「嘉月、油ひいてー」 「それぐらい自分でしろよ。悟流の目の前に置いてあるだろうが」 「協力し合うのが美しいんじゃないか!」 「俺に目を潤ませて見せても通じないからな。お前さ、そんな変な事言ってるから、仁紫高のコに逃げられたんだろ」 「嘉月。俺、今、ものすごおーく傷付いたから」 「ああ、そう。悪かったよ」 「嘉月くん、最近冷たい」 今朝、駅前の電停で電車待ちしているとき、悟流が開口一番こう言った。 「今日、学校終わってから嘉月ん家行くから」 悟流は一人っ子の核家族で両親が共働きだ。両親が共に帰りが遅くなる日、その当日に、いきなりぼくの家で夕飯を一緒に食べると言う。悟流の両親の帰りが遅くなるのは珍しい事じゃない。大抵は一人で夕食を済ましているようだが、一ヶ月に一回くらい、気紛れを起こしてそんな事を言い出すのだ。 「今日?」 「今日。何か用事?」 「否、別に用事はないけど……」 「じゃあ、決まり。今日はお好み焼きが食いたいな」 既にメニューまで決定済みだった。 詩緒には昼休みにメールで今日は一緒に帰れないと伝えた。「また明日ね」と返事が来た。 部活を終えて23Hまで迎えに行くと、悟流は本を読んでいる最中だった。「嘉月を待っている間に、前から読みたかった本が読めてなかなか有意義だった」と軽い調子で言って、その読んでいた分厚い本を閉じた。悟流の読書量は半端じゃなく、速読力は比倫を絶する。悟流の机の上には、その他にも厚みのある本が五冊平積みしてあった。まさか全部読了していないとは思うが……。 ぼくたちは駅前に着くと、悟流の自転車に二人乗りして急いで近くのスーパーに行き、お好み焼きの材料を調達した。「長芋は絶対外せない!」と言って、悟流は真っ先に長芋を探しに行った。ぼくは手早く必要な物をかごに入れて回った。お好み焼きの具は、むき海老が丁度安かったからそれに決定。悟流は、豚肉とスウィートコーンも要求したが、ぼくは即却下した。スーパーの帰りも二人乗りしてぼくの家に向かった。自転車を漕いだのは行きも帰りもぼくだ。「嘉月はサッカーで脚力が鍛えられているから」と言って、悟流はぼくに自転車のハンドルを握らせたのだ。 時刻は八時四十分を過ぎていた。 「腹減ったー」 悟流がフライ返しを手にする。 じゅわじゅわと焼ける音。 香ばしい匂いが食欲をそそる。 お好みの焼きの表面は、好い具合に焦げ目が付いている。 「もういけるな」 悟流がフライ返しでお好み焼きを切り分け、中身の焼け具合を確認した。 ホットプレートの電気を切って、それぞれの皿に取り分ける。 「これ、やっぱりキャベツ入れ過ぎなんじゃない? これじゃ、キャベツ焼きなんだけど」 「大丈夫だって。キャベツが沢山入ってる方が美味しいじゃん」 キャベツはぼくが千切りにした。週何回かは包丁を持ってちゃんと自分で作るので、慣れたものだ。 ソースを塗って、青海苔をその上からぱらぱらと振り掛けた。悟流は勢いよくマヨネーズを搾り出す。 「いただきます」を言って、一口食べる。お好み焼きは、表面はカリカリしているが中身はふっくらと焼けていて、なかなか美味しかった。キャベツも見た目ほど邪魔になっておらず、むしろキャベツの甘味が出ていて美味しい。 「うま!」 「うん。美味しい。キャベツも甘くて美味しいし。入れ過ぎくらいが丁度良いのかもな」 「だろー。長芋入れるのもポイントだよな。うん」 悟流のお好み焼きは、ソースとマヨネーズを和えたものを表面にたっぷり塗って、その上に豪快に鰹節と青海苔を振り掛けてある。少食の悟流は一枚全部食べられないのではないかと思ったが、残さずに綺麗に食べたようだ。食べ終えた後はかなりの満腹感があった。洗い物を後に回して、リヴィングでゆっくりする事にした。 ダイニングテーブルの上だけ片付けてリヴィングに行くと、悟流はソファに寝そべっていた。ぼくはソファの手前の床に座り、ソファに凭れた。 「おばさん、最近どうなの?」 「さあ……、相変わらずだよ。この前、久しぶりに早く帰って来たけどね」 「ちゃんと嘉月の事、心配してんだよ」 「建前上はな」 「建前って、何でそんな悲しい事言うの、お前」 「悟流とは環境が違うんだよ」 「環境……か」 「……そうだよ」 悟流はぼくの家の事情を知っている。両親が離婚後もぼくが「早良」のままである事、母が不在がちである事。母に男がいるようだと言った事もあるが、それについては特に関心がないように振舞ったし、実際にぼくが、母が男と一緒にいるのを目撃した事については教えていない。 相手が悟流でも、話せない事がある。 悟流の両親は共働きとはいえ、悟流との時間をとても大切にしているようだった。小学生の頃、悟流の家で遊んでいるとき、悟流が正しくない事をすればぼくの前でもそれを窘め、悟流が理解を示せば愛情たっぷりの笑顔を見せる。悟流は何でも両親に話しているようだった。悟流の両親も、忙しいながらもちゃんと悟流と向き合って話をしているようだった。ぼくにはそれが羨ましかった。 悟流にぼくの思ってる事を全て話せたら、どんなに気持ちが楽になるだろう。悟流に自分の事を全て打ち明けられたら……。 ぼくは出来なかった。 悟流とぼくとは違う。ぼくはずっと独りで、独りで考えてきて、独りで解決してきた。誰かに頼るなんて今更だった。胸のずっと奥に閉じ込めていた感情を、他人に見せる事が出来なくなっていたのだ。表面上だけでやり過ごす日々。 みんな、離れていく。 いつかはぼくのもとを離れていく。 言えない。 弱さを見せられない。 侵入させない。 それでも、時々、無性に思う。
『何故、今、ぼくは独りなのだ?』
本当は淋しいだなんて、傍にいて欲しいだなんて、一体誰に言える?
「サワコさんとは?」 悟流に訊かれて我に返る。 「……最近は、あまり会ってないかな」 「そうなの? 仕事忙しいって?」 「否、そういう訳じゃないけど。でも、電話くらいならするよ」 「会おうとはしねーの?」 「向こうは会いたいって言ってるけど……」 「嘉月は会いたくない」 ぼくは苦笑する。露骨な言い方だ。 「もしかして、自然消滅狙ってんの?」 「狙ってない」 「俺、全然解らないんだけど」 「俺じゃないからだろ?」 誰でも良かった。一時的でも孤独を紛らわしてくれるのならば。誰でも。 しかし、今はそうじゃない。 何かが変わりつつあった。 今のぼくは、サワコさんと会う気にはなれない。 何故だろう。彼女が求めれば拒む事などなかったのに。 悟流がソファに座り直す。 「嘉月はさ、昔から何でも自分の事は独りで決めてきたよな。学校の委員会とか係りとか、みんな友達と相談し合って決めてるのに、俺が嘉月に訊いた時には、もう、決めちゃってんの。進路も多分、親に何も言わないで決めちゃってたんだろ? 俺、嘉月のそういうところは本当に凄いと思う。でもさ、そういうのって、これから大丈夫なのかなって思うよ」 ぼくは黙ったまま悟流の話を聞く。 「嘉月にはもう少し、他人に心を開くというか、隙があっても良いんじゃないかって思うよ。両親の事もあるから、嘉月が全て自分で片付けようとするのも解るけど、誰かに相談したり頼ったりする事も必要なんじゃないか?」 「……もう決めてしまってるんだよ俺。決めてしまってる事を相談してどうすんの? 無駄だよ。そりゃ、他人の意見も参考にはなると思う。でも、意見を聞いたからって変わらないよ」 「……そっか。でも、今のままだと、これからお前、しんどいんじゃないのか? 今までだって、俺に何回か言いかけて止めた事、あっただろ?」 「あったかな」 「別に言いたくなかったならそれでも良いよ。無理に聞こうとは思わないから。俺、嘉月が話したかったら自分から話すかなって思ってたんだ。でも、嘉月には何か話すきっかけが必要だったかも知れないって、それは後悔してる。俺が、もっと自分から嘉月に耳を傾けるべきだったのかなって……」 「考え過ぎだよ、悟流」 「考え過ぎ、かな。俺が嘉月にサワコさんが好きかって聞いたとき、嘉月は好きだって答えたから、ちょっと安心してたんだ。漸く嘉月が、嘉月自身を見せられる相手が現れたんだと思ったから。でも、サワコさんも駄目だったんだ」 「……」 悟流がそんな事を考えているとは思わなかった。 すぐには言葉が出ない。悟流の言った事は当たっている……。 「嘉月には、頼りたいときに頼れる相手はいる? 自分の弱さを見せられるような相手はいる?」 「……」 「嘉月の周りには、嘉月が助けを求めれば、ちゃんと応えてくれる奴ばかりだよ。勿論俺も」 「……」 「まあ、誰にでも、他人には言えない事があるとは思うけどな……」 悟流はソファから立ち上がった。 「俺、そろそろ帰るわ。あ、たまには洗い物でもやってこっかなー」 「後で俺がやるからいいよ。変に気遣うな」 「あ、そう? じゃ、いいや。やってかねーもん」 玄関まで悟流を見送る。 「御馳走様でした」 「とんでもないです」 「うん。……さっきの話なんだけど、嘉月の話せる相手が俺じゃなくてちょっと悔しいかな。小一から一緒だからさ。ま、話せる事はどんどん話しなさい! じゃあな」 「ああ、気を付けて帰れよ」 戸締りをする。カチャリ。無機質な音。 リヴィングからは付けっぱなしのテレビの音。下らないバラエティ番組の笑い声。 ぼくは玄関の前でへたりこむ。 悟流に全てを見抜かれたような気がした。動揺している自分が解る。 暫く其処から動けなかった。
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