった。むしろ、肯定し、その理由まで語って聞かせた。とすると、やはりお前さんも生きることが苦しいと思っているか」 「わしは……、苦しいというのとは……、少し違うな」 「ほお? お前さんは苦しいというのではないのか?」 「……わしの場合は、虚しい……、いいや怖いというか」 「その理由を考えたことがあるか?」 「ない。触れようとも思わなかった。思ったところでどうなる?」 「そうか。まあゆっくりと話をすればそのうち答えが見つかるかも知れんな」 「そ、そう言うお前はどうなんじゃい? お前にとって生きることは苦しいのか?」 「はは、無論苦しいさ」 賢者は間髪入れずに答えて見せた。そのあまりに迷いの無い返答に、魔女は少し驚いた。 「賢者ともあろう者が、なぜ生きることが苦しいとそれほどまでに即座に答えるんじゃ? 王から慕われ、人々から尊敬され、この世のあまねく知識を習得し、常に泰然として動じるところが無い。悩みなどとは無縁で金にも執着がなく、すべてを達観したようにすら見えるお前ほどのものが、何を苦しむことがある?」 「そんな風に見えるかね。いつぞやも言ったが、そんなものはすべて勝手に他の人間が抱いている印象に過ぎん。誰もわしのことなど知りはせん。わしが王に慕われ、人々から尊敬を受けている? よしんばそう思われればこそ、その期待にこたえようとせねばならん苦しみは幾ばくのものか想像もつくまいな。この世のすべての知識を習得している? それとてこの世の中にわしの知らぬことがまだどれほどあることか。そうしてこの世のすべての物事を知ることなどできぬまま死に行かねばならぬ苦しみはどれほどのものであろう。老齢になれば老いることに怯え、死ぬことはなおさら怖い。しかしそれらは抗おうとしても抗うことができるものではない。否応無くやってくるものだ。わしにはそれを受け入れる覚悟がまだ無い。自ら歩み寄り、死を引き寄せるなどというのはもってのほかじゃ。人と交わるときには平然とした顔で涼しげに笑いながら、一人真夜中に、わしはどれほどこのいささか薄くなった頭をかきむしり、あらゆる恐怖に怯えて身を震わせることか。誰かしらの些細な言葉ひとつに憤り、嘆き、おののくことか。なるほど皆平気で生きているように見える。何の悩みも無く笑っているようにも見えよう。しかし、おそらく誰しもがその腹の中でこう思っているに違いない。ああ、自分ばかりが悩んでいる、苦しんでいる、その証拠に他の連中はあんなにも平然と笑って悩み無く暮らしているじゃないかとな。それはわしもおんなじじゃ。わしも人。お前さんも人。みんなただの人間なんじゃから。そう頭でわかっていながら、なお、自分ばかりが不幸と思わずにいられない。もとよりそう思うこと自体が、何と苦しいことか」 「まさか、お前がそんなことを思っているとは」 「ん? 想像もつかなかったか? はは、無理も無い。みんな人のことはそう見える。さて、お前さんは苦しいのではなく哀しいといったな。どうしてか話してみんか」 魔女は急に押し黙った。 「ほれ、どうした」 賢者に促されて、魔女はそれでも小さく頭を振って答えなかった。 「話したくないのか? どう話せばいいのか戸惑っているのか? まあ無理にとは言わぬよ」 「わしは……」 魔女はうなだれ、しばらく考え込んでいたが、やがてかぼそげな溜息と共に言った。 「わしは実際のところ怖くてたまらぬ。人にどう思われるかということが、怖くてたまらぬ。だからこそ誰よりも嫌われ、遠ざかることで、わしは今までどうにか生きてきた。誰よりも嫌われていると思えば、これ以上嫌われることはないからな。期待をすれば、裏切られる。すり寄れば、避けられる。わしはそんな思いをしたくない。しかも今さらどれほど生まれ変わったつもりで何かをしても、みな疑いの目でわしを見るに違いない。何か企んでいるに違いないという目で、遠巻きにわしを見るに違いない。もし仮にわしが心を入れ替えたとしても、誰もわしの心の奥底までを理解して、受け入れてはくれぬだろう。わしは心の闇を、ずっとひとりで抱えて生きてきた。誰にも吐き出せぬ思いを、自分の中で幾度も幾度もかき回しながら…わかるか? 誰にも必要とされぬ苦しみを。お前にわかるというのか、永劫に続く孤独と自己嫌悪の日々を」 賢者はゆっくりと呼吸をし、そうしてごく自然な動作で、魔女の肩に手を添えた。 「一体何を期待する。良く思われたいと? あるいは感謝されたいと? 自らのなせることを誠実になす。それ以外にどうして救われる? どう思われようがいいではないか。見返りを期待せず、自らに忠実に、良いと思うことをなせばそれだけで良いではないか。人の評価などは後で自ずとついてくるもの。何より自分を必要以上に卑下し、自分の気持ちに背を向けることほど悲しいことはないぞ」 魔女はのたうつように身をよじり、やがてその場にしゃがみ込んで呻いた。 「わしには……、わしにはわからん。もうその自分の気持ちというものがどんなものか、わしにはわからんのじゃ」 「自分の気持ち? そんなもの、誰にもわからんのじゃよ。思うようにならん。誰にも。それより、よく話してくれたな。苦しかったろう、辛かったろう。さぞ深い闇であったろう。なんとかその闇を共に拭い去る方法を考えよう」 「怖い……、怖くてならん……」 魔女はなおも呻き続けた。賢者はそっとその肩を抱いた。魔女はたまらずほろほろと涙を流した。自分が泣いているということに驚きながら、それでもずっと、泣き続けた。 魔女が心からの涙を流した日の後、魔女は自身の生い立ちから何からすべてを賢者に話して聞かせた。まるで今まで誰かに聞いて欲しかったとでも言うように、魔女は語ったのである。
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