その後、すぐに他の女の子から告白された。断る理由がないから付き合う事にした。 そのコと別れても、ぼくにはすぐ、新しい彼女が出来た。それもまた、相手からの告白で。現在まで、何回かそれが繰り返された。 「ムカツク事にいるんだよなー。世の中にはお前みたいな奴がさー」 前校舎と後校舎をつなぐ渡り廊下の屋上で、ぼくと悟流は昼食を取っていた。ぼくたちの他にも、何人か此処で昼食を取っている生徒がいる。 ぼくは、現在高校二年生。あの日から四年目の夏。 ぼくは悟流と同じ高校に通っている。悟流とはクラスも同じで二年三組。三組は国際コースといって、三年間クラス編成がない。ぼくは三年間、悟流と同じクラスになる訳だ。国際コースといっても、たまに英語合宿などの英語関連行事があるくらい。英語を重視しているクラスだが、授業自体は他の普通科のクラスと大して変わらない。 高校受験のとき、先生が県内トップ高を目指すよう、ぼくを説得するのに躍起になっていた。ぼくは、そういう高校の偏差値とか校風とかにはあまり関心がない。こんな田舎じゃ、どの高校も際立った特色はないだろう。 ぼくは、周りに急かされずにのんびりやっていきたかったので、周囲に他校のない、偏差値ほどほどの秦湊高校を選んだ。同じ中学から通う奴がほとんどいなかったのも選んだ理由の一つだ。国際コースを選んだのは、単に三年間クラス変えがないから。一年毎にクラスの雰囲気が変わってそれに合わせて……、というのが面倒だった。悟流も同類だろう。「えーっと、なんかもう面倒くさいから、嘉月と同じとこに行く」などと言っていたくらいだし。おそらく、先生は、ぼくより悟流を県内トップ高に入れたかった筈だ。悟流は飄々としていて何だか摑めない奴なのだが、勉強は地道にやるタイプなので、成績はかなり良い。 「俺みたいな奴がなんだって?」 ぼくは、紙パックのお茶のストローを口にくわえたまま、悟流に訊き返した。 「だからさ、別に何もしていなくてももてる奴がいるんだよ。嘉月みたいな奴がさ。あー、世の中不公平だよなー。もー俺、生きるのがしんどくてしんどくて……」 「別にもててないだろ俺」 悟流は白々しいと言わんばかりに目を細めた。ぼくのその発言には多分、説得力はない。自分で思うくらいだから、他人(さとる)からすれば尚更だ。 「嘉月くん、君、それは僕に喧嘩売ってるの?」 「実は売ってる」 ぼくはシニカルに笑ってみせた。こういうのは、ある程度肯定する方が話は早く済むものだ。 悟流は「幸せな奴ー」と言って、ごろんとコンクリートに仰向けになった。 「悟流は?」 「何が?」 「ほら、仁紫(にし)高のコと付き合ってるんだろ? 結構可愛いコだったよな」 「……別れた」 「え? マジで?」 「マジマジ。こんなの嘘吐いてどーすんの?」 「そりゃそうだけど……」 「俺、結構傷ついてんだから、傷跡抉らないでね」 「知らなかった……。別れたのって何時(いつ)?」 「言ったそばからお前はなあー……。ま、終わった事だから別に良いんだけどさ」 悟流は溜息を吐いて、身体を起こした。夏の微妙に熱を含んだ風が、ぼくたちの間を吹きぬけた。 「嘉月、彼女が出来たって言ったじゃん」 「何時の?」 「あーっ!! ほんっとにお前はなあ!! 今の、今の彼女だよ! 年上の女(ヒト)だろ?」 「……ああ、サワコさんか」 「…………」 悟流がばくを睨みつけている。何か気の障るような事、言ったか? 「その、サワコさんが新しい彼女だって、嘉月が俺に言った日の前日だよ」 だとすると、一ヶ月前くらいか。 「ああ、それでその日は機嫌悪かった訳ね。納得納得」 「ほっとけ」 澄み切った青い空。 ゆっくりと流れていく白い雲。 青と白のコントラスト。一番好きな空の色の組み合わせだ。吸い込まれそうなくらいの青さが、この暑い夏にぴったりだと思う。 悟流は立ち上がり、鉄の柵に凭れた。そして、ミネラルウォーターの入ったペットボトルのキャップを捻り喉を潤す。 「んで?」 水を飲み込むと同時に言葉を発したのだろう。発音が変だった。 「で? 何が、で? なんだよ」 「サワコさんとはうまくいってんの?」 「うまくいってない事はないと思うよ」 「順調な訳だ」 「まあ、順調かな。年上だからね。面倒じゃなくていいよ」 「ふーん。年上ねえ……。サワコさん、何歳?」 「二十三」 「社会人!? 年齢聞いてなかったけど、大学生かと思ってた。社会人なのか……」 「そ。だから金持ってんだ。御飯とか奢ってくれんの。お前も一回くらい年上と付き合ってみたら? 年上のプライドっつーの? 多分、そういうのがあるんだよ。自分が言いたい事、只言うだけじゃなくてちゃんと自制するから。煩くないし楽だね。俺、今度から付き合うなら年上かなーって思ってるくらい」 「……なあ、嘉月。サワコさんの事、ホントに好きなのか?」 「何だよいきなり。俺、今付き合ってるんだけど」 「じゃあ、好きなんだよな?」 「……好きだよ」 「そっか」 悟流は、ぼくの答えを聞いて安心したようだった。悟流は、ぼくが今まで付き合った女のコの事を、恋愛感情においての「好き」にならなかった事を知っているから。 一度訊かれた事がある。あれは中三の時だったかな。
「お前さー、別に相手の事好きでもないのに、何で付き合ってんの?」 「付き合ってくれって言われたから」 「はあ?」 「好きになってくれって言われたら無理だろうけれど、付き合ってくれって言われたら、それはそれで可能だから」 「……莫迦じゃねーの!?」
うん。莫迦なのかも知れない。 確かにぼくは、今まで付き合った女のコたちの事を、ちゃんと好きにはならなかった。でも、そのコたちは、ぼくが好きだと言ってくれたんだ。ぼくに付き合って欲しいと。例え、それが一時的なものだとしても、独りでいるよりかはずっと良かった。ずっと……。 じゃあ、サワコさんの事はどうかというと、嫌いじゃない。ちゃんと好きだ。……少なくとも、そこら辺を闊歩している女たちよりは……。 ああ、いつもその程度なんだ。会いたくて仕様がないとか、一日中相手のことを想って授業も上の空だとか、そういう経験がぼくにはない。ぼくの方は何時だって綺麗に別れられる。何とも思わない訳ではない。別れを告げられると、やはり、それなりに悲しいものがある。だけど、それまでだ。 どうぞ、遠慮なく次へお進み下さい。 彼女はぼくのもとを去っていく。 解っている。そんな事は最初から。
「美味しくない?」 「え?」 「さっきから箸が進んでいないようだから。嫌いなものでもあった?」 「否、美味しいよ。ごめん。考え事してた」 「そう? 嘉月は考え事が好きね。ま、良いわ。いい加減、嘉月のそういう所も慣れてきたから。あ、違うの。別に厭味を言ってる訳じゃないのよ。うん。沢山食べてね。ちょっと作りすぎちゃった」 彼女は、長めの前髪を左手でサイドに流しながら言った。前下がりのボブは彼女に良く似合う髪型だと思う。 ぼくは、たまに彼女の家で夕食を御馳走になる。今日もぼくは部活のあと、彼女の家によって夕食を御馳走になっていた。 サワコさんは高校の近くまで車で迎えに来てくれる。いつもは仕事帰りに迎えに来てくれるのだが、今日はカシュクールトップスにジーンズといった格好でのお迎えだった。一度家に帰ってから来てくれたようだ。 今日誘ったのは彼女の方。でも、どちらが誘ったかなんていうのは、大した問題じゃない。ぼくにとっての問題は、今現在、独りでいるか、それとも誰かと一緒にいるか、だ。 サワコさんは料理が得意だ。目の前のガラスのテーブルの上には、トマトと水菜とハーブのサラダ、ツナとオニオンの冷製パスタ、そしてゴーヤチャンプルーが並んでいる。彼女が作りすぎたのは、恐らくゴーヤチャンプルーだろう。二人で食べるのには量が多すぎる。彼女は今、ゴーヤにはまっているとの事。ぼくもゴーヤは割と好きだ。 母さんも料理が得意だったな……。そんな詰まらない事を考えていた。今では滅多に作らない。 ぼくが高校に入学してから、母は不在がちだった。深夜に帰ってきたり帰らなかったり。それでも、平日の夕食は相変わらず毎日作りに帰って来ているようだった。部活から帰ると、ちゃんと夕食が用意してあったのだ。それは、まだ温かかった。母は、夕食を作ってすぐ出かけるのだ。毎日夕食を作る事。それが、唯一息子にしてやれる事だったのだろう。子供が母親に食事を求めるのは、最も原始的な甘えだというのを、前にテレビか悟流の蘊蓄かで聞いた記憶がある。母は、最も原始的な母親の役割を果たし続けていた訳だ。しかし、それも半年前に終わった。ぼくが終わらせたのだ。
その日、部活がいつもより早く終わった。玄関のドアを開けると、食欲をそそる好い匂いがした。 奥から母が出てきた。 「ただいま」 「あら、嘉月、お帰りなさい。今日は早いのね」 「出かけるの?」 「ええ」 にっこり微笑んで言った。 「デートなの」 ぼくは硬直した。母はぼくの表情を見て苦笑した。 「嘘よ。冗談。じゃあ、行ってきます」 吐き気がした。 無邪気な笑顔。 ぼくが何も知らないと思っているその笑顔。 ぼくはあの日、二人を見ているのだ。中一の時のあの日。 冗談には聞こえない。 気分が、悪い。 今も同じ男と付き合っているのかどうかは知らない。そんな事は些末な問題だ。でも、男に会いに行くのは確かだろう。玄関に微かに漂う残り香は、母が朝出勤するときにつける香水とは明らかに違う。上品で濃厚な香り。大人の女の香りだ。ぼくを一人家に残して、母は男のところへ行くのだ……。 ぼくはキッチンへ向かい、母が作った料理を全て捨てた。 自分がどうしてこんな事をしているのか解らなかった。悲しいのか悔しいのか腹が立っているのか苛ついているのか、またはその全部なのか。気が変になりそうだった。 ぼくは洗面所に顔を洗いに行った。冷水を蛇口いっぱいに捻り出し、顔を洗った。 鏡に映るぼくの顔。酷い顔だ。 ぼくはリヴィングへ戻り、ソファの肘掛に頭を乗せて、仰向けになった。 しばらく横になっていると、外はもうすっかり闇に覆われ、間接照明が柔らかく部屋を照らしている。ぼくは薄暗い天井を見つめ、放心していた。 深夜一時を回った頃。玄関のドアが開く音がした。 ぼくは、すぐ玄関へ向かった。 「母さん……」 「あら、起きていたの?ただいま」 ハイヒールを脱ぎながら、ぼくを見上げた。 「あのさ、俺のためにわざわざ夕食作りに帰って来てるなら、もういいから。一人で適当に作って食べるよ」 「何なの? いきなりどうしたの?」 母は、いつもとは違うぼくの態度に困惑気味だった。 「今日だって、デートなのにわざわざ作りに帰って来たんだろ?」 「嘉月、あのね……」 「兎に角、もういいから! それだけのために帰ってくるなんて、そんな気遣い、全然嬉しくないんだよ!」 ぼくは母の顔を見る事が出来なかった。言葉が勝手に出てきた。 ぼくは、言い終えるなりすぐに自分の部屋へ戻り、大きく音を立ててドアを閉めた。あんなふうに母に感情をぶつけたのは、初めてかも知れない。 次の日、早く仕度をして家を出た。母と顔を合わせたくなかった。朝御飯も食べなかった。もともと朝御飯はセルフだ。あるものを好きに飲食するという具合。 その日、部活から帰ると、いつも用意してある夕食はなかった。母は、夕食を作りに家に戻るということをしなくなった。
「嘉月?」 サワコさんが心配そうにぼくを見つめていた。 「本当に大丈夫?具合が悪いんだったら、無理して食べなくて良いから」 「無理してないって。ちゃんと美味しく頂いてマス」 ぼくは左手に小皿を取ってゴーヤチャンプルーを盛り付け、軽く上へ持ち上げて見せた。そして、美味しそうに食べてみせた。実際、サワコさんの作った料理はどれも美味しかった。 パスタとサラダは全て平らげたが、ゴーヤチャンプルーは結局残ってしまった。彼女は残ったものをタッパに移し、冷蔵庫に入れた。ぼくは片付けを手伝った。ま、これぐらいは当然だろう。 片付け終えると、ぼくたちは、テレビを見ながら食後のコーヒーを飲んでくつろいでいた。 コーヒーは、サワコさんが豆のまま買ってきて飲む直前に挽いてくれたものだ。彼女の淹れるコーヒーは、そこら辺の店で出されるものよりもずっと美味しい。 サワコさんはマグカップをテーブルに置いて、上半身をぼくの方へ向けた。 「……ねえ、今日、泊まってく?」 今日は金曜、明日は休みだ。相変わらず部活はあるけれど。 今までも二、三回泊まった事がある。抵抗はない。初めて誘われたときも、別に何とも思わなかった。 「んー、やめとく。今日は帰るよ。明日は午前から部活あるし」 「そっか」 彼女は肩をすくめて、溜息を吐くような調子で言った。 「御馳走様。本当に美味しかったよ。……そろそろ俺、帰るよ」 「じゃあ、車で送って行くわ」 「ありがとう。でも、今日はいいよ。ゆっくり帰りたい気分なんだ」 「……解った。気を付けてね」 そう。こういう時、ちゃんとぼくの気持ちを尊重してくれるところが良い。彼女は無理を言わない。 玄関のドアを開けると生温い風が吹きこんできた。 ぼくは静かにドアを閉めた。 ネームプレートには「生嶋(いくしま)」と記されている。そういえば、サワコってどういう漢字を書くのだろう。ま、漢字を知らなくても名前を呼ぶ上での不都合はないからいいか。 今宵は満月、と呼ぶにはちょっと欠けている。グレイの雲が、時々不完全な丸い月を覆う。 コンクリートの道の脇に繁る草花が、生温い風に揺らされ、さらさらと音を奏でる。 ぼくは深くゆっくりと息を吐いた。そして、空を見上げた。 虫の鳴き声が妙に切なくぼくの心に響いた。
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