「とすると、あの物言うカエルというのは…」 我を忘れ賢者の話に聞き入っていた王様は、驚いた様子で顔を上げた。 「さよう。さる国の王子様にございます」 賢者は答えた。 「で、それでどうなったのじゃ? はよう続きを語れ」 王様は言った。待ちきれぬといった様子で。
魔女はなお、山中をさすらった。 いくつも山を越え、谷を越えた。夜になるとカエルに姿を変えられた王子を取り出し、話しかけ、もてあそび、時折魔女が抱いている復讐話を語って聞かせたりもした。 「今頃、おまえさんの国では大騒ぎじゃろうな」 ある晩、魔女は言った。 「そのうち父上が、ゲコッ、軍勢を引き連れて俺を救い出しに、ゲコッ、ゲコッ」 カエルは悔しそうに飛び跳ねた。 「そうかそうか、そのわりに森はずっと静かだ。まだこのあたりはお前の国ではないのか? 山狩り一つ行われている気配すらないがな。まあいい、ここらで一度、おまえさんの国がどんな騒ぎになっているか見てみようじゃないか」 魔女はそういうと、小枝を拾って四角く枠を作った。そうして杖をひと振りすると、ふっと息を吹きかけた。 小枝で作った枠が光を放った。やがて水面のようにきらきらと揺れると、しだいしだいになにかが映り始めた。やがて揺らめきが消えると、そこには大勢の人々が大通りで歓声を上げながら祝杯をあげている様子がありありと映し出された。 「王様ばんざあい!」 「新しい王様に祝福を!」 人々の声が聞こえた。カエルは驚いた様子で飛び跳ねながら、その光景を覗き込んだ。 「どういうことだ? ゲロゲロ」 カエルは同じ言葉を何度も繰り返しながら、目玉をぎょろりとまわした。 「王子が森で行方知れずになって」 酒瓶を抱えた男が、まるでカエルの疑問に応えるように口を開いた。 「心労で王様が倒れられたときには、さすがにこの国もおしまいかと思ったがな」 「そうそう、暗い話続きで、何にもする気にならなかったものだ」 連れの男が頷くように言った。 「でももう大丈夫だ。新しい王様の新しい治世の始まりだ。前の王家の血筋は絶えたが、まあ考えてみると大した王様じゃあなかった。自分たちばかりうまいものを喰い、舞踏会だのなんだのと贅沢三昧だったからな。そのために俺たちがどれだけの税金を巻き上げられたことか。今の王様が隣国から兵隊を率いてこの国に来たときには、どうなることかと思ったものだったが、別に略奪だのなんだのすることもなかった。」 「そうとも。今度の王様は、たいそうな金持ちだそうだ。もう金なんざうんざりするほどもってるそうだからな。誰が王様になろうが、俺たちは平穏に暮らせりゃそれでいい。ちょいと財宝をひけらかしてそっくり返っているが、それでいい気分になってるなら、いい気分にさせときゃあいい。それに戴冠式の祝儀だといって、村々に酒樽を一樽ずつ届けさせたと言うんだから、なかなか名君かもしれんぜ」 「ところで、王様の姫君を見たかよ」 いやらしげに身を乗り出して、男は言った。 「ああ、遠くからだが見た。綺麗な姫だ。優しそうに手を振っていた。あれがあの王様の娘とは信じられん。お前、戴冠式の祝いで姫様が自ら歌われた、あの歌声を聞いたか?」 「聴いたかだって? もちろん聴いたとも! 俺は今まで歌なんてものに何の興味もなかったが、あの歌声には思わず背筋が震えた。まったくわけがわからんことだが、涙が出た。あんなに澄みきった、穏やかな歌声は聞いたことがない。姫が歌っている間は、小鳥たちもさえずりをやめて聴き入ったそうだ。別に王様はまた他の誰かに代わってもかまわんが、あの姫様だけは未来永劫この国にいていただきたいもんだ」 「よし、ではもう一度、飲もう!」 「王様、ばんざあい! 姫様、ばんばんざあい!」 カエルは喉をひくつかせた。それはカエルの習性によるものか、王子の怒りから来るものか判別できなかった。 「なんという無礼者、ゲロッ、なんたる不敬者だ……そうして何という変わり身の速さだ」 呻くように言ったカエルの目はしっとり濡れていたが、それもカエル本来のものか、王子の悔し涙か判別できなかった。 「人の心など、こんなものだわい。お前の思っているほど、人民は誠実ではないわ」 それ見たことかと言わんばかりの表情で魔女はカエルを見下ろした。 「誰ひとりお前のことを悼んでいる者などおらん。むしろ連中は、お前たちがいなくなったことを、あれほどまでに喜んで、酒など酌み交わしておる」 カエルは一言も言葉を発しなかった。じっと何かを考えている様子だった。 カエルに姿を変えられた王子は、すっかりカエルになりきってしまったように思えた。民衆の歓喜する様をまざまざと見せつけられて後、ぱったりと人間の言葉を発することをやめてしまっていた。時折ちいさく喉を鳴らすほか、カエルはじっと考え事をしているように見えた。魔女がつついても、罵っても、からかっても、カエルは動じなかった。 「聞いてみるのだが……」 三四日もたった頃、すっかり月が高く昇って、不気味なほどに風はなく、ただどこからか虫の音がかすかに響く真夜中に、カエルは何の抑揚もない声で魔女に話しかけた。 「いや、やっぱり何でもない」 カエルは何かを振り払うようにあわてて取り消した。 カエルの声に身を起こした魔女は、すばやく手を伸ばしてカエルをつかむと舐めるようにその目を見つめた。 「久しぶりに口をきいたかと思ったら、随分思わせぶりじゃないか」 「気の迷いだ。何でもない。ゲロッ。その手を離せ」 「気の迷い? 違うな。心の奥に何かが湧き出たのじゃろ。思うことがあれば言え。飲み込んだ言葉はまた何かのはずみで飛び出そうとするものじゃ。遅かれ早かれな」 カエルは魔女の手のひらの中でもがいた。足をばたつかせ、伸びをするように全身を反らせた。 「俺は恐ろしいことを考えた。考えてしまった。しかしもう忘れた!」 魔女はカエルを草むらに放り投げ、吐き捨てるように言った。 「まあいい。今は己の心にしまうがいい。しかし、一旦胸の奥に湧いた言葉は、それが恐ろしいものであればあるほど、お前の体内でぐつぐつとくすぶり続けてお前の体を蝕むぞ」 カエルは無様に仰向けになったまま、月を見た。雲一つない空に、あまりに大きく輝く満月を見た。魔女が不機嫌そうに背中を丸め、眠りにつく様子が伝わってきた。カエルはじっと動かなかった。黄金色に輝く月の光の中に、祝杯をあげ、肩をたたき合っていた民衆の姿が鮮明に浮かんできた。それはこのところ幾日もずっと、濃淡の差はあれど絶えずカエルの脳裏に張りついている光景に他ならなかった。 カエルは目を潤ませた。 カエルの胸の奥に小さく宿った灯火は、魔女の言葉の通り、日を追う毎にその炎を大きくしていった。 その炎は時にカエルの小さな胸を焦がし、やり場のない苛立ちをもたらした。またあるときはたとえようもない自己嫌悪となって津波のように覆い被さった。自分の心中にふつふつと湧く得体の知れない感情に抵抗しながらも、その炎を消す術をカエルは知らなかった。その感情を直視することを、カエルは極端に恐れた。正面から向き合ったが最後、一呑みにされてしまうことを薄々直感していたといってもよかった。 「どうじゃ、そろそろ話したくてたまらなくなったのじゃないか?」 見透かしたように魔女が声をかけるときがあった。 そんなとき、カエルはほろりと、何もかも話してしまおうかと揺らぐ自分に気がついた。カエルは弱気になっていく自分に心底愛想を尽かしながら、懸命に自分を奮い立たせなければならなかった。 「忘れた。もうすっかり忘れた」 カエルは呻いた。 「何を忘れたか覚えているうちは、忘れちゃおらんのだぞ。まあいい、わしから無理には聞かぬよ。話せといえば、話すまい。ただ、話したくなれば話せばいい。いつでもな。案外わしの力が役に立つかも知れぬぞ、お前の溜飲を下げる手助けが出来るかも知れぬぞ」 魔女は鼻のいぼをもてあそびながら言った。射抜くような視線が、カエルの体を硬直させた。 「お前に何がわかる!」 からみつく視線をふりほどくかのようにカエルが叫んだ。 「忘れ去られ、悼まれもせずに葬られた者の気持ちがお前にわかるか! 自分がいなくなった後に歓喜に湧く人々の声を、そのあざけるような声を投げつけられる者の気持ちが、 お前にわかるか! 俺は今もまだこうして生きているというのに!」 押し殺していた感情が爆発した。魔女は内心ほくそ笑んだ。 「そうかそうか。まったく人間など醜く、自分勝手なものだな。お前の気持ちはよくわかる。怒ってもいい。そうだ、怒れ! わしもお前の気持ちはよくわかる。人間の心の影をずいぶんと見てきたからな。おまえの悔しさ、歯がゆさ、わかる、わしにはわかるぞ」 「魔女よ、俺はもうたまらない。俺は恐ろしいことを考えた。でもそれは連中が俺にした仕打ちの仕返しだ。もう迷わない。俺をこんな姿にしたように、新しい王の娘、綺麗な歌声をもち、人々が心から愛してやまないというあの姫をカエルにすることは出来るか? そうすれば連中は苦しみ、嘆き、泣き叫ぶに違いない。お前にそれが出来るか?」 「姫をカエルに?」 魔女はそういってから、膝を打って天を仰いだ。 「なるほど、それはいい! 妙案だ! わしとしたことがどうして今までそのことに気がつかなかったか。姫をカエルにかえてしまえば、確かに人々は悲しむ。莫大な財宝を誇る王も、のたうち回って苦しむじゃろう」 魔女はそこまで言うと、勢いよく立ち上がってせわしなく歩き回り始めた。立ち止まって腕組みをし、足下を見、空を見上げ、また歩いた。 「そうじゃ……」 魔女は小さく呟くと、頬まで裂けるかというほどにんまりと笑った。 「姫をカエルにする。それはいい。そのあとじゃ。連中の苦しむ様を存分に堪能した後、王位と引き替えという条件でわしが姫の呪いを解いて見せよう。そうして、大魔術師として城に入り、この国に君臨しよう。国を獲る。高い税を取りたて、逆らうものは張りつけにし、人々が恐怖におののく暮らしを未来永劫続けてやる。そうすれば連中は一日も心安らぐことなく、苦しみながら生きていかねばならんというわけだ。なんたる妙案だ」 魔女は自分の計画にすっかり満足し、ひとりごちた。 「国を獲るか……」 カエルに姿を変えられた王子は魔女の言葉を聞いて、胸の内で考えを巡らせた。その魔法を自分が解いて見せたとしたら? うまくいけばその功績を認められ、姫の婿として迎えられることも決して夢物語などではないように思われた。そうすれば、時が巡って再びこの国の王に収まることが出来はしないか? 「呪いを解く? どうやって?」 とっさに湧いた思惑を悟られないように注意深く、カエルは魔女に聞いた。 「うむ。そうじゃな、よし、こうしよう。一粒の種に魔法をかける。王自らが土にまみれ、育てねば花が咲かぬように。そうして花が咲けば、のろいが解けるというのはどうかな。わしが王に命じるのじゃ、ほれ、種を植えろ、水をやれ、草を抜け、そうせねば姫はもとの姿に戻らぬぞ! という具合にな。ふんぞり返っていた王が泥まみれになって働く様を悠然と見下ろすのも一興じゃろう」 「と、ところで、その花が咲けば、わしの呪いも解けるのか」 カエルは言った。 「何と言っても姫をカエルにしたらどうだと言ったのは俺だ。姫は結局のところ救われて、俺はただお前の気まぐれでカエルにされて一生このままというのは、あんまりひどすぎるじゃないか」 「まあ心配せずとも、同じ魔法がかかっているからには、お前の呪いも解けるわい」 魔女は自分の計画にすっかり有頂天になって、軽やかに言った。 カエルは密かに胸をなで下ろした。とすれば、その種をうまい具合に盗み出して、あとは王に届ければいいだけの話だ。そうすれば自分は感謝され、そうしてこの国を再び自らの手に治めることが出来る。歓喜に湧いた民衆たちへの処遇はその後ゆっくりと行えばいい。
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