二学期始業式。 校長の話は今まで例外なく、まともに聴いている奴なんていないっていう程、無駄に長くて堅かった。けれど、秦湊の校長は結構ユーモアのある先生で、式などの行事における校長の話は秘かなみんなの楽しみだったりする。あまりにも長いときには流石に疲れはするけれど。 校長の話、校歌斉唱の後、閉会の挨拶。事務連絡を2、3受けてから一年生から順に教室へと戻る。 見た目の利用状況から判断して、手前の西階段よりも奥の東階段の方が空いているようなので、そのまま二階廊下を突き進んでから東階段を使って三階に戻ることにした。 目一杯に開けられた廊下の窓。そこから入る風は、まだ夏の匂いがする。 教室に入ろうとする丁度そのとき、能登に呼び止められた。能登は右手をポケットに突っ込み、左手で風に吹かれて乱れた前髪を横に払い流しながら歩み寄ってくる。悟流と教室の入り口付近に立っていても、邪魔になるだけなので、ドアから離れて窓側に移動した。 「当初の予定通り、明後日の木曜の統一休校日に開催で最終決定だよ。部活は午前で終わるけど、五時半に駅前集合になったから」 「……」 誘われた日から特に何も言ってこないと思ったら、すっかり承諾を得たと思ってセッティング済みだ。ふと、悟流へのメールの内容を思い出した。 「あれ? 嘉月、機嫌悪い?」 能登は顔を傾げてぼくの顔を覗き込む。 「……俺と悟流は『セット売り』、なんだって?」 能登は、何のことか解らないという表情をする。能登が眉をひそめて悟流を窺うと、悟流はぼくと自分への指差しを数回往復させた。そこで能登は、ぼくの不愉快な表情に「ああ」と、納得したようだ。 「川原くんへのメールの事? もしかして気に障ったかな?」 「障るだろ、そりゃ」 冷ややかな視線を投げつける。こんな事くらいじゃ何の効果もないだろうが。案の定、能登は笑顔で応えた。 「セットというか、言葉の綾だよ。ほら、もう既に秦高の名物でしょ、二人とも。よく一緒にいるし、背丈も体格も似てるし」 「俺は嘉月みたいに鍛えてないから、嘉月ほど体格はよくないし体力もないけどね。それに、嘉月みたいに焼けてもないし」 ぼくの組んでいる腕の前に悟流は自分の腕を差し出し、色や締まり具合を対比してみせた。 「俺って華奢いなー」 「川原くん、ちょっとは鍛えたらどうなの?」 いかにも力がなさそうな悟流の腕をみて、能登は哀れみの表情を浮かべた。 「――と、それはともかく、人数は五対五だから。こっち側のもう一人は一ノ瀬なんだ」 「一ノ瀬?」 名前だけ聞くと誰だか判らない。ぼくのクラスやサッカー部の奴ではない事は確かだ。 「25Hの奴だよ。髪を逆立ててる奴」 「判らないな……。悟流、知ってる?」 「いや、全く。だって俺んとこのクラス、他クラスとの交流なんて、ほぼ皆無じゃん。体育だって、単独なんだぜ。ましてや25Hなんて理系クラスで場所も23Hから離れてるじゃん。俺、文系だし、授業も被んないよ」 能登は苦笑する。 「多分、何処かで見かけたことはあると思うよ。一ノ瀬は嘉月と川原くんのことは知ってるだろうし。まあ、宜しく頼むよ」 「宜しく頼むって……」 僕と悟流の言葉が重なる。能登の背中をしばらく見送っていたが、そのまま廊下に居る理由もないので、ぼくたちは教室に入ることにした。 ホームルームまでまだ少し時間があるので、窓際の暖房に腰掛ける。 「あ、嘉月。今度からもし七時前まで部活終わるんだったら、自習室覗いてよ」 「自習室?」 自習室なんて、試験期間くらいしか利用したことがない。何故帰り際に自習室を覗く必要があるのか不思議だった。だが、悟流の言い出すことだ。すぐに気が付いた。 「もしかして、受験勉強?」 悟流なら、そろそろ始めてもおかしくはない。 「そ、まあ、コツコツやんのが一番でしょ。まだ根詰めてやるつもりはないけど、今までの復習がてら始めるよ」 「そっか。ああ、じゃあ、七時前に終わったら取り敢えず覗いてみるよ」 「サンキュ」 受験勉強、か――。 正直、まだ受験勉強への焦りとか実感とか、そういうものがなかったから、自分とは全く別の世界の言葉の響きとして、ぼくに余韻を残した。しかし、部活をやっているぼくこそ、今から取り組むべきことなんだろうなとも思う。部活の引退は来年の夏。それまで、ほぼ毎日部活があるのだ。 「俺もやんなきゃな……」 自然と口から出る。悟流はそれを聞き逃さず、「嘉月は部活もあるんだし、無理だけはすんなよ」と言った。 そして、悟流は宣言通り、二学期からの放課後、学校に残って自習室で勉強するようになった。 悟流は今までよりも帰る時間が遅くなったため、部活のあるぼくと一緒に帰る機会が増えた。 しかし、悟流は気分屋だから、いつも同じ時間まで残って勉強していくという訳ではない。集中しているときは日直の先生に自習室から追い出されるまで勉強を続け、集中力が持続しない日はさっさと帰ってしまう。そんな日は、「今日は疲れた。先に帰るわー」って具合にメールがある。勿論、未だ自習室に残っている場合を含め、メールがない日もある。そんな日は、いちいち二階にある自習室まで覗きに行くのはぼくの足労なので、下駄箱に悟流の靴があるかどうか確認。それで明快、事は済むのだ。 部活が終わって、東門に向かいながら携帯のメールを確認すると、メール受信はなし。東門を出るまでに生徒玄関があるので、悟流の靴の有無を確認しに行くことにした。 「早良くん」 生徒玄関の二段しかない階段に足を掛けたとき、聞き覚えのある声に呼び止められた。 「榊」 外は既に薄暗がりだが、校舎から漏れる光で声の主の顔がちゃんと判る。マネージャーの榊だった。 「お疲れさま。何? 連絡事項?」 「ううん、別にそんなんじゃないんだけど」 「ふーん? じゃあ」 ぼくは片手をあげて、校舎の中に入ろうとした。 「早良くん!」 再び呼び止められる。何なのだろう。 「あ、ごめん。何か俺に用だった?」 「特に用というか、そういう訳じゃないんだけど。ごめん、ちょっと時間あるかな?」 「時間?」 ぼくが不思議そうな顔をしたためか、榊が慌てて説明する。 「あの、部室の鍵をかけないといけないんだけど、聡子が用事あって先帰っちゃったから、一緒に行く人がいなくて……。もう暗いし、部室あたりって一人で行きたくないんだよね。それで、お願いなんだけど、早良くん、付いてきてくれないかな?」 悟流が待っているかどうか気になったが、そんなに時間もかからないだろう。 「それだけなら、別にいいけど」 「ありがとう」 ぼくが断ることを心配していたのか、榊の表情が随分和らいだ。 ぼくは今来たばかりの道をもう一度辿ることになった。部室に行く途中、部員の何人かすれ違う。その度に後輩には「お疲れさまでした」、同じ学年の奴には「忘れ物か?」と声を掛けられる。 部室に着くと、もう残っている部員はおらず、あとは施錠をするだけだった。榊が部室に鍵をかける。 「すっかり暗くなっちゃったね」 つい先ほどまでまだ薄暗かったが、それから暗くなってしまうのは早い。辺りはすっかり闇に包まれている。近くに通る道路の電灯が煌々としていて、いっそう今自分が立つこの辺りが暗く感じる。 「流石に、女の子一人で施錠するのは怖いかもな」 「でしょー? もー、ホント良かったよー。早良くんがいて」 「じゃあ、さっさとこんな所から引き上げようぜ」 ぼくは先に歩き出した。すると、榊がぼくのシャツを掴んで、先に行くのを制した。 「何? どうした?」 榊が部室の中に何か忘れ物でもしたのかと思った。 「ちょっと、話があるの?」 しかし、どうやらそれははずれのようだった。 「話?」 榊がマネージャーであることから顧問に何か言われたのか、部員についての相談かと思った。けれど、榊が何度も溜息をついたり言い出そうとして思い止まったりしているうちに、ある予感がした。自惚れなんかじゃなく経験上。 「早良くん、実は私、早良くんのこと、好きなんだけど……」 「……あ、ああ。そ、そうなんだ」 この状況では、そう来るだろうとは思ったが、榊はてっきり能登のことが好きなものだと思っていた。本当に直前まで。 「早良くん、彼女と別れたんだよね? それで、友達からでいいの。私と付き合って欲しいんだけど」 すがるような瞳。そう、この瞳で女の子たちはぼくに云うんだ。 ぼくが「好きだ」と。 そしてぼくは、現在彼女がいなければ「yes」と、いれば「no」と、機械的に答えてきた。 でも、もうぼくは只単に、付き合っている人がいるかどうかで答えを決めることはないだろう。 人と向き合って生きていく、自分にそう誓ったから。何よりもぼく自身に向き合うため。自分に偽りなく、誤魔化さない。 「……俺、てっきり榊は能登のことが好きなんじゃないかと思ってた」 「え? 能登くん?」 「よく話してる印象があったから、仲はいいんだろーなって思ってて。部活中でも仲良さそうだし」 「ああ、うん。確かに能登くんとは割と話すほうかも知れないけど。でも、私は――」 不安と期待が混じったようなまなざしをぼくに向ける。ぼくは一端、彼女から視線を外すけれど、再び彼女に視線を戻した。 「……ありがとう。正直、吃驚したけど、榊の気持ちは嬉しいよ。でも、俺、榊の気持ちに応えることはできない。ごめん、悪いけど……」 泣きそうな榊の表情を見て、ぼくの胸は痛む。「NO」を云うのが、こんなにエネルギーを使うなんて、初めて知った。 「早良くん、今付き合っている人いないんだよね?」 「え? あ、うん。そうだけど」 「早良くんは、付き合っている人がいなければ、基本的にOKくれるっていう噂だったのにな」 ぽつりと榊が呟く。榊の言葉が小さな棘を持って、ぼくの心を浅く刺す。 「基本的にOK」……。あまりいい表現ではない。でも、傍から見るとそういう事だったんだろう。悟流も云ってたな、ぼくが「来るもの拒まず」だと。 「はは、なーんだ! 所詮、噂だったんだ。残念だなー」 榊が明るく振舞った。無理矢理な観が否めず、榊が痛々しく見えるけれど、ぼくには何もしてあげられない。 「ごめん」 只謝るだけ。それが彼女に対するぼくの誠意。 「やだなー。謝んないでよ。こんな事で気まずくなったりしたらヤダし。……でも、早良くん、ちょっと変わった?」 「俺? そうかな。自分ではよく解んないけど」 「私もよく解んないけど」 思いつきのように云ってしまったことを申し訳なさそうに苦笑いする。場の空気が少し緩んだ。 「何だよ、それ」 ぼくもそれにつられて笑ってしまった。 「早良くん、2学期始まっちゃったけど、部活も勉強も頑張ろうね!」 榊は胸の前で、ぼくに手の甲を向ける状態で拳を作った。マネージャーとしての榊がよくやるジェスチャーだ。ぼくは少しほっとした。 「勿論」 ぼくたちは生徒玄関に向かって歩き出した。玄関の手前まで来ると、榊は職員室に鍵を預けに行くと言って、走って行ってしまった。ぼくも同じく玄関に向かうのだが、先を急いでいるようだったので、見送ることにした。 玄関に着くと、悟流がガラスの向こうで壁に凭れてアイポッドを聴いていた。近付いていくと、悟流もこちらの気配に気付いたようで、左側のイヤホンを外しながらドアを押した。 「やっぱり悟流、まだ残ってたのか」 「まあね。職員室にいたんだけど。そしたら、えーと、サッカー部のマネージャー? ちょっと時間をおいてから出てきてって云われて……。一応事情は察したけど、そういう事なの?」 顔はぼくに向けたままで、アイポッドをケースにしまいながら訊ねる。 「多分、御察しの通りかと」 「罪な奴ー」 自然と溜息が出てしまう。 「そんな顔すんなって。仕方ないじゃん。相手の気持ちにちゃんと向き合っての選択でしょ」 今のぼくはどんな顔をしているのだろう。榊に対して、申し訳なくて仕様がない顔をしているのだろうか。いつも部活で会う相手だけに、胸のざわつきが治まらない。 帰りの電車の中、悟流は珍しくアイポッドを取り出し、音楽を聴き始めた。ぼくといるとき、悟流一人で音楽を聴くような事はしないのだ。そして、鞄から雑誌を取り出しぱらぱらと捲る。 ぼくは特に何をする訳でもなく、ただぼんやりと外の景色を眺めた。
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