高岡駅。 寂れた古臭い駅だとずっと思っていたけれど、いざ離れてしばらく見れなくなるかと思うと、急に愛着のようなものが沸いてくる。今まで散々云ってた寂れ具合も古さも愛おしい。 気を取り直し、キャリーケースを引っ張りながら歩いていると、悟流が改札口の手前に居るのが分かった。片手を上げて、こちらに近付いてくる。 「おはよ。昨日はちゃんと眠れた?」 「まあな」 「おばさんたちは?」 「とっくに出てるよ。車だし」 母と明道さんは車で京都に向かい、引越しや買出しの手伝いをしてくれることになっている。 「そっか。……もうちょっと時間あるよな?」 「それは大丈夫だけど、で、何? 早めに来いっていうのは」 実は、昨日のメールで悟流に早めに来るように云われていたのだ。 「うん、まあ、詩緒ちゃんの事なんだけど」 「詩緒? 詩緒が何?」 「意地なんて、はらなきゃ良かったんだよ。詰まんないだろ、そんなの」 「……何の事云ってんのか、解んないんだけど」 「お前も詩緒ちゃんも莫迦だなって事だよ。反省しなさい。はい、これ餞別」 悟流は小さな紙袋をぼくの胸へ突きつけた。 「あ、ああ、ありがと。何か腹立つこと云われた気がするけど……」 「気にすんなって。じゃあ、元気でな。まあ、気が向いたら連絡するよ。またお盆には帰ってくるんだろ?」 「そのつもり」 悟流に見送られ、改札を通った。 間もなく、サンダーバードが到着。予約した指定席に座り、窓から見える景色を眺めた。ゆっくりと景色が流れ始める。 景色を眺めるだけにも少し飽きた頃、悟流からの餞別が気になって紙袋の中を見ることにした。 「……」 隣に乗客が既にいたので、声に出せなかったが、目前に悟流が居るならばこう云ってただろう。 「お前、何だよこれ。今から京都に行くのに余計な荷物増やすなよな」 と。口調については、想像に任せよう。 紙袋の中身は、何故このタイミングでなのか今更観が拭えない、中学校のときに悟流に貸した漫画数冊と小説、そしてこれがそのお詫びなのかいわゆる餞別なのか、お菓子のチョコボールが一番上にちょこんと乗っかっていた。ちなみに味はいちご。
大学生活は、最初は戸惑う事も多かったけれど、ゴールデンウィークを過ぎる頃には随分慣れたと思う。 全国各地から様々なタイプの人が集まって来る。関西圏は勿論のこと、色んな地方の友達ができた。 ゴールデンウィークを過ぎた頃、時間割の組み立ても決まり大体が一段落したので、ぼくはアルバイトを始めた。カフェ店員だ。路地を少し奥に行ったところにひっそりとある、町屋を改装した隠れ家的なカフェだ。 隠れ家的といっても、何度か雑誌で取り上げられ、大学生やOLなど比較的若い世代の客が目立つ。朝や15時ごろとなると、近所の主婦やサラリーマンも利用してくれる。 ぼくは朝のオープン時から昼前まで入っていた。バイト先を家から近いところにしたので、バイトの時間が早くてもすぐ行ける。朝のカフェの雰囲気が好きだったので、朝のカフェで働きたかったのだ。 新たな一日が始まっていく中で、これから仕事に行く会社員、待ち合わせをする人、本を読む人、色んな人が来る。 今 日一日、その人たちがどう過ごすのか垣間見ることが出来て、それがちょっとしたぼくの楽しみだった。滅多に混まないけれど、それなりに忙しく動けて充実したバイト生活を送っていた。 「お疲れさま」 バイトをあがって着替えを済ませ、ロッカールームから出ると、同じシフトに入っていた渡瀬英梨が声をかけてきた。 「お疲れ」 「途中まで一緒にいこ?」 「ああ、いいよ」 彼女も、ぼくと大学は違うが同じ一回生で、地方から出てきた事もあり割と気が合う。帰り道が途中まで同じため、一緒に帰ることも度々あった。 彼女も朝のカフェの雰囲気が好きだと言った。仕事の合間、休憩中、バイトが終わって店を出るまでの時間、帰り道、彼女と話していると楽しかった。 英梨は、ふんわりとした雰囲気があって、一緒にいると安らぐ。 「この後は講義?」 烏丸通りに出て信号待ちをしていると、彼女が訊ねてきた。 「うん。午後から三、四限と入ってるよ」 「その後は?」 「いや、特にはないけど?」 ぼくは腕時計で時間を確認する。バイトを上がってから、ゆっくりし過ぎたかも知れない。思ったより大学につく時間がギリギリになりそうだ。 「えっと、何だっけ?」 信号がそろそろ変わりそうだ。信号から英梨に視線を移す。 「それじゃ、講義が終わった頃に連絡するね!」 「え?」 信号が青に変わって、英梨が自転車を勢いよくこぎだす。そして、渡ったところで「じゃあねー」と言って、曲がって行ってしまった。ぼくは英梨の言ったことが判然としないまま、直進して取り敢えず大学へと向かう。 一般教養とコア科目の講義を終え、人の流れに沿って建物の外へと出る。 「いやー、さっぱりやったわー。なあ、今日の講義の意味解った?」 一緒に講義を受けていた新見が眠そうに言う。新見とは、基礎演習のクラスが同じになったこともあって仲良くなった。 「何となく、かな」 「マジで? あ、そうや。嘉月、お前、この後暇?」 「うーん、どうなんだろ」 英梨が講義が終わる頃に連絡する、と云っていたけれど、実際どうなんだろう。 「何かあんの? 実は、昼にな、基礎演の倉持さんとかに会って、今日の夜に暇なら飲みにいかへん?って話になってんけど」 そのとき、バッグを右手に振動が伝わる。携帯が鳴っているようだ。急いで携帯を取り出すと、英梨から着信。 「あ、ごめん。約束してた奴がいて、そいつから呼び出し……」 間に合わせの台詞を云う。 「ああ、そっか。いいよ、気にせえへんでも。ああ、じゃあ、また明日な」 「ホントごめん。じゃあ」 新見と別れて正門の自転車置き場に向かいながら、電話を掛け直す。 1コール、2コール、3コール目で英梨が電話に出る。 〔はい〕 「あ、悪ィ。さっき電話に出られなくて」 〔ううん、ぜんぜん〕 「えーっと……。何か用なんだよな? 何?」 正門の自転車置き場の手前の木の陰で立ち止まる。自転車置き場へ向かう学生が幾人も目の前を通り過ぎて行く。 〔用っていうほどのものでもないんだけれど、ほら、この前、気になるカフェがあるって言ってたでしょ? 良かったら、一緒にどうかなーって思って。私もそのお店の前通って、いいなって思ったから……〕 つい先日、バイトの帰り道にみつけたオープンしたばかりの店の話を英梨にしたところだった。ゆったりしたソファがあって、読書をするにも良さそうだと言ったところ、彼女が興味を示してチェックしてみると言っていた。 「うん、いいよ」 〔――そ、そっか。良かった……。えっと、お茶というよりはご飯でいいよね? 嘉月くん、一回家に帰る?〕 講義を終えたばかりなので、ノートだったり教科書――というよりは本だったりがバッグの中に入っていて、適度な重さを与えていた。 「荷物だけでも置きに帰るよ。そうだな……」 すぐ向こうに見える時計台で時間を確認する。 「今、4時半過ぎだから、6時に烏丸御池の書店の前辺りでいいかな?」 〔了解。じゃあ、6時にね〕 北大路付近の自宅へと戻り、大学用にしているバッグとは一回り小さいものに財布とペットボトルのミネラルウォーターだけ移す。取り立てて何かしていた訳でもないのに、あっという間に5時半を切っており、外は薄暗がり。 急いで部屋を出て四条の方へと向かう。 京都市内は北に向かって上りとなっているため、北から南へ自転車で行くには比較的楽である。急いでいるとき、北から南への移動で良かったとつくづく思う。 書店の前に並んだ自転車の間に自分の自転車を入れて止める。通りを行き交う人々や店の前で待っている人の中に英梨がいないか見渡す。反対側の歩道にも視線を送る。 「嘉月くん」 斜め後から呼びかけられ、振り返ると英梨が手を振って近付いてきた。 「スタバにいたの?」 「ううん、お店の前にいただけ。新作マグとか気になったから、ここからちょっと見てたんだけどね」 スターバックスは歩道からちょっと奥まったところに入り口がある。敷地としては広いけれど、北から南に来ると、手前の書店の陰になり、入り口付近は死角となる。そのため英梨の姿が見当たらなかったのだ。 「さて、行こっか」 そこから十分ほど歩いて、目的地のカフェへと辿り着く。 「何だか幻想的だね」 昼間とは随分違った雰囲気だ。色んな種類のランプが淡い光を灯している。昼間は生命力を感じる鮮やかな色はを映した観葉植物も、今はひっそりとその場に繁っている。 好きな場所へと言われ、すっぽり包み込むようなソファの座り心地を試したかったが、食事をするのでオーソドックスなテーブル席に着くことにした。 「へえ、アルコールも一応あるんだ」 ドリンクメニューを見ると、ワインリストやビール、簡単なカクテルも載っていた。 「飲むの?」 「いや、飲まないけど」 ド リンクメニューを閉じ、フードメニューを開く。パスタや1プレートディナー、サンドウィッチなど。 「1プレート、美味しそう! きのこハンバーグだって。これにしよっかなー。嘉月くんは?」 1プレートディナーの一枚物のメニューを見ながら英梨が言う。 「うーん、ホットサンドにしようかな。これ、気になるんだけど」 「えー? どれどれ?」 英梨が身を乗り出して、ぼくが手にするメニューを覗き見る。ぼくはメニューを逆さにして英梨に見やすいようにした。そして、指差す。 「大葉とアンチョビのホットサンド? 変わってるー……。 美味しいのかな、これ」 「メニューに載ってるくらいだし。食べられるだろ。あとは個人の嗜好の問題で」 「嘉月くんって、こういうの試したいタイプ?」 「どちらかというと、そうかな。試さずに、後で気になって後悔したことも度々あったから、気になったらとりあえずは試す方だろうな」 「へえー、意外」 「そ?」 会話を見計らってか、店員がオーダーを取りに来た。 「大葉とアンチョビのホットサンドのセットでドリンクはホットコーヒー、英梨は?」 「あ、えっと、ワンプレートディナーのハンバーグセットで烏龍茶でお願いします」 メニューを閉じて元の場所へ置く。何気なく右手の人差し指と中指にはめているリングを触っていると、英梨の視線がぼくのリングに向けられていることに気付く。 「指輪、気になる?」 英梨の丸っこい目がリングからぼくへと向けられた。 「うん、私、しない人だから」 「へえ、そうなんだ。これ、デザイン気に入っててさ。2個してるみたいに見えるだろ」 ゴールドとシルバーで見た目二連になっているように見えるデザイン。見えやすいように、軽く指を広げてテーブルの真ん中へと手を置いた。 英梨は淡いピンクのネイルをした指でぼくのリングをなぞる。 「ホントだ。いいねこういうの」 ぼくは彼女が無意識でそうしていることは承知しながらも、現に彼女がぼくの手に触れているという事実、例えそれがリングであって直接的ではないにしろ、それを意識せざるを得なかった。 英梨が手を触れたままふとぼくの顔を見る。 「ご、ごめん……」 ぼくの表情から勘付いたのか、ぱっと手を離した。 「いや、別いいんだけど」 気まずい空気が漂う。後に何と会話を続けたら良いのか、判断に迷う。英梨は下を向いてしまい、手持ち無沙汰で指を組んだり眺めたりしている。 「ねえ……」 英梨は、少し顔を上げるも、視線はぼくではなく左を通り抜けたところにやって口を開いた。 「ん? 何?」 英梨が何か喋りかけようとしたその時、店員がフードを運んで来た。 「失礼致します。御待たせ致しましたー」 ぼくの前にホットサンド、英梨の前にハンバーグプレートがことりと置かれる。飲み物も同時提供だ。 ぼくはコーヒーを一口飲んで、ホットサンドを手にする。 「話、途中だったけど……」 「うん、そうなんだけど……」 ストローをつまみ烏龍茶を飲む。 「何だよ」 そのつもりはないのだろうけれどもったいぶられている観がして、思わずふっと笑ってしまった。ぼくにつられて英梨も表情が緩む。 「追々、ね。いただきます!」 ナイフとフォークを持ち、ハンバーグを切り分け、口に頬張る。 「うん、美味しい」 美味しそうな英梨の笑顔を見て、気持ちが和らぐ。ぼくも続いて、手に持ったままだったホットサンドを口に運ぶ。 「ん、これ、意外に美味しいな……」 もっと生臭い感じかと思ったけれど、マヨネーズでうまく調和させてある。大葉との組み合わせも斬新だけれどこれも結構合う。 「ホントー?」 疑いの目を向ける。確かにぼくも実際に食べてみるまでは心配だったけれど、これは実際食べてみないと判らないだろう。本当に意外に美味しいのだ。 「じゃあ、ちょっと英梨も食べてみろよ」 ぼくは英梨にホットサンドが載った皿を渡す。英梨はそれを受取り目の前に置いて、カットした断面から見える具、はみ出ているレタスやアンチョビ、マヨネーズ、大葉を怪しげに眺める。しばらく躊躇っていたが、おそるおそる一口。 「あ、美味しい」 「だろ? 意外にうまいよな」 大学のことやバイトのことを話しているうちに、食事も済んでしまった。少しだけ残っているすっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。英梨の烏龍茶は氷がとけてなくなりそうで色からみても水っぽく薄そうだ。 「デザート食べる?」 メニューに手をかけて訊ねる。 「んー、食べたいけど、結構お腹いっぱいなんだよねー。ありがと」 ワンプレートといってもボリュームがあったし、腹が膨れるのも当然だろう。女の子はデザートは別腹とはよく云うけれど、英梨はあんまり関係ないのかもな、そう思っていると、英梨がぼくに訊ねた。 「嘉月くんってさ、好きな人、いるの?」 「…………ハイ?」 質問が唐突過ぎて、その返答に困る。 「いや、いるのかなーと思っただけなんだけど……」 「あ、そう……」 好きな人……。 頭の中でぼんやりとその言葉を反芻する。その言葉自体、遠い昔のことみたいに、白く靄がかかる。 「そう、だな……」 ただ単純な肯定も否定も出来ずに、曖昧に返事をする。そこへタイミングが良いのか悪いのか、店員が「失礼致します。空いているお皿をお下げします」とやってきて、手早く皿をさげていった。そのまま、英梨が追求することなく、質問自体流れてしまった。 次への会話がなかなか始まらず、何となく腕時計を見る。ここに来てからもう2時間――。 「そろそろ出よっか?」 「あ、うん。そうだね」 湿気を含んだ風が重たく吹き抜ける。立っているだけでじっとりとした汗をかきそうなくらい。梅雨明けは先日したところだが、まだその余韻を残す。 「ありがとう。此処でいいよ」 バイト帰りで一緒になるとき、いつも別れる交差点で英梨は云った。 「いや、今日は家の方まで送るよ。もう遅いし」 「……ありがと。じゃあ、家の近くまでお願いしよっかな」 英梨は、最初は遠慮して断ろうとしたようだったが、笑顔で応じた。 烏丸通を北に、緩やかな上り坂を走る。南へと走る車のヘッドライトが時々眩しくぼくの顔を照らし、視界の邪魔をする。 歩道に自転車二台並んで走るほどのゆとりもないので、直列走行。会話はほぼなし。何か喋った方がいいだろううな、と思いながらも、会話のきっかけを探しているうちに順調に目的地へと近付いてきている。 「ちょっと待って、嘉月くん!」 「え? 何?」 後ろを振り向くと、英梨がぼくのすぐ横まで来て止まった。 「ここを曲がってすぐなの、私の家」 英梨が指差す方向を見る。学生が住んでそうな建物は幾つか見えるけれど、どれがそうなのか判らないし、そもそも、本当にすぐそこといえる場所に英梨が住んでいるかも解らない。 「あ、そうなんだ」 取り敢えず返事はしてみるけれど。 「…………」 「…………」 沈黙。 「えーと、家まで送んなくて大丈夫なの?」 「うん」 「そっか。じゃあ、ここで……」 「あ、あのさ!」 英梨に背を向け、自転車にまたがったそのとき、呼び止められた。 「あ、あの、ごめん。私……」 「いや、別に謝んなくてもいんだけど、どうした?」 「あの……」 「うん」 「私、嘉月くんのこと好きかも」
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