〔かも!?〕 驚きの声が響く。 〔かもって何なの? 好きなの? 好きな気がするけどよくよく考えると違うかもしれないってことなの?〕 「知らないよそんなの。俺に訊くなよ」 電話の向こうにいる悟流が訊ねるが、そんな細かいことはどうでもいい。意思表示をしたという事実。それは確かだ。 〔ふーん。ま、濁しただけなんだろうけどな。逃げ道確保みたいな。それで、嘉月はどうしたいの? 付き合うの?〕 「そのコのことは嫌いじゃない。どちらかというと好きだと思う。だけど、付き合うとなるとなんか……、同じことを繰り返している気がするんだ。何のためにサワコさんと終わりにして、何のために地元から出て……。別に英梨が直接関係している訳じゃないし、俺自身の問題だし、英梨と付き合うのがどうっていう問題じゃないのは解っている。だけど、この期に及んで俺、もしかしたら……」 混乱。 困惑。 きっと解っている。何処かできっと解ってた。 どうして気付かなかった? どうして気付かないようにしてた? 動悸。 閉息。 うまく回らない思考。 稚拙。けれど其れが限界。
「莫迦だと思う。何で今更、何でこういう形でしか解らなかったんだろうって。俺に好意を持ってくれるコがいるのに、いつも応えてあげられなくて、結果いつも傷付けて……。英梨だって――」 〔知ってるよ〕 「え?」 〔俺はお前が莫迦だってこと、ずっと前から知ってるの。だから言ってんのに、それでも解らない莫迦なんだよ、嘉月は。全く仕様がないっての〕 「……ごめん」 〔何で俺に謝るの? 気持ち悪いな。まあ、嘉月が莫迦なくらい詩緒ちゃんも莫迦だよな。二人とも莫迦でお似合いじゃん〕 悟流が受話器の向こうで笑う。そして、一呼吸の間。 〔……詩緒ちゃんは云わないよ。嘉月の幸せを願ってるから〕 「え? 何それ。どういうコト?」 〔これは宿題。自分で考えなさい〕 やれやれといった口調で悟流が言う。 〔云えよ。ちゃんと〕 不思議なくらいに、悟流のその言葉が胸の中にすとんと落ちる。 「……ああ、そうだな」
電話を終えて、ふとベランダに出る。 閑静な住宅地。市内を囲む山の濃い黒い影が建物の間から見える。地元ほど鮮明には見えない星が静かに瞬くだけの空。 「ちゃんと云う、か……」 放った言葉は夜の空気に溶け込まれた。
英梨に言われたあの日以来三日間、シフトが入っていなかったこともあり会っていなかった。 バイトへ行く道を辿りながら、会ったときにどう声をかけようかずっと悩んでいた。 「嘉月くん、おはよ!」 「お、おはよ……」 丁度今、英梨も着いたところのようで、突然後ろから声をかけられ、内心吃驚だった。英梨は「後でね」と笑顔でぼくの横を通りぬけ、女子更衣室へと向かった。 比較的落ち着いた店内で、特に忙しく混み合った時間帯もなく仕事を終えた。 上がる時間は英梨と同じ。ぼくは急いで着替えて店の外に出て、英梨が出てくるのを待った。 しばらく経って、漸く英梨が店から出てきた。 「英梨」 ぼくが声をかけて、少し英梨の表情が強張ったような気がした。 「お疲れさまー。 どうしたの?」 「ちょっと時間、いいかな?」 彼女はぼくの目から視線を逸らし「うん、大丈夫だけど」と答えた。 バイト先のカフェから10分ほど歩いて、同じ通りにあるマクドナルドに入った。 「何飲む?」 「あ、いいよ! 自分で出すから」 「それくらい遠慮するなって」 「……うん。ありがとう。じゃあ、コーヒーで」 「オッケ」 カウンターでコーヒーを二つオーダーし、席に戻る。英梨は落ち着かない様子で、手を組んだり解いたりしていた。 「熱いから気をつけて。一応、ミルクと砂糖持ってきたけど」 「うん、ありがと」 英梨は蓋を開けてミルクを入れた。ぼくはブラック派だが、かなり熱そうなので、すぐには飲めそうにない。 「英梨んとこも、そろそろ試験範囲が発表されてる頃なんじゃない? 俺んとこは講義によってはもう範囲が指定されてるけど」 「うん、私のところもそろそろだよ。具体的にはまだだけど、先生はここまでは進めたいって言ってるから、大体の見当くらいはつくかな」 「大学の試験ってどんな感じなのかな。高校とは全然違うんだろうな」 「まず規模が違うよね。一つの講義も学生の数が多いし」 プラスチックのマドラーでミルクをくるくるとかき混ぜながら、英梨は微笑んだ。他愛もない話が続く。英梨はすっかり和んだようだ。けれどもぼくは、熱いコーヒーを啜りながら、どう切り出そうか考える。 「そういえばね――」 英梨がまた別の会話を振る。まるで会話が途切れるのを恐れているかのように、彼女は今日、いつもより饒舌だ。そこで、ぼくは気付いた。 「英梨、ごめん」 彼女はきっと気遣っていたんだ。いつも通りの自分を演じようと振舞っていたのだ。 「あの、この前のことなんだけど……。俺、ちょっと時間が欲しいって言って……」 「……うん」 急に彼女の表情が曇る。 「俺、英梨の事好きだよ。でも――、英梨の気持ちには応えてあげられない」 英梨がゆっくり顔を上げて僕の目を見る。 「誰か、好きな人がいるの?」 僕は一瞬、その質問に戸惑うが、素直に答えた。 「いる」 そう言葉を発した途端、不思議なほど肩の力が抜けて楽になった気がした。 英梨は、僕があまりにも素直に肯定したので驚いたようだったが、ふっと息を吐いて椅子に凭れた。 「何だ、そっかー。残念だなー。折角勇気出してみたんだけど報われないなー」 視線を斜め上方に向け、気の抜けた表情を見せる。 「ごめんな」 「ううん、いいの。全然気にしなくていいから。……まあ、ちょっとくらいは気にして欲しいけどね」 英梨は微笑む。その笑顔を見て、僕は少しだけどほっとする。 店を出て、お互い講義があるのでその場で別れることにした。 「ねえ、嘉月くん」 「ん?」 自転車のチェーンの鍵を開けながら、ぼくは答えた。 「今まで通り、仲良くやっていこうね」 「……当たり前だよ、そんなの」 「そ、そだよね、ちょっと確認しただけ」 次にバイトに入ったときも、特に変わらず今まで通り。英梨が好きだって言ってくれたことをなしにする訳じゃない。それ自体は嬉しい事だと思うし、その結果を今後のお互いの関係にマイナスに作用させないだけ……。 「それじゃ、また次のバイトでね」 英梨は手を振ってぼくを見送ってくれた。僕もそれに応えた。
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