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作品名:僕の隣 作者:浅葱

第4回   ファーストコンタクト
「あっつー!!」
 炎天下での部活。最悪だ。この天気じゃ、屋内スポーツの部活も地獄だろう。きっと体育館は蒸し風呂状態だ。
 昨日の部活はまだ良かった。ちょっと曇りがちな天気で風も涼しく、運動しやすかった。なのに、打って変わって今日の天気は何だ。真夏日という称号にふさわしく、燦々と輝く太陽。蝉はここぞとばかりに激しく鳴いている。生温く吹きつける風が余計に熱く感じさせる。
 パス練習をしているとき、ぼくの後方のテニスコートにむかう集団に気が付いた。そういえば金曜日に、クラスのテニス部の奴が、明日は男女共に練習試合があると言っていたような気がする。何処の高校とだと言っていただろうか……。
「おい嘉月! 余所見すんな!」
 ぼくとパス練習していた丸山が怒鳴った。振り返ったとき、既に、サッカーボールはぼくの横をすり抜けて、他校の集団の所へ転がっていった。一瞬、気が重くなった。
「早く取って来いよな!」
「はいよー」
 やる気なく返事して、ボールを取りに向かった。
 髪の長い女の子が、転がっていったボールを拾ってくれた。
「すみませーん」
 ぼくはその場で立ち止まった。そのまま投げ返すなり蹴り返すなりしてくれるかと思ったからだ。しかし、そのコはボールを持ったままで返そうとしない。集団はテニスコートに行ってしまい、そのコが一人、ボールを持ったまま残っている。
「俺がちゃんと取りに来いって事か……」
 ぼくは仕方なく駆け寄った。
「どうも、すみません」
「いいえ」
 彼女は少し顔を斜めに傾けて微笑んだ。
 彼女のセーラー服の襟が風ではためく。細く白い腕が、横になびいている黒く長い髪を押さえる。
 屋外スポーツをしている割には全く日に焼けていない。腕を駆け巡る静脈がわかる。透き通るように肌の色が白い、とは、こういうのをいうのだろう。顔立ちはすっきりと整っていて、その辺を歩いていると、振り返ざるを得ないくらいの美少女だ。身長は女の子にしては高く、モデルのような体型。漆黒の髪に白い肌。日本人特有のミステリアスな雰囲気がある。
 ユニフォームじゃなくセーラー服を着ているから、テニス部のマネージャーなのかも知れない。もしかしたら、単に練習試合の応援をしに来ただけかも。制服のコは他にも何人かいるようだ。
 彼女は奥二重の大きな目で、真っ直ぐぼくを見つめた。
 な、何なんだ?
 あまりにも真っ直ぐ見つめられるから、ぼくは戸惑ってしまった。
「す、すみません。あの、ボールを……」
 申し訳なさそうに言ってみた。気まずい。早くボールを返して欲しい。
 彼女は風になびく髪を耳にかけ、それから、胸の位置でボールを両手で持った。
「部活頑張ってね、嘉月くん」 
 彼女はそう言って、ぼくにボールを差し出した。ぼくは、「あ、どうも」と言って、両手でボールを受け取る。彼女は、白い歯を少しだけ見せてぼくに微笑んだ。
「じゃあ、また後でね!」
 片手を上げ、そして彼女はテニスコートにむかって歩き出した。
 ぼくは、彼女の後ろ姿を目で追いかけた。
「……何で俺の名前を知ってるんだ?」
 多分、丸山がぼくの名前を叫んでいたのが聞こえたのだろう。それが妥当な線だ。彼女は「カズキ」のつもりで言った筈で、「カヅキ」のつもりで言っている筈がない。「カヅキ」なんて表記はイレギュラーだ。もし、そのつもりで言っていたとしたら、彼女はエスパーじゃないか。
 ぼくは、何となく腑に落ちない感じがしたが、部活中なので練習に戻った。丸山も煩い事だし。
「あの制服、節城(ふしき)高校だよな!? 嘉月、節城のコと何か喋ってなかったか!?」
 丸山は、ぼくが蹴り出したボールの動きを右足で制して、羨ましそうに訊いた。
「あー……、暑いのに大変ですねってさ」
 そんな事、言ってない。
「ふーん。何だ。当たり障りのない会話だな」
 丸山の興味は、途端に冷めたようだった。
「なあ、さっき丸山、俺に余所見すんなって言ったじゃん。あれってさ、あそこにいた節城の人にも聞こえてたと思う?」
 ぼくは頭を斜め後ろに傾けて、さっき節城高校の集団が通った場所に目で指した。
「さあ、どうだろ。俺はそんな大きな声を出したつもりはないけどな。ん、何だよ? 他校の奴に聞かれてたら恥ずかしいとか思ってるのか!?」
「そうじゃなくて」
「ま、いいや。さ、やるぞ!」
 丸山は、自分の足元にあったサッカーボールを勢いよく蹴りだした。

『また後でね』

彼女はそう言った。特に意味はないだろう。よくある挨拶だ。彼女と再会する可能性は、ないに等しいと思われる。どちらかというと、秦湊高校は、他の高校が割と密集しているのに比べて孤立している。新湊市内にある唯一の高校、それが秦高なのだ。通学手段は、他の市から通う生徒の場合、主に路面電車かバス。三十分以上かけて自転車で通う兵(つわもの)もいる。高岡方面から秦高へ通う学生の大半は路面電車通学だ。他校の生徒と会う可能性は、路面電車に乗っている限りほとんどないといえる。高岡方面から新湊方面に通う学生はほぼ秦湊の学生だし、新湊から高岡方面へ帰る学生もほぼ秦湊の学生だ。逆に、新湊から高岡方面へ行き、帰ってくる学生の通う高校は、様々だ。

十二時半過ぎ、漸く部活が終わった。
 部室で着替えをしていると、丸山とサッカー部の副部長を務める能登がにやにやしながら近付いて来た。
「何だよ。二人して気持ち悪いな」
「なあ、嘉月。テニス部の練習試合見に行かないか!?」
 丸山は何だか興奮気味。厭な予感。
「お前ら、テニスなんかに興味あったの? 俺、テニスのルール、よく解んないからパス。この暑さで興味ないものを只見てるだけなんて、俺には耐えられないし」
「まあまあ、嘉月くん、そんな事おっしゃらずにさ。多分、試合自体はあとちょっとで終わるよ」
 能登は、Tシャツの上に羽織ったシャツの襟を直しながら言った。
「じゃあ、尚更行く意味ないじゃん」
「あるんだよ!」
 丸山が勢いよくぼくの両肩をつかんだ。痛い。
「節城の応援に来ているコの中に凄い美少女がいるんだって。練習中に、わざわざ海老名が俺のところに来てさ、教えてくれたんだよ。そこまで言われたら見てみたいだろ?」
 海老名というのは、能登と同じクラスの男子テニス部員。海老名と能登は、可愛いコを探すのに人生を懸けているようなものだ。二人がある女子を吟味していて意見が割れたとき、たまたまそこにぼくが通りかかった。二人はぼくに判断を煽った。「お前ら、そんな莫迦な事言い合ってんの?」と呆れて言うと、ぼくの方が異常だと言い返してきた。ぼくがそれを更に言い返しても不毛な議論が続くだけだから、二人を無視してさっさとその場を去る事にした。それが賢明というものだ。
 能登は部活中はコンタクトだが、普段は眼鏡をかけていて知的な感じのする奴だ。能登の容姿だと、女子からの人気は、まあまああるだろう。能登のファンのコは(もし、いるのだとすれば)、能登の本性を知ると反旗を翻すかのように、態度が豹変するかも知れない。クールな男を装いながらも、実は女の子を値踏みし、それを議論するような変人なのだから。女子の前では至って落ち着き払っているため、そんな能登の本性を知るぼくとしては、かなり滑稽に見える。その点、海老名は解りやすい。ぼくが海老名を見かけるとき、奴はいつも女子と話している。
 丸山が会話を続ける。
「嘉月さ、練習中にボール転がっていって節城のコに拾ってもらっただろ? ほら、細くて色が白くて髪の長い……。あのコらしいぞ」
「え? 嘉月、もう見てたの?」
「そうそう、こいつ、練習中に他校の女子に見惚れててさ!」
「嘉月が見惚れて? ほー、それは本物だ」
「丸山、事実を捏造するな」
「で、どうだったの? 可愛かった!?」
 能登と丸山の気迫が凄い。適当に言い逃れする事は許されそうもない。
「……ああ、可愛かったよ」
 確かにあんな美少女は、日頃、そう簡単にはお目にかかれないだろう。
「よし! では、いざ出陣!!」
「え? ちょ、ちょっと待て……!!」
 丸山はぼくの腕を摑み、部室からぼくをひっぱり出した。
「何で俺まで行かなきゃならないんだよ」
「良いから良いから!」
 丸山はぐいぐいぼくの腕を引っ張ていく。丸山は筋肉質のがっしりとした体型で、どちらかというと細身のぼくは、丸山の力に敵うはずもない。
「あー、もう解ったよ!」
 ぼくは潔く諦めて、二人についていく事にした。
 テニスコートに着くと、試合は、丁度終了したところのようだった。秦高と節城の選手が、ネット越しにお互い握手を交わしている。どうやら、最後の一試合だったようだ。
「……終わってるな」
「だから、お目当ては試合じゃないんだよ!」
 丸山は目を凝らして、制服の応援組の中からお目当ての彼女を探している。そこへ、海老名が片手をあげて近付いてきた。
 海老名は、まるで南国に住んでいるかのように、好い焼けっぷりだ。ぼくも毎日、この日差しの中でサッカーしているが、海老名ほど焼けてはいない。海老名は元から色黒だという事もあるけれど。
「わざわざ応援に来てくれたみたいだな。しかし、残念。今終わったところだよ」
 海老名はにかっと笑って白い歯を見せた。日焼けした顔に白い歯が爽やか過ぎる。
「なあ、海老名が俺に言ってた可愛いコってどのコ? 今見た感じ、そこまで惹きつける様なコはいないんだけど……」
 能登は片手を腰にあて、海老名に気だるい視線を送った。
「ああ、そうなんだよなー。いつの間にかいなくなっててさ……。何処行ったんだろ。でも、ほんっとに、すっごい可愛いコだったんだぜ!? 他の応援しているコたちはいるから、まだ帰ってねーとは思うんだけど……」
「ええッ!? いないのかよッ!!」
「丸山、頼むから俺の耳元で叫ぶな」
 丸山は振り向きざま叫んだから、そのすぐ後ろにいたぼくは、もろに被害を受けた。本当にこいつは、いちいち反応が大袈裟なのだ。
「ふーん。じゃ、お手洗いにでも行ったのかな? うちの学校は結構広いから、もしかしたら迷ってるかも知れないな……。折角だし、美少女を見て帰りたいからね。俺は待つ事にするよ」
 能登は傍の日陰へ行き、腰を下ろした。
「じゃあ俺もー」
 丸山が後に続いた。
「嘉月はどうするの? 見ていくだろ?」
「俺はいいよ。ボール拾ってくれたコだとしたら、もう、見てるから」
「え! 早良、ボール拾ってもらったのか!?」
「うん。そうみたい」
「そうなんだよ! こいつ、めっちゃ至近距離で御目見得してやがんの!」
「はあ〜、マジかよ。早良ってそういう役回り、本当についてるよな。俺、早良拝んでおいた方が善いかな」
「丁重にお断りするよ。じゃ、お疲れ」
「じゃあなー」
 電車二本分、乗り損ねた。路面電車はだいたい十五分間隔で走っている。つまり、約三十分、丸山と能登に付き合わされた訳だ。
 ぼくは、市役所前の電停へ向かった。学校からは歩いて五分くらいだろうか。
 電停には誰もいなかった。ぼくは、待合室のベンチに座って待つ事にした。間もなく電車がきた。
 お年寄りにはきつい高めの階段を上がって電車内を一望する。空いている。二人しか乗っていない。椅子は両脇に向かい合わせで設置されている。ぼくは乗り口側の端に座った。
ブブーッと、ドアを閉める合図のブザーが鳴った。駆け込みで誰かが乗り込んだ。ドアが閉まり、電車はゆっくりと動き始めた。
 ぼくはいつも、電車の中で何をする訳でもなく、流れる景色をぼんやりと見ているうちに終点の高岡駅に着く。悟流と帰るときは、大概悟流と話しているけれど。悟流は帰宅部なので、悟流と一緒に帰る機会は試験期間中くらいだが。
 ぼくは窓の桟に肘をかけ、上半身を後ろに捻って風を受けていた。この路面電車は冷房がついていないのだ。田舎の路面電車だけあって、旧式だ。流石に暖房は完備されているが。
 ぼくの目の前の席に、駆け込みで乗ってきた人が座ったようだった。席には十分余裕があるのに、わざわざ人の目の前に座るなんて。余程、端っこが好きなのか……。ぼくは目の前に座った人に視線を遣った。
 ……え?
 節城高校のセーラー服。
 艶のある黒く長い髪。
 スカートから伸びる細く白い脚。
 形好く小さくきゅっと締まった膝頭。
 彼女は、横に置いた鞄の中に手を入れて何かを探している様子で、横に流れた髪がその顔を隠していて、顔が判らない。しかし、あのコだと思った。直感。
 彼女は探していたものを見つけたようだった。取り出したのは携帯電話。
 そして、彼女は髪を耳にかけ、ぼくの方に身体を向き直した。
 やっぱり。やっぱりあのコだ。ボールを拾ってくれたあのコ。
 彼女は……、
「ね、嘉月くんの携帯教えて」
 右手に持つ携帯電話を見せ、にこっとしてぼくに言った。
 彼女は……、何者だ?
 前に会った記憶はない。もしかしたら、昔付き合ったコの友達、とか? ……解らない。
「あれ? 携帯、持ってないの?」
「持ってるけど……」
「じゃあ、教えて。勿論、メアドも一緒にね」
「あのさ、俺、前に君と会ってる?」
「さっき秦高であったじゃん」
「……何で俺の名前知ってんの?」
「知っちゃったからじゃない?」
 何だ? この会話。
「……じゃ、嘉月のづは、すに濁点とつに濁点とどっちだと思う?」
「……つに濁点」
「何で解ったの!?」
「すに濁点のカズキくんは、そんな事訊かないと思う」
 成程。賢い。でも、このコ、おかしい。可愛いけど、賢いけど、おかしい。
「さ、早く早く」
 彼女はぼくを急かした。ヤバイ。あまり関わりたくないタイプのコと関わってしまったのかも知れない。第一、なんで今、このコが此処にいるんだ? 他の節城の生徒は、まだテニスコートにいる筈だ。
 ぼくは、個人情報を広めるのは最小限に留めたい。彼女は今日、偶然ぼくの名前を知って、偶然同じ電車に乗り合わせた。偶然もここまでだ。彼女は節城高校に通うのだから、今後、会う可能性はほとんどない。ぼくは、その場限りのやりとりでは自分の携帯番号を教えない。話題を逸らす事にした。
「君さ、何で今、此処に居るの? 節城の人たちは、まだテニスコートに居たけど」
「だって、サッカー部終わったから」
「え? どういう意味?」
「ボール返したとき、あたし、また後でね!って嘉月くんに言ったでしょ?」
 確かに言っていた。彼女は有言実行主義者か?
 ……ぼくの質問に答えてはいるのだが、本質に応えていないような気がする。ぼくの警戒心は高まる。
「みんな知ってんの? 君が先に帰ってるって事」
「うん。言ってきたから大丈夫。もし何かあったら、携帯に連絡入れてくると思うから。ね、嘉月くん、どこの携帯使ってんの? メールで絵文字使えるかなー」
 あくまで聞き出すつもりらしい。ぼくは潔く断る決心をした。
「あのさ、俺、君の事、何も知らないんだけど。今後も多分会わな…」
「節城高校二年五組、詩緒(しお)です。どうぞよしなにー」
 彼女はぼくの言葉を遮って自己紹介した。
 それにしても「よしなに」って……。凄い言葉遣うなこのコ……。
「しお? それ名字?」
「否、名前だよ。ファーストネームの方。詩人の詩に由緒の緒で詩緒っていうの」
「名字は?」
「んー、名前で呼んでくれれば良いから。じゃ、携帯教えて?」
 結局、ぼくは詩緒に携帯電話の番号とアドレスを教える事にした。教えなければ一生訊かれると思った。
「君の携帯は?」
「ちょっと待って。今そっちにメール送るから」
 彼女は両手を使ってメールを打ち込んでいる。なかなかの速さだ。
「……送信完了!」
 詩緒は、そう言って顔を上げた。その時、携帯のヴァイブがなった。メールの着信あり。詩緒からメールだ。メールの内容は、詩緒の携帯電話の番号と簡単な挨拶。ぼくは詩緒を見て二、三度軽く頷き、メールを確かに受け取った事を知らせた。
「あたし、実は路面電車乗るの、今日初めてなんだ。行きもみんなで路面電車に乗って来たんだけど、ちょっと興奮してたね」
「興奮? 俺はこれに乗ってそんなもの、した事ないけどな」
「初めて乗ったときも?」
「初めて乗ったときって、受験の日なんだけど。俺は、受験当日に電車乗って興奮するほど、酔狂じゃないよ」
「じゃ、入学して、秦高の生徒として、初めて利用したとき!」
「朝のラッシュ時に、そんな事思う余裕はない」
 悟流は鉄道や電車が好きな奴だから、最初は興奮していたような気もするけれど。
「嘉月って……、くたびれた高校生だね!」
 詩緒は、口角をきゅっと上げて、笑ってみせた。初対面の相手に言う台詞か、それ。しかも、もう呼び捨てにされてるし……。
「それは、どうも」
 ぼくはそれに愛想笑いで対応した。
「で、君は…」
「あたしの名前、もう知ってるでしょ?」
「……詩緒は自転車通学なの?」
「ううん。あたしの家から節城まで自転車で行ったら、三十分以上かかっちゃうよ。毎日それは出来ないなー。駅から電車で行ってるの。駅までは自転車だけどね」
 思えば、節城高校も市街地から離れた所にある孤立した高校だ。
 大型スーパー前の電停で、買い物帰りの客が五、六人乗り込んで来た。ぼくが市役所前で乗ったときに比べると、大分席がうまってきた。
 詩緒は鞄を持って席を立ち、ぼくの隣に座った。混みだすと、通路を挟んでの会話はし辛いためだろう。
「あたしね、電車の中では、本読んでる日もあるんだけど、電車に乗ってる人を見たり流れる景色を見たりして過ごす方が好き。一見、ぼーっとしてて無駄に時間過ごしているようなんだけど、実は充実してるっていうか……」
「ああ、何となく解るよ。そういうの」
「ホント?」
「俺もいつもそうだもん。でも、無駄に時間を過ごしているなんて、思わないよ」
「うん。特に下校時。その場から、自分を切り離して世界を見てる感覚があるんだよね。時間の流れがいつもと違って感じるの。時間は常に同じ速さで過ぎていくのに、何だか不思議……」
 詩緒は、ぼんやりと景色を眺めていたと思うと、ぱっと表情を変えた。
「路面電車からの景色って凄い新鮮。道路のど真ん中走ってるんだもん。この辺通った事あるけど、見る位置が変わると雰囲気も変わるよねー」
 詩緒は、後ろの景色を楽しそうに眺めた。
 詩緒の髪が、窓からの風になびいて艶を放つ。
 シャンプーの甘い香りがした。
 肩が触れ合うくらい近くに彼女がいる。
 ほんの数時間前に会ったばかりなのに、まだぼくは彼女の事をよく知らないのに、何故、彼女は今、ぼくの隣にいるのだろう。
「いつも部活は何時に終わるの?」
 詩緒は、捻っていた身体を少しだけ戻して訊ねた。
「午前にあるか午後にあるかによって違うけど」
「平日の事を訊いてんの!」
「平日は……、今の時期だと、七時から七時半の間かな。日が沈んで暗くなるまでやってるんだ」
「家に着くの、結構遅いんだ?」
「八時前後かな」
「御飯は? 部活の前に食べてるの?」
「終わってからだよ」
「えーっ! あたし、絶対無理。いつも六時には食べてるもの。夕食が八時なんて、お腹空き過ぎて何も出来なくなっちゃうよ」
「習慣の違いだろ? 俺はそれがいつもなの。だいたい、部活中はあまり空腹なんて感じないよ」
「……お母さん、嘉月が帰って来るまで、ちゃんと御飯、待っててくれてるの?」
「待ってないよ。俺の母さん、忙しい人なんだ。俺より帰りが遅いし」
 ぼくは、どうでも良さそうに答えた。
「……あ、えっと、じゃ、じゃあ、他の家族の人たちは!?」
「うち、俺と母親と二人だけ」
「そう」
 同情的だとも無感情だとも取れるような声の調子。
 一瞬、彼女の表情がなくなったように見えた。むしろ冷徹。一瞬、ほんの一瞬だけだが……。
 終点の駅前に着いた。ぼくたちは、一番最後に電車から降りた。
「路面電車通学もなかなか風情があって好いね」
「さあ、どうだろ」
 彼女は余程、路面電車が気に入ったのだろう。満足気だ。
「あたし、実は、午後から友達と遊ぶ約束してるんだよね」
 詩緒は腕時計を見ながら言った。ぼくは駅ビルに備え付けてある時計で時間を確認した。部活の前に外した腕時計は鞄にしまったままだ。
「もうすぐ二時だけど?」
「そうなんだよね。……ごめん! 急ぐ! じゃ、また明日!」
「ああ、それじゃ」
詩緒は自転車置き場の方へ駆けて行った。
 ……「また明日」?


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