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作品名:世界で一番きれいな花の種 作者:安賀宇久雄

第11回   11
 その日、いつも通り飲み屋に出勤した少女に、女主人が明らかに今までと違う視線を送っていることに少女は気がついた。
言いしれない違和感を感じながら、それでも少女はいつも通り店を開ける準備にかかろうとした。
「ちょいとあんた」
 明らかに怒気を含んだ声で、女主人が声をかけた。
「ここにお座りよ」
「でも掃除が……」
「そんなものはいいんだよ! お座りったら」
 女主人の迫力におののきながら、少女は言われたとおり女主人の目の前に座った。
「やれやれ、あんたって子はまったく」
 何から話そうかという具合に、女主人は苛ついた仕草で煙草に火をつけ、天井に向かって煙を勢いよく吐き出した。
「あの……、私がなにか……」
「何かだって?」
 女主人がぎろりと少女を睨み付けた。
「あんた、ぬけぬけとよくそんなことを。私が何にも知らないとでも?」
 少女は身に覚えのない怒りを向けられていることにすっかり混乱しながら、女主人の怒気にすくみ上がった。
「……」
「あんた、井戸に毒を入れたね」
「毒!?」
「そうとも。毒だよ。朝方、親切な人がね、さっきお宅の家の裏口から、あんたが人目をはばかるようにでていったって教えてくれたのさ。そん時にこれを落としていきましたってね」
 女主人は小瓶をテーブルの上に投げ出すように置いた。
「裏口にゃあ井戸がある。この瓶に入ってるのはなんだかわかんないが、こりゃなんだか怪しいって、その人は言ってくれたよ。試しに私は、井戸水を皿に汲んで、うろついてた野良猫の前に置いてみた」
 女主人はこれ以上まだ言わせるのか? といわんばかりにまた天井に煙を吐き出した。
「猫どもはみんな、コロリさ」
「そんな私……私……」
 すっかり動転した少女はうまく言葉に出来ない分だけ、懸命に首を横に振った。
「恐ろしい子だねえ! どこのどいつだかわかんないあんたを雇ってやって、ちゃんとした服まで着せてやって、そりゃ給金は安いかも知れないが、それでもちゃんと食えるようにしてやったってのにこりゃどういうことだい?」
 女主人は自分自身をあざけるように笑った。
「あんた、この村に来たとき、さんざんいろんな連中から嫌な目にあわされたらしいねえ。白い目で見られたり。いつか復讐しようって、ずっと企んでたのかね。そりゃ、うちの井戸の水は皿洗ったり、こっそり酒を薄めたりするのに使うからねえ。それにうちには村中の男連中が顔を出す。なるほど、うまく考えたもんだ。恐ろしい!」
「私……」
 ほとんど涙ぐみながら、少女は弁解しようとした。
「何にも聞きたくないねえ! まあいいさ、言いたいことがありゃ牢獄にでも入ってから好きなだけ言えばいい! その親切な人がいま、みんなを呼びに言ってるからね!」
 少女はぎょっとして立ち上がった。
「逃げるのかい! そうはいかないよ!」
 女主人が太い腕を伸ばして少女の首をつかもうとした。少女はすんでの所でその手をよけ、そのまま往来に駆けだした。
「あいつだ!」
 聞き覚えのある声がして、少女は声のする方を見た。そこには屈強な男たちを引き連れながら、少女の姿に気がついて今にも駆け出そうとする青年の姿があった。
「どうして?」
 少女は頭の中が真っ白になりながらも、懸命に考えようとした。と同時に、本能的に少女は駆けだしていた。
「まちやがれ!」
 脳裏に、生まれ故郷でうけた狂気を含んだ民衆の足音がよみがえった。
「どうして? どうして?」
 懸命に走りながら、少女はあふれてくる涙をこらえることが出来なかった。
 女主人に嘘をついたのは青年に違いない。
 どうして?
 私はそんなことしてないのに聞く耳すら持ってくれない。
 どうして?
 誰ひとり、私をかばってくれる人なんかいない!
 少女はもう振り返ろうともしなかった。考えることもやめてしまった。畜生! 畜生! どこに行っても、どんなに真面目に生きようとしても、私はみんなに憎まれる!
 そう思うと憎しみだけが大きな炎となって少女の体を包み込んだ。少女はひたすらに走った。走り続け、森に逃げ込んだ。
 すべては、青年の鬱積した嫉妬からもたらされたものであることなど、少女は知る由もなかった。青年はあまりに少女を愛し、その反動であまりに少女を憎んだ。少女の幻想を胸の中で育み、現実の少女を見つめることを忘れた。胸の中で理想化された少女としばしば異なる言動なり、考えをする生身の少女は、青年にとってもはや抹殺すべき対象になってしまっていた。彼女は青年の幻想の中で美化された少女を、いたずらに汚す存在と見なされたのである。


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