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作品名:僕の隣 作者:浅葱

第15回   企み
午後三時を回ったところでインターフォンのチャイムが鳴った。ドアを開けると、悟流がひょっこりと顔を覗かせた。
「どうもー。嘉月、登校日ぶりー」
 最後に悟流と会ったのは、お盆前の登校日。
「月曜の登校日に会うのに、今日はどうした?」
「ああ、そっか月曜日な。まあ、そうなんだけど、ちょっと確認したいことがあってさ」
 悟流は「お邪魔します」と言って上がり、そのままぼくの部屋へと向かった。
 ぼくは悟流をいったん部屋へと案内して、一応でも悟流は客人なので何か出すものはないかと思いキッチンへと引き返した。ダイニングテーブルの上はすっきりと片付けられている。開けてみた冷蔵庫の中はほとんど空っぽ。缶の烏龍茶や500ミリペットボトルのポカリスウェットがあるくらいで、他に目ぼしいものはなかった。選択の余地もほとんどないので、仕方なく烏龍茶を冷蔵庫から取り出す。部屋に戻ると、悟流は床に直に座りベッドに凭れて、本棚にあった筈の数学のチャート式を熱心に読んでいた。
「他に何も用意してないけど」
 常套句を事務的に云って悟流に缶の烏龍茶を手渡す。
「ああ、サンキュ」
 悟流の視線は受け取るときだけぼくに向けられたが、すぐにチャートへと戻った。烏龍茶の缶はそのままことりと床に置かれた。悟流が問題を解くまではその存在が忘れられることになりそうだ。
「チャート見に来たんだな、お前。それだったら明日の部活の帰りとか月曜の登校日にでも持って行ったのに」
「んー……。いや、ちょっと気になってさ、確かめたかっただけなんだよな。……ああ、すぐ済むよ」
 悟流は思考時間に突入してしまった模様。赤チャートと対峙中。
 学校で使っているチャートは青チャートだが、ぼくは当初理系を考えていたこともあって、念のために赤チャートも自分で買っていた。結局理系には進まなかったし、理系に進んでいても学校の授業で赤チャートを使用することはないのだが、持っていたら持っていたでそれなりに使う機会もある。主に解法の参考や問題数をこなしたいときに活用している。一年前くらいに悟流がぼくの部屋に来たときに、実際に手にとって赤チャートの存在を確認していたのは知っているけれど、読み込んでいるのを見るのは今が初めてだ。
「俺は特に用事はないし、急がなくてもいいよ。悟流の気が済むまでやってくれたら」
 悟流からの返事を期待せずに声をかけた。案の定、返事はなし。ぼくの云ったことは耳に入っていないようだった。
 ぼくは机の上に烏龍茶の缶を置いて椅子に座る。足を組んでから、椅子を少し回転させて悟流の居る側に身体を向けた。悟流の集中力は相変わらずだと関心しながら烏龍茶の缶を手に取り、プルを開けた。プシュッと音が鳴る。
「……ああ成程、そっか、やっぱりな」
 悟流はそこでようやく缶を手にし、プルを開けた。一口烏龍茶を飲み、再び缶を床に置く。そして、ぶつぶつ云いながら一人で納得している。ぱたんとチャートを閉じ、ベッドに凭れたまま腕を伸ばして缶を床からテーブルの上に移動させた。
「終わった?」
「まあね」
 悟流はチャートを手にしたまま背伸びをして、立ち上がると同時にチャートも缶の隣、テーブルの上へ置いた。そして、立ち上がったかと思うと、くるりと後ろを向きぼくのベッドへダイブした。
「疲れたー」
 スプリングがきしんで悟流の身体が弾む。ごろんとぼくに背を向け、もしかしてそのまま眠るんじゃないだろうかと思っていると、背をむけたままの体勢で話しかけてきた。
「嘉月、最近、詩緒ちゃんと連絡とってんの?」
「え?」
 不意を衝かれた。ぼくは一瞬、どう応えようか迷う。
「否――」
「否?」
 悟流はぼくの方に身体を向け、右手で頭を支えて上半身を起こした。
「否って、何かあったの?」
「何かっていうか――。一週間前に詩緒と会うことがあって、そのときに俺……」
 悟流が早く話すようにと急かすような目で訴えてくる。
「あまり悟流の期待に沿えるような話でもないと思うんだけど」
 取り敢えず断りを入れておこうと思った。
「何だよ。いいから早く言えって」
 ぼくは、丁度目についた机の上に置いてあったボールペンを手に取り、無意味に2、3回ゆっくりとノックしてから机の上に転がした。
「……多分、もうそんなに詩緒と会うことはないよ」
「え?」
 ぼくの台詞が予想外だったのか、悟流はベッドに座り直し、意表を衝かれたという顔をした。
「え、ええー!? な、何で!?」
 時間の経過とともに事態を把握したのか、更に悟流が驚きの声をあげる。
 何で?
 そう問われると、うまく答えがみつからない。
「何でだよ? 何で嘉月はこれからってときに、自分で終わらせちゃうんだよ。嘉月、お前、その子のこと好きなんじゃないの?」
 ぼくの心がざわつく。
 好き? 詩緒のことが?
「好き……なのかな俺」
「そりゃそうだろ」
 悟流は腕を組んで溜息を吐く。呆れているという様子。
「そう、かな……」
 そんなこと、考えたことなかった。詩緒と一緒に帰ることになったのは自然な流れで、ぼくの日常に詩緒が存在することも自然なことで。詩緒のことは好きだけれど、それは彼女を恋愛対象としてみての「好き」だっただろうか?
「俺、詩緒のことは好きだけど、でも、悟流がいうような好きっていう感情とは何か違うんじゃないかなって思ってるんだ。恋愛感情とはベクトルが違う気がする。確かに、詩緒のことは好きだし大切にしてやりたいとも思うけれど……」
 悟流は真剣な面持ちで口を開く。
「それが、嘉月の『好きだ』っていう気持ちなんじゃないの?」
 俺の好きだという気持ち――。悟流の言葉が頭の中で反響する。
「……否、違うよ」
 否定するしかできなかった。それしか今のぼくには出来ない。
「……そっか」
 視線をぼくから離し、天井を見上げてぽつりと言った。悟流の放った言葉がまだ宙に浮いたまま消えていないような、ぼくの心に小さな引っ掛かりを残す。
 あの日の夜。ぼくの行動が正しいか正しくないか、そんな事は解らない。この先もきっと解らないだろう。そもそも正しいも誤りもないのかも知れない。もしかしたら、後悔するかも知れない。けれど、自分で選んできたこと、その結果も責任もちゃんと受け止めるだけ。区切りはつけたけれど、詩緒との関係は完全に途切れた訳じゃない。一縷でも繋がりがあるのならば、今はそれで構わない。それだけの繋がりでも、どこかで安心する自分がいる。
「あ、そうだ! なあ、能登から聞いてる? そういや今日は部活だったから聞いてるか」
 急に悟流が別の話を切り出したので、ぼくは圧倒されてしまう。いつも悟流はこんな調子なのだ。
「聞いてるって、何の話?」
「いわゆるゴーコン」
「合コンって、それ、悟流のとこまで話回ってんの? ホント呆れた奴……」
「昼頃かな、能登からメール来た。俺と嘉月とセット売り? だったかな」
 そう云いながらテーブルの上に置いてある携帯電話に手を伸ばす。悟流は面倒くさそうにメールを確認し、「能登って女の子みたいなメールするよなー」と感心している。確かに能登から来るメールは絵文字を多用してある。始めて能登からメールが来たとき、能登の携帯を使って、女の子がメールを送ってきたのではないかと疑った程だ。
「うん、『セット売り』、だってさ」
 メールを確認し終わって、悟流は携帯電話を閉じ、再びテーブルの上に置く。
「セット売り?」
 厭な響きだ。
「俺と嘉月とセットで居る方が女の子に喜ばれるだってよ」
「何だよそれ。不愉快だな」
 顔が自然とひきつる。悟流はぼくの顔を見て面白そうに笑う。
「嘉月って、そういうのだけは手堅いよなー。来る者拒まずなのにさ。でも、ま、案外面白いかもよ合コンも」
「厭だよ。なんか面倒だし、能登や丸山と同類だと思われたら堪らないよ。それに悟流だって好きじゃないだろ、こういうの」
「んー……」
 珍しく考え込んでいる様子だ。
「お前、まさか、行く気?」
 悟流は立ち上がり、ぼくの傍まで来て見下ろす。微笑みながら。そして、ぼくの肩に手を置いた。
「社会経験するか!」
「え?」
 悟流がそんな事言い出すとは思いもしなかった。ぼくは、悟流が参加を拒否するものだと思っていたので、一気に焦りが込み上げてきた。
「それ、マジで言ってんの?」
「うん、マジ!」 
「お前も合コンとかってあまり好きじゃないだろ? なのに、何で行く訳?」
「まあ、いいじゃん! ほら、気が紛れるかも知れないだろ? じゃあ、俺、能登に返信しとこーっと」
「気が紛れるって、何の気だよ……」
 ぼくの呟きに悟流は気付かない振りをして、早速能登にメールの返信する。すぐに能登から返信があったようだ。
「へえー、南のコとだって。南高校って可愛いコ多いって話だよなー」
 悟流の台詞が妙に芝居じみている気がする。そして、この一連の運びが上手すぎる気がする。これは、単なるぼくの気のせいだろうか? 


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